uemura

いがわうみこさんが好きです。

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    大東京万博

     PORINがPORINとして、押井守が押井守としての日常を生きる『花束みたいな恋をした』の東京で、雨宮まみはちがう名前と性格を与えられていた。それでも彼女がモデルであるとはっきりわかるライターの死は、有村架純が演じる絹に衝撃を与える。菅田将暉が演じる麦との付き合い始めに訪れた江ノ島の砂浜を茫然と歩く絹のモノローグが伝える喪失感は、雨宮さんの愛読者が2016年に味わったものだ。  寄る辺ない都市生活において、キラキラと輝くものへの憧れを抱く権利と尊さについて雨宮さんは書いた

      • 祈りにも似た何か

         天才鬼才もその昔は赤ちゃんである。よちよち歩きを記録したフィルムは、のちに名を為しでもしなければ埋もれてしまうのが当たり前であったのだが、YouTubeやTikTokの流行によって、まだ誰でもない私の表現を世界に向けて投げかけることが可能になった。「やってみた」というテンプレのエクスキューズに自己顕示欲を指摘してもしょうがない。慎ましさを装った狭量な価値観がこの十年でひとまず無効化されたことはプラスだと思う。何もかもをすっとばしてまずは手を動かす奴が見ることの出来る新しい景

        • バタフライ・アフェクツ

           のんがインスタグラムにアップする写真には岡村靖幸や満島ひかり、吉岡里帆、森川葵がよく「いいね」を押していて、そうしたシンプルなエールのかたちは、無言であるだけにひと際の感情が込もってみえる。『あまちゃん』を地で行くかのような彼女のキャリアは、たとえば大友良英や渡辺えりのように直接的にバックアップする者など様々で、ファンとしてはただただ心強く、うれしい。  『さかなのこ』の主人公であるミー坊もまたのんに似て、幾重にも連なる回り道をたどりながらも、どこか浮き世離れした雰囲気を

          • 子供は判ってくれな(くてもい)い

             奇書とひと口にいっても『ドグラ・マグラ』や『家畜人ヤプー』のようなメジャーどころから、目録マニア垂涎の希少本など様々で、毎週末に全国各地で行われる古本市には朝も早くから書痴が詰めかける。私にとっての奇書はそんな彼らからすれば間違いなく興味の対象外だろうし、悲しいかな、出版社が想定した読者層にとっても同じだろう。そのタイトルは『感動する仕事!泣ける仕事!』といい、学研から出た児童向けの学習参考書である。  映画ならびに小説やマンガなど、フィクションが子供に与える影響は大きく

            A STORY

             松尾スズキが『宗教が往く』を書くにあたり、小説というフィクションの約束事を利用するために整えたアリバイは、自意識過剰の産物と言えばそうで、しかしその長いプロローグは含羞のほどをよくあらわすものだ。何様意識に敏感な彼はナンシー関と同い年である。私小説のマナーに則って描かれる初婚の妻とのライフスタイルは、まあヤクザ的であり、当の本人らも一般人に対して少なからずの優越感を覚えていることが見てとれる。そんな彼らが封建的な日本を象徴する田舎の良識をうっちゃろうとして口に含んだアシッド

            黒い鏡

            〈笑いは難しいが、いわばヒットエンドランのようなもので、うまくいけば好機に転じる(撃ち合いもね)。賭けである。最近誰かが「批評は賭けだ」などと偉大なことを言ったが、笑いもまた賭けだ。この賭け抜きでは作品は魅力的になってくれない〉(青山真治『宝ヶ池の沈まぬ亀』より)  「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」で若木康輔のパートナーを務める大澤一生が開演の挨拶を済ませ、本日の主役を呼び込むと、カットが変わり、会場入口のドアを映し出す(生配信で見た)。今回のキャッチコピーは「ワ

            POP LIVES

             森田芳光監督作品のマイ・フェイヴァリットは『(ハル)』、『の・ようなもの』、『未来の想い出』、そして『キッチン』だ。  橋爪功演じる絵里子はトランスジェンダーの美的生活者で、好き嫌いの感情がはっきりしている。日常で普段接する人間に対してもジャッジの目はきびしく、ウマが合わないと判断するや、速攻で心にシャッターを下ろす。川原亜矢子演じる主人公・みかげは絵里子のお眼鏡にかなったのだろう。両手いっぱいから溢れるほどのカラフルなドレスをリビングのテーブルに広げ、みかげにプレゼント

            夜がまた来る

             『ラストナイト・イン・ソーホー』を観ながら『ソーホータラレバ娘』という邦題が頭に浮かんだので、感想文のタイトルもそれにしようかと思ったのだけれど、意味や語呂はともかくとして、映画のテイストとかけ離れ過ぎているし、何より日本人である私にとって、夜の闇に巣くう男たちの悪徳は、九〇年代の石井隆の諸作品を通じて馴染み深いものでもあるから、結局は『夜がまた来る』に落ち着いた。  「もしも私がブロンドのパリピだったら」「スウィンギング・ロンドンの時代に生まれていれば」。晴れてロンドン

