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龍神考(25) ー慈悲の春日の雷音ー

春日信仰の原風景から現風景へ


 春日大社への信仰の原風景として次のような流れを想像してきました:
自然崇拝
春日氏の日巫女=龍女が猿沢池に浮かべた舟や池の西から、東の御蓋山や春日山に昇る春の日の出や朝陽、雷(特に春分の中の「雷乃発声」)を祀る

・春日氏も含む和邇(わに)氏の「和邇」は「龍」とほぼ同義(記紀神話の比較から)

記紀神話への反映
天孫(太陽神天照大御神の御孫)が春分に降臨→「春の日」→「春日」の由来

・天孫降臨を案内の猿田彦神→「猿」=「申」=雷光で降臨の道筋を示した雷神

・天孫降臨に随行の天宇受賣命猿田彦の名(祭祀)を担う猿女君の祖

国家制度への反映
天孫に随行の天宇受賣太陽を祀る日巫女龍女龍鱗模様の青海波を纏う采女は大嘗祭(皇位継承後初の新嘗祭)で歴代天皇(天孫)に随伴、天皇の日常のお世話

春日大社の信仰、祭祀への反映
・天皇の寵愛の衰えを嘆いた采女の猿沢池入水→采女神社(池の西)と仲秋の名月の采女祭秋分の稲魂の昇天秋分初候「雷乃収声」雷神猿田彦の水死に対応

・猿田彦と「猿」=「申」=雷が共通の武甕槌命(建御雷命)は神鹿に乗り春雷が始まる立春の直前に御蓋山降臨冬至に大宮遷座10月〜2月にシカに乗るサル

・旧二月申の日の春日祭=申祭は、「春日」=天孫「申」=猿田彦神と武甕槌命を暗示する天孫降臨に関係する勅祭

・神鹿=雷(武甕槌命)が籠る雲(天児屋根命と比売神の「云う」祈りで昇る「云」)が風神経津主命の息吹で運ばれてきたもの

小蛇姿の春日若宮(天押雲根命)→天児屋根命と比売神の夫婦神の「云う」祈りで立ち昇る「云」からの雨水が山から表出して地上を蛇行する小川空を蛇行する雷(武甕槌命と猿田彦神)と対応→身体が蛇行した格好で滑空する蛇と雷の近似性

・神鹿→鹿の角=龍の角→神鹿=龍雲→龍雲+雷(武甕槌命)→龍女+雷(猿田彦)→人魚のミイラ(魚の下半身+猿の上半身)の背景

神鹿と龍雲

 以上のような自然崇拝の記紀神話や国家制度、春日大社の信仰や祭祀への反映が認められましたが、まだあまり触れていなかった神鹿について考えてみましょう。

 御蓋山に降臨された神鹿にお乗りの雷神武甕槌命のお姿が、10月〜2月の晩秋〜初春に発情期のサルがシカに乗る、という自然の現実を背景にして生まれたイメージである点に気づきました。

 2015年〜2016年の春日大社第六十次式年造替の記念行事が始まった2014年から大阪府箕面市でシカに乗るサルが目撃され出し御造替後の本殿への神々の正遷宮が行なわれた2016年11月の翌々月には鹿児島県の屋久島でもシカに乗るサルが確認されたことは、昔なら春日大神の神威、神慮の現れだと受け止められたことでしょう。
 自然崇拝が現実の自然に対する精緻な観察に基づく信仰だと考える私も、同様に受け止めます。
 今風に言えば、神と野生動物と人間との間の「シンクロニシティ」です。

 そう受け止めると、神鹿に乗る武甕槌命を描いた鹿島立神影図を拝む際にご尊顔を雷=「申」=「猿」を象る紙垂で隠す意味についても閃きを得ました。

 雷神武甕槌命がお乗りの神鹿を自然崇拝の観点から言い換えると、上記のように雷(武甕槌命)が籠る雲に喩えられます。

 シカの角を持つ龍は中国の龍も仏教の龍も日本の龍も、「この三つの龍が共有する一番重要な特徴は、いずれも風雨を呼び起こす力を持つ存在」とされてきました(黒田日出男『龍の棲む日本』108頁、岩波新書、2003年刊)。

 龍が呼び起こす風雨とは雲とともに発生し、雲からもたらされるものですので、雲は一般的なイメージの龍に形が似ているか否かに関わらず、龍と言えます。
 それ故、龍はしばしば雲の中に描かれ、時には雷も一緒に描かれてきたのです。

春日神社がある春日市の方向に走る落雷(博多阪急屋上、2019年8月8日=春日大社末社龍王神社の例祭日)



 そうすると、シカの角が生えた龍=角が生えた神鹿=雲と捉えることはおかしくないでしょう。

 神鹿=雷雲と考えると、分岐があるシカの角には雷光シカの胴体の白い斑点には雨が連想されていたのでしょうか?

