見出し画像

祈りにも似た何か

 天才鬼才もその昔は赤ちゃんである。よちよち歩きを記録したフィルムは、のちに名を為しでもしなければ埋もれてしまうのが当たり前であったのだが、YouTubeやTikTokの流行によって、まだ誰でもない私の表現を世界に向けて投げかけることが可能になった。「やってみた」というテンプレのエクスキューズに自己顕示欲を指摘してもしょうがない。慎ましさを装った狭量な価値観がこの十年でひとまず無効化されたことはプラスだと思う。何もかもをすっとばしてまずは手を動かす奴が見ることの出来る新しい景色。
 『教室の片隅で青春がはじまる』が描くのはそんなみずみずしい青さだ。有名になって尊敬されたいという主人公のまりもは校内カーストの転覆をはかるべく人気YouTuberをめざす。記念すべき第一段の動画はメントス・コーラ。アップしても再生回数は伸びず、一軍女子にはバカにされてしまう。映像自体のクオリティも相当に低そうではある。しかしながら、ペットボトルから勢いよく噴き上げるコーラにまみれてまりもが味わった感激は彼女だけのものだ。たとえば、オーロラの美しさが目減りしないように、ある瞬間に立ち合うことの尊さは永遠である。まして、セッティングは自分である。メントスもコーラも日本全国のコンビニで買える。ありふれたものとものとが生み出す驚き。真似からはじまる学び。それに「私」を掛け合わせることでまたあらたな問いが生まれもするだろう。勉強は人のためにするものではないし、何だったら「私」の評価を他者に委ねる必要もないのかもしれない。開き直るでもなく自然にそう思えるようになってはじめてオリジナルな自分だけの人生を楽しむことができる。世界の中心を相対化することで人にもやさしくなれる。一軍女子のグループの舵取りをしながらも自らのスペックを低く見積り、すすんで脇役の立場に甘んじていためぐみがアイデンティティをつかむまでのプロセスは本作の白眉だろう。仕事を辞めて以来二年家にひきこもっていた姉のやむにやまれぬ思いに触れたことがそのきっかけで、姉妹の物理的・心理的距離をぐっと近づけたのはめぐみが普段バカにしているまりもであるのだが、彼女は知る由もなく、ローカルな都市伝説を信じてただがむしゃらにスマホのカメラを回していただけである。いわゆる中二病の女の子の山っ気が結びつけた無名の家族の絆なんて大文字の歴史には残らないけれど、どうしたってかげがえのないものだ。
 加えて、まりもの不器用な一挙手一投足は、親友のネルを常に勇気づけもする。それを感謝することばを聞いて、まりもの兄のりんたろうも改めて一生懸命な妹を見直す。としをとるごとに頑張ることの大切さや難しさは身に染みて理解できるし、人の心を動かすなんて凄いことだ。どんなに稚拙であろうと、体重の乗った表現は立派なコミュニケーションとして成立する。小さい頃から自意識が空回りして友達のいなかったまりもなりのやり方がやっと見つかったのだ。
〈やっぱ私の話って…つまんない?/私が話すとみんないつも静まって…/みんなバカだから理解できないんだって思ってたけど/もしかして違う?〉
 まりもがつまらなかったわけでもみんながバカだったわけでもない。未知の感性に面食らうのは大人も同じだし、言葉足らずの表現はしばしば誤解を生む。自分の何が悪いのかもわからないとき、人はどうすればよいのだろう。ネルの答えは卑屈になりかけたまりもの思いもよらないものだった。
〈それって/めーっちゃわかるっ!/わたしの言葉が水だとしたら相手に染み込まない感じ/するする流れてそのまま消えてしまうの〉
 わかられないことをわかりあうこと。どこにも受け入れられないからといって、決してひとりではないのだ。まりもの言葉は確かにネルに染み込んでいる。私をわかっていてくれる誰かの存在を肌に感じるだけで新しいアクションが起こせる。「変わってる」という何気ないひとことだって人一倍そう見られたい年頃のまりもにはガソリンだし、本来は自己肯定感の強い性格だからあとは人気者になるという目標に向かって突き進むだけだ。
 しかし、残念ながらというかむしろいかにも思春期の学生らしい理由で、二人の関係には亀裂が入る。りんたろうとネルが付き合うことになり、まりもが必要以上に意識して口をきかなくなってしまうのだ。友人や肉親のセックスというのはデリケートな問題で、どうしても生々しく感じられるし、りんたろうもネルもまりもにとってそれぞれ大事な人であるから、気まずさも寂しさもひとしおだ。めぐみの友人のマイも同様の悩みを抱えており、父と未来の継母を良く思えないでいるのだが、早熟な彼女は体裁を重んじて、複雑な感情を外に出すことはない。それでも根はやさしく、世間知らずなまりもが初めて街に下着を買いにゆくのをしぶしぶながらも案内するなど、面倒見がよくもある。
〈放っとけなかったんだろ/ヒーローって感じだ/かっこよくて嫉妬だ!〉
 邪心の一切ないまりもの称賛のことばはマイの心の奥に触れて、彼女の父への思いを引き出す。
〈寂しいよ/私のこともう見てくれないのかなって〉
 そのことによってまりもも改めて自分の夢と希望を確認する。子供が母親にする自慢のように、私の喜びのすべてをネルに見ていてほしい。
 結局は仲直りも出来ないままに遠くへと転校していったネルのために、まりもは配信でメッセージを送る決心をする。
〈何日でも何ヵ月でも何年でも語り続けるぞ〉
 私が私であろうとするための未熟な短編動画の数々は、巨大プリンを作ってみたり、ペットボトル・ロケットを飛ばしてみたりと、相変わらずネタ自体は目新しいものではない。それでもすべてにおいてまりもという人間の頑張りとチャーミングな人柄が刻印されており、チャンネルは次第に注目を集めてゆく。
〈まりもさんから前向きパワーをもらってる!〉
 ネルがいつかの夜にりんたろうに伝えた感激は教室という世界を大きく越えて、知らない誰かの心をも揺り動かす。たった一人の親友に向けたパフォーマンスがどうして普遍性を獲得するのだろう?瓶に詰めた手紙を海に流すような行為は見返りも期待できず、まりもはひたすらに信じるのみだ。きっとあなたは私を見ていてくれている。努力と根性と祈りのまぶしさ。ネルがまりもの個性に感化されたように、まりももネルを通じて新しい自分と出会えたのだ。彼女のひたむきさはそのお礼でもある。
〈おしゃべりをたくさんして/自分が知らない自分を知って/本当の自分を少しだけ打ち明けた(中略)相手が少し大人になったのを見て置いていかれたようで寂しくなったり/私はずっと知らなかったんだ〉
 私の中のあなたと、あなたの中の私。他者を認めることによって人はいくらでも大きくなれるし、その痕跡こそが世界を鮮やかに色付けるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?