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祭りばやしが聞こえる

 怒髪天が活動休止を決定したのは96年のこと。99年にバンドを再開するまでのあいだ、ボーカルの増子直純は穴あき包丁の実演販売やリングアナなど、様々な職を経験するのだが、ほんの一時期、友人である大宮イチ(大楽源太)の紹介で露店商の集金係を請け負うことになる。自伝『歩きつづけるかぎり』(音楽と人、2019年)によると、当時の客観的なポジションは暴力団の〈準構成員〉で、もちろん本人の望むところではない。それでも集金袋を手に事務所に顔を出せば、義理人情に厚いトップ格の男がかわいがってもくれる。仕舞いには、敵対組織との縄張り争いにおける増子の筋のとおった一連の働きを認めて〈お前は今どき見ない、なかなかの男だ。ウチに、本格的に下駄を預けろ〉とまで言い出し、増子は固辞するのにひと苦労したという。

〈映画で憧れた任侠ものとか、あれは幻想。男の硬派な生き方っていうのはここにはない。いくらそう見えても、実際は弱いものから、いかに搾取するかという生業で成り立っているんだから。そんなの嫌だよ〉

 彼が足を洗ってからほどなくして、その組事務所には銃弾が撃ち込まれ、テレビのニュースで報じられることになる。『祭りばやしが聞こえる』(RKB毎日放送、1975年)の実質的な主人公である福岡神農会会長・野田発二朗が、年老いてもなお危惧していたのは、暴力団組織によるテキ屋業界への介入で、いっとき音楽から離れていた増子が直面した現実は、まさに野田が回避しようとした暴力と搾取を構造化した世界にちがいない。本作において、作家の森崎和江とディレクターの木村栄文は、九州各地で開かれる祭りの様子と、方々に出張るテキ屋たちの人生の断片を描き出しながら、神農会による単独自治の終焉を予見してみせる。番組のナレーションでも明らかにしているとおり、それは「ひとつの時代の終わり」であった。番組放送から五年前の1970年に公開された『男はつらいよ 望郷篇』では、寅次郎は世話になった親分の死をきっかけにテキ屋稼業から足を洗う決心をするが、その親分こそ、戦前に神農会会長に就任した野田と立場を同じくし、共に戦後を生き抜いてきたはずで、病床に伏せた姿は、暗い心臓内科の一室に横たわり検査を受ける野田を写したショットと二重写しになる。
 寅次郎が看取ったその北海道の親分の息子は機関車乗りで、彼がやくざな父親を徹底して突き放すのとは対照的に、『祭りばやしが聞こえる』の冒頭から登場するネクタイ売りの宮藤朋真の家族仲は良好に見え、中学生の娘もテキ屋仕事に理解を示す。しかしながら、北原白秋に私淑し、自らも実作にも励む宮藤の繊細な内面は〈詩を作るより田を作らねば〉という堅気の倫理とのあいだで常に引き裂かれている。もっとも、先のGWに本作をYouTubeで鑑賞した私にとって、宮藤の葛藤もまた前時代的なものに思えた。私が住む秋田市のはずれの集落の、すぐ外側に広がる広大な田んぼのなかには、年々耕作放棄地の割合が増えてきているからで、そのうちのいくつかには時折重機が出入りし、運び込んだ土を平らにならしている。番組が制作された約50年前と今とを比較して、農業に安定を求めることは遥かに難しい。夏には風鈴を売って歩く宮藤の表情は険しいが、水路に素足を浸して涼をとるシーンは、もはやフィクションの世界においても成立しないだろう。彼は娘の他に目の見えない父親を養ってもいるのだ。
 視聴者の多くが実際には目にしたことがない光景の、しかしながら確かに漂う郷愁は、寅次郎が旅先から私たちに届けてくれたものでもあって、彼が妹のさくらや歴代のマドンナの目に触れさせまいとした昏い世界は、木村栄文のカメラによって見事フィルムに定着した。文学的な宮藤の生活の柄と対比されるテキ屋衆と、その背後ににじり寄る暴力団組織の、いわば見世物としての訴求力が本作を伝説たらしめたもうひとつの要因であるだろう。あくまで低姿勢を崩さず、常に笑顔を絶やさない木村は、野田会長が媒酌人をつとめた暴力団・羽衣会の親子盃にまで赴き、親分衆にマイクを向ける。「やくざとテキ屋の違い」というストレートかつシンプルな質問に対して、伊豆組組長は「わからない」と答えながらも、野田会長には「色々と教わりに行く」ことがあるという。こうしたグレーなトーンは番組に通底しており、木村は野田の一連の物言いをけして額面どおりには受け取っていないようにみえる。たとえば、長崎神農会会長へのインタビューでは、野田の強権的な態度について話を振り、テキ屋業界における家父長制のひずみをほのめかす。暴力団組織からの最後の砦であろうとした野田の鏡面性について、当人がどの程度自覚していたかは定かではないが、木村の目の前で日本刀を抜いてみせる一瞬のショットなど、ほとんど冗談じみていながらも象徴的ですらであった。それでも、頼みごとは絶対に断らないという懐の大きさは、やはり千人強の組織を束ねる男の器量のほどを示すもので、今様にいえば「マッチョ」な性格と表裏一体であり、その点においては長崎神農会会長も認めている。『福田村事件』にも顕著なとおり、こうした男性性は純血主義と結び付きやすいものだ。その証拠が九州樫田会と山上組の若い衆が膝を突き合わせて酒を酌み交わすシーンで、木村がテキ屋を「国(つまりは地縁)に縛られることのないジプシーのような存在」と表現したところ、たちまち強く反論されてしまう。木村が称えようとしたのはそのフレキシビリティなのだが、気色ばんだ男たちは日本男児としてのプライドについてまくし立て、挙げ句には「三島は早く腹を切りすぎた」とまで言い出す。〈さしずめインテリ〉とたかをくくるテキ屋の警戒心は、同時に三島の知性に屈服感を抱くシネフィルの自尊心をもくすぐるのではないか。盾の会もあくまで飯の種と見なし、「天皇が喰わせてくれるわけではない」というリアリズムと無闇に意固地な帰属意識とがマーブルになって、視聴者に苦い印象を残す。
 そうした中で、森崎和江が訪ねた薬師寺の水神祭の開放的な空気がこの作品に織り込まれていることは何よりもの救いだろう。薄く柔かそうな真っ白い生地のチマチョゴリに身を包んだ在日朝鮮人の女性たちが太鼓のリズムに合わせて一心に踊り続ける。木村栄文が祭りばやしのなかから聞き取ったものは「ひとつの時代の終わり」と共生の呼び声でもあったのだ。

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