 しかもシカは人間が家畜化することができなかった動物の一種であると、遊牧民を研究する文化人類学者の知人から聞いたことがあります。例外はトナカイだけだそうです。

 シカは人間から餌はもらっても、決して家畜にはならない点にも神性が認められてきたのかも知れません。

 だからシカに乗ることができるのは、神々か野生のサル、自然と一体化した仙人くらいだと考えられてきたのでしょう。

 またサルが乗るシカを龍や、龍の鱗の元である魚に喩えると、サル+シカ(龍≒魚)の組み合わせは人魚のミイラ(サル+魚)そのものです。

 極論すると、角(=雷=申=猿)を持つシカ自体が、サルが乗らなくとも、人魚のミイラに通じる存在でもありましょう。

 シカの角は3月頃に自然と脱落し、4月に柔らかい袋角が生えてきて、5月〜8月は角が分岐して急成長し、9月に完成すると発情期に入るようです。



 ということは、シカの角が完成している9月〜3月に、サル(発情期=10月〜2月)はシカにも乗り、また神鹿にお乗りの武甕槌命もこの季節に御蓋山に降臨、大宮に遷座されていることになります。

 しかし3月頃(旧二月頃)に雷の象徴とも言えるシカの角が脱落しますので、天孫が春分に降臨される際は、雷神猿田彦神の道案内が必要になったとみることができるのではないでしょうか?

 そして、猿田彦神の水死の時期と推察される秋分初候「雷乃収声」の前後辺りにの9月に入ると、再びシカの角(雷)が完成するのです。

 以上の考察からも、春日信仰だけでなく、日本の信仰は精緻な自然観察に基づいていることが窺えるでしょう。

先例踏襲による伝達

 しかしこのような自然の現実と日本の信仰思想の関係は時代を経るにつれて次第に忘れられてきました。
 ただ日本人の素晴らしい点は、自然と信仰の具体的な関係は忘れられても、従前の信仰やしきたりを踏襲することで、大昔からのメッセージを今に伝えてきていることです。

 その好例として、春日大社の第六十次式年造替関連の動画で次のようなお話を耳にしました。

 神職は精進潔斎の期間中はキノコ類を食べることが禁忌とされ、その理由は不明ながら、先人の決めたことには何か相応の意味があり、それを踏襲し続けて実際に現在も神社と祭祀が存続しているので、現在もこの禁忌は厳守されている、というお話でした。

 前述のように、これは日本の信仰のあり方を端的に伝えるお話だと思いました。

 理由は不明ながらも、先例を忠実に踏襲することが春日大社だけでなく、多くの神社やお寺で営々と続けられてきたことで、古来のものが「遺産」になってしまうのではなく、現実に生き続けていくのです。

 そして、御由緒や御縁起、伝説などに用いられる、一見すると何気ない、速読で読み飛ばしても問題なさそうな、ありきたりな表現に、実はそれぞれの信仰思想の鍵や要となるものが秘められているケースが多々あるように見受けられます。

 このような一見「ありきたりな表現」まで忠実に伝承されてきたことによって、その「平凡な表現」で信仰思想の重要なポイントやヒントも後世に代々伝えられることになっているのです。

 あとは私たちがそれに気づいて、先人たちが何気ない表現によって何を伝えようとしてきたのか、その思いを受け止める番でしょう。

 もちろん誰もがそれをする必要はなく、したい人がすればよく、それ以前に大切なのは、先人の言葉をそのまま忠実に伝えていく作業であり、その作業を担っている神職、僧侶、社寺の関係者にまずは敬意もって接することでしょう。

 その上で、私は信仰思想の探究をしている者として、前出の春日大社式年造替の精進潔斎中のキノコ食の禁忌について、自由な発想で、想像を巡らせてみました。


雷とキノコと雲


  そうしていたところYouTubeで次の動画がオススメに出て来ました:

 この動画の0:58分あたりから、「日本では古くから雷が落ちるとキノコが育つ、という言い伝えがあります」とあり、2.06分あたりからその仮説として、雷の音の圧力が原木に当たり、その振動が菌糸に刺激を与え、キノコが生えてくる可能性が考えられていることが紹介されています。

 自然崇拝の日本では雷も神様であり、特に春日大社では武甕槌命であり、地主神の猿田彦神のことでもあります。

 雷が落ちるとキノコが育つという言い伝えを私は本動画で初めて知りましたが、古くからあった言い伝えならば、キノコは雷の神様がもたらしてくださる食べ物と考えられてきたとしてもおかしくないでしょう。