            愛なき時代に生まれたわけじゃない

             老いてなおプレイボーイたるウディ・アレンの作風を水道橋博士が『夢の砦』に例えて間もなく、彼はハリウッドを追放された。引用されたタイトルは、小林信彦の代表作のうちのひとつ。主人公の辰夫のキャラクター造形は『ヒッチコック・マガジン』の編集長だった著者の体験をベースとしており、セリフには氏のエッセンスが詰まっている。例えば「モラリスト」について。 〈人間のあらゆる欠点を知り尽くした上で、なおかつ、自他に誠実であり得る人間。この上なくきびしい人間批評の眼を持ちながら、それでも他人

            オールド・ニュー

             映画本なんかを読むと、著者の世代が上でも下でも、登場する固有名詞は、大体がおなじみのものだ。未見の作品ですら、なんとなくのイメージは浮かぶ。地方民がスクリーンで観られる映画の本数は、東京民にくらべて断然劣るが、ラピュタ阿佐ヶ谷の上映スケジュールを眺めてはギリギリと歯噛みできるだけの知識は備えていたりする。普段からプロデューサーや監督、脚本家、俳優等が著した本を読めば、映画史と人脈が自然と頭に入ってくるもので、橋本忍の言い分は眉唾だとか、中島貞夫の頭脳の明晰さだとか、個々の評

            アジアの純真

             ヒッチコックときいて、まず思い浮かぶのはトリュフォーではなく宇多丸の世代で、頭のなかでは、岡村靖幸さらにRHYMESTERの「マクガフィン」が流れる。『北北西に進路を取れ』や『疑惑の影』、『知りすぎていた男』などのタイトルがリリックに織り込まれた傑作で、作曲の岡村ちゃんのペンも冴えている。マクガフィンを笠原和夫流に言い換えるならば「オタカラ」だろうか。敵味方のあいだで揺れ動く、物語のエンジン。 〈上辺ばかりで中身はなくたっていい〉  と言い切られても、それが阿部和重の「

            半透明な彼女たち

             六〇年代の日本映画、とくに大映のなんかを観ていると、やたらに登場人物が「ドライ」という単語を口にする。努めてそうあろうとする青年たちは慎太郎刈りで、スーツを着た太陽族といった趣だ。多感な十代に『太陽の季節』や『処刑の部屋』のアンチモラルな世界に触れたおかげで、日本ならではの情緒的な人間関係を忌むべきものと信じて疑わない。ドライな身振りは旧来的価値観へのカウンターであり、父母世代の年長者が眉をひそめる様をあざ笑う川口浩の笑顔は、名画座ではおなじみのものだ。若者はいつだって加害

            ときめきに死なず

             わたしの部屋は絵にならない。その時々の経済状態に応じてテキトーに買った収納にCDや本・マンガ、服を突っ込んでって今がある。雨宮さんの本のタイトルにならえば「自信のない部屋」です。  POPEYEなんかで取り上げられるシティボーイズ&ガールズのていねいな暮らしを具現化したような日当たり良好の部屋はもちろん、それとは対照的な、佐々木敦の事務所や草森紳一の終の住み処だって、なんだかんだでカオティックで映えるじゃないですか。雑誌に載んないような妥協の産物に巣くう億劫がりと友達にな

            仕事を休んでストーンズを観よう。

             ザ・ハイロウズ=『Kid A』論。これは田中宗一郎の見立て。いつかこのテーマで書いてみたいと言っていたが、今のところは手付かずのままみたい。もし書かれていたら「むき身の本質的な表現を求めたがるファンやメディアから身を守るためのシェルター」としての両者を比較分析したのではと思う。  『僕たちの嘘と真実』のなかで、振付師のTAKAHIROは、欅坂46の存在を「背負い人」と表現する。ドームに響き渡る熱狂的な歓声を一身に受け止めるメンバー。ほかの48グループのドキュメンタリーと同

            作ってみた

             とあるタイ料理屋さんで食べたフォーがおいしかったので、じぶんでも作りたくなった。あえてレシピは調べない。  スープは鶏肉とかつおぶしでだしをとって、塩とナンプラーで味つけする。パクチーを乗せてできあがり(麺はうちにあったうどんの乾麺)。  ホームランってレベルじゃない。微妙に惜しい。また作るぞー。  …次の日。絶対おいしくする自信があったので、2日連続でチャレンジした。  今日はかつおぶしに加え、乾燥エビでだしをとったら無茶苦茶おいしかった!正直、こないだのお店のよりか上な

            きみになりたい。

             枡席でクラブのホステスをはべらせ、国技館名物の焼き鳥をつまむ矢田部のスノビズムは、彼が理想とする、いささかステレオタイプな作家像をよくあらわしている。白髪をやわらかめになでつけた着物姿の彼の顔には深い皺が刻まれており、目元は窪んでいる。いかにも昭和の老文士といったそのルックスは、中村明日美子的な、いわゆるイケオジの溝呂木と同世代だとは一見信じがたいほどだ。  溝呂木が姪のコヨミに昔話を読んで聞かせた夜のシーンからして、二人の年齢は、いっても五〇前後だろう。物語の終盤で、矢田