 また木の幹に生える笠のようなサルノコシカケがありますが、改めて考えると、これをなぜ「猿の腰掛け」と呼ばねばならないのか?という疑問が湧きます。

 木に止まることのできる「鳥の〜」や木登りのできる「熊の〜」、「猫の〜」といった具合に、必ずしも「腰掛け」ではなく、個々の動物の特徴に応じて「〜」の部分に別の言葉を当てはめることもできたはずです。

 しかしよりによって「猿の腰掛け」と名付けられたのは、これも雷鳴の音の圧力の振動によって、つまり雷神猿田彦神の霊威によって成長が促進されることが知られていたからではないでしょうか?

 以上のような雷とキノコの成長の関連性が、雷神武甕槌命の御蓋山御降臨を機に創建され、雷神猿田彦神を地主神として祀る春日大社において、キノコは御祭神の賜物であり、式年造替という20年に一度の重儀に臨む精進潔斎の間はキノコ(御祭神の賜物)を食べるのを控えるべきである、との発想につながったのではないでしょうか?

 すると、御蓋山の「みかさ」にはキノコの笠の含意もある考えられます。

 さらに菌糸からなるキノコは、上空で氷結した水蒸気が細く連なっていき、次第に大きな塊に成長していく雲を連想させるからではないでしょうか?

福岡県新宮町湊の綿津見神社(豊玉姫命と志賀三神/元は八大龍王)付近で拝む「云」(2021年12月24日)


 特に春日大社の信仰思想を自然崇拝の観点から解釈すると、比売神や天児屋根命が口から「云う」祝詞に感応した太陽が海を温めることで立ち昇る「云」が次第に大きくなり、同時に起こる風によって運ばれてきて雷鳴を轟かせるようになり、雨を降らし、やがて山々を経て、若宮社の天押雲根命の小蛇のような蛇行する小川となって表出し、淡水の恵みをもたらしてくださる、と言うことができます。

 また武甕槌命御降臨の御蓋山の山頂を「浮雲峰」とも呼ぶように、「雲」、特に神々の「云う」祈りと太陽の感応で立ち昇る「云」と「風」は、成長する雲を上空高く押し上げる「押雲の根幹」です。
 天押雲根命の神号はこの自然の摂理に由来するのではないかとも考えています。

 そして下界から「云」が立ち昇り続け、上空で滞留して笠のように広がる様は、まさにキノコに似ています。

 実際、サルノコシカケ科に分類されていた霊芝(今はマンネンタケ科)を連想させる霊芝雲と呼ばれる瑞雲もあり、文様化されてもいます。


旅する癒しの神仏

 前掲サイト『国立国会図書館 NDLイメージバンク』の「模様が意味するもの」の「雲」の記事にはこうあります(*ルビは()に収めました):

雲は古今東西で神々が住まう場所とされてきました。中国の思想に「気運が漲(みなぎ)るところ、運気が動く」とあり、運気が上昇する不思議な力があるとされ、縁起のよい吉祥の文様です。雲には色々な形があり、雲に尾があるように描いて飛ぶ「飛雲文」、霊芝(れいし)のように描く「霊芝雲文」、『源氏物語』で使われた「源氏雲文」等があります。

『国立国会図書館 NDLイメージバンク』 「模様が意味するもの」の中の「雲」の記事

 同サイトは今日3月13日に検索している時に初めて見ましたが、「雲」の次は、采女装束に関連して何度も取り上げた「青海波」の記事がありますので、同サイトをご覧になると、良い参考になると思います。
 この引用文にある「源氏雲文」の画像はないですが、采女装束には「源氏雲文」も使用されています。

 今回注目したいのは「飛雲文」で、仏教では「来迎雲」とも呼ばれ、引用文にもあるように、神仏は尾を引くような雲に乗って衆生の前に来迎してくださるという考え方がありました(参照:「龍神考(12) ー雲は神のおわす処ー」)。


 仏像や仏画、仏壇などにも描かれたり、彫られたりしていますので、実際に目にした方もいらっしゃるでしょう。

 春日大社参詣時に買った『春日権現験記』(平成21年、春日大社宝物館編集発行)という平安末以降に編纂の霊験集『春日権現験記絵』を紹介する書籍にも、例えば地蔵菩薩(天児屋根命の本地仏)が雲に乗って一の鳥居をくぐる絵があり、その雲も蛇体のように蛇行する長い尾が延びています(*同書31頁)。
 
 雲の尾もさまざまで短いのもあります。武甕槌命の鹿島から春日への来臨を示す「鹿島立神影図」の一つ(奈良国立博物館所蔵)では、神鹿が雲に乗っていますが、雲の尾が短いものの一例です。


 この神鹿が乗る雲の尾の短さは、シカの短い尾と関係があるかも知れません。


 今回はそこには踏み込まず、武甕槌命の本地仏が釈迦如来とされる説について考察を進めていきたいと思います。
*武甕槌命=不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん:興福寺南円堂や東大寺三月堂などの本尊)とする説もあります。

 結論から言えば、武甕槌命が神鹿に乗って鹿島(茨城県)から春日(奈良県)に来臨されたことには、お釈迦様の後半生が意識されていると思います。

 お釈迦様の後半生は、開悟の後、入滅まで説法をしながら各地を旅された人生

 説法とは法(真理)を説くことですが、それは一連の「龍神考」で気づいた、春日大社の神々に共通してみられた特徴である「口」から神聖な言葉などを発することでもあります。

 そして、お釈迦様の説法は「雷」のように聞く人の心に響いたので、お釈迦様を「雷音(らいおん)」ともお呼びすることを、福岡県篠栗町の真言寺院、小松尾山雷音寺の御縁起で知りました。


「雷音」のような説法をしながら各地を旅するお釈迦様は、茨城の鹿島から奈良の春日まで雷鳴を轟かせながら各地を旅してこられた武甕槌命のお姿に重ねることができるのではないでしょうか?
 このことが、武甕槌命の本地仏が釈迦如来とされた説の背景にあるのではないかと思います。

藤色の雷雲から突き抜ける閃光(博多阪急屋上から辰巳の方位、2019年8月8日19時半過ぎ)



 そして雷は実際のところ、人類も含む生物、つまり衆生の生命を保護する働きを持つ可能性があるようです。

 それは2019年3月3日のイスラエルの報道に注目したブログ『In Deep』の次の記事で知りました。


 大変興味深い内容ですので、詳しくは是非この記事をお読みください。

 以下は本稿に必要な点だけ整理したものです。
⑴イスラエルのテルアビブ大学の研究は、稲妻が作るシューマン共鳴という電磁場は「生物の細胞の損傷から守る」超低周波電磁界を作ることを発見

⑵シューマン共鳴は地球が常時発生させ、中でも最も強いシューマン波の周波数=7.83Hzは脳のリラックス状態のα波(7〜14Hz )とリンク、とIn Deep氏は指摘

⑶In Deep氏は太陽の周波数=528HzにDNA修復機能があることについても、過去記事を挙げて指摘

 これらの点を踏まえてもう一度春日大社の信仰思想を振り返ると次のように解釈することもできましょう:
・太陽神=天照大御神=比売神の言霊=528Hz→DNAを修復
・雷神=武甕槌命=釈迦如来(雷音)の言霊=7.83Hz→細胞を保護

 すると、春日大社の御由緒やしきたりを次のように捉えることもできましょう:
◉春日の地で比売神が衆生の傷ついたDNAを修復させる祈りの言葉を「云う」

◉比売神の祈りに感応した太陽が常陸国の海を温めて「云」が立ち昇る

白鹿のような「云」に雷神武甕槌命が現れ、それに乗って春日への旅を始める

◉旅中の各地で「申」=稲妻でシューマン共鳴を発生させ、衆生の細胞を損傷から守り、癒しながら春日の御蓋山の浮雲峰に降臨

雷神=武甕槌命の旅は雷音=釈迦如来の説法の旅に二重写し

雷音で成長促進されるキノコ類は雷神の賜物であり、式年造替の精進潔斎期間中は食してならない、という禁忌

雷音で成長促進されるキノコ類は、雷のシューマン共鳴で癒される衆生の象徴

 近年流行の「癒し」という言葉は、仏教的には苦を抜き、楽を与えるという意味の「慈悲」に置き換えることができると思いますが、伊勢、八幡、春日のそれぞれの御神徳について、伊勢の正直八幡の清浄に対して春日は慈悲とされた日本古来の信仰思想に合致する発見に、現代科学は今ようやく到達しようとしています。

 こうしてみてくると、春日大社の御由緒や信仰思想には地球規模、否、宇宙規模の自然界の摂理が反映されたもの、と言うこともできるのではないでしょうか?

 ましてや日本人の民族信仰や藤原氏の氏神という枠に収まらない、まさに時空を超越した普遍性を秘めていると思わざるを得ません。

2019年5月5日(旧暦4月1日)、春雷の季節の最終日、荒池を隔てて拝む御蓋山と春日山と朝陽と日暈


 

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