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黒い鏡

〈笑いは難しいが、いわばヒットエンドランのようなもので、うまくいけば好機に転じる(撃ち合いもね)。賭けである。最近誰かが「批評は賭けだ」などと偉大なことを言ったが、笑いもまた賭けだ。この賭け抜きでは作品は魅力的になってくれない〉(青山真治『宝ヶ池の沈まぬ亀』より)

 「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」で若木康輔のパートナーを務める大澤一生が開演の挨拶を済ませ、本日の主役を呼び込むと、カットが変わり、会場入口のドアを映し出す(生配信で見た)。今回のキャッチコピーは「ワカキコースケ出家記念!さようなら聴くメンタリー」で、開催日がエイプリルフールとくれば、まあそういうことなのだけれど、律義に頭を丸めて、袈裟を羽織って登場した若木さんの坊さんルックには、思わず笑ってしまった。この時点でもう、賭けは若木さんの勝ちでしょう。カメラに向かってうやうやしく手を合わせるその殊勝な態度がまたニクい。

〈主に1960~70年代に制作されていたレコードを、映像のないドキュメンタリーとして捉え直してみようという〉(フライヤーから抜粋)のがこのイヴェントのコンセプト。地はおしゃべりな僧侶のワカキさんが、徳の高い(このフレーズは繰り返しのギャグになってもいた)フロアに投下した最初の一枚は、黛敏郎がオーケストレーションを務めた般若心経のレコードだ。彼が日本会議の顧問だったとは初耳。渡米によって国粋主義に傾斜するのは、江藤淳もだけど、ある種のパターンなんだろうか。

〈『忘れられた皇軍』や『絞死刑』をつくったときに考えていたことは、日本人は自分の像が見られないということです。ところが韓国という鏡に写すと日本人の姿が見えてくる。あるいは中国のドキュメンタリーをつくったときも、毛沢東の目には日本がどう見えたか、中国の民衆の目には日本人がどう見えたかということは絶えず頭にあった。そういう意味では僕はいつも鏡が欲しいのかもしれない〉(佐藤忠男『大島渚の世界』より)

 その鏡は自己に変調をもたらす容れ物でもあるだろう。たとえば、テナー・サックス奏者の高木元輝が武者修行先のパリのアパートで演歌のテープを聴いて、ボロボロ涙を流したというエピソード(副島輝人『日本フリージャズ史』参照)には、音楽家としての枠を越えた複雑な思いが見てとれる。

 黛の思想性とは別に、このレコードを聴く限りでは、曲中に殊更な和の要素は感じられない。ダイナミックなオーケストラに乗るお経を聴いて「ヴェルディの「レクイエム」みたいでなかなかカッコいいな。野田洋次郎がゴスペル風のコーラス(『天気の子』の主題歌等)にハマるのもわかる気がする。アガるものね」とひとり合点していると、曲が終わって開口一番、大澤さんが「下品ですね」と切り捨てる。怖い。

 続いて、今東光のお悩み相談盤。世代的に「ビートたけしのオールナイトニッポン」は一度も聴いたことがないので、番組の性格は、太田光や水道橋博士がたびたび各メディアで披露する証言から想像するしかない。たけしがあえて人を突き放すような過激な物言いを選んだのは、リスナーとの関係性をベタつかせないためでもあったのだろうと改めて思う。小林信彦が「金魚鉢の囚人(今読むと伊集院光をモデルにしたとしか思えないが、書かれたのは1974年)」で描いたように、深夜放送を愛好する若者の甘えは際限がない。今東光のべらんめえ口調による毒舌はちょうどいい距離感を保つためのクッションなのかもしれない。と言いつつ、この盤での今東光と若者との関係は、頼れる兄貴と悩める若者といった風ではなく、質問する側の若者が口の悪いおじいさんをイジっているようにも聞こえる。二人目の相談内容なんか、ほとんど確信犯だろう。こうしたインタビュアーの無遠慮は、寺山修司の「あなたは……」に通じてもいる。これについては、志人の『Heaven's 恋文』におけるサンプリングで知るのみなのだけど、スタッフが明らかにインタビュイーを「面白がる」スタンスでのぞんでいるのははっきりと伝わる(質問途中で吹き出してもいる)。一回性を宿命とするラジオならまだしも、物体として半永久的に残るレコードをつくるにあたって、四六時中の勃起に悩む体のふざけた若者の相談を採用しなくてもよいのでは?と首を傾げたくなるが、今和尚は親切にも、同業者の文豪たちの笑い話を例に採って、枯れと絶倫の両輪の行く先を指し示してくれる。

 ヴェクトルは違えども、屈折したマイク・パフォーマンスによるサーヴィスは、監督時代の野村克也の得意とするところでもあったが、『たたかうノムさん』に収録されたインタビューの声は、どちらかといえばにこやかに聞こえる。松本亀吉の『dexi journal nano』を読むと、

〈「ホークスは好きだったけど南海は今でも大嫌い」と断言した彼の名前は大阪球場跡地なんばパークス9F「南海ホークスメモリアルギャラリー」に一切記されていない。完全になかったことになっている。南海という企業の狭量を長年苦々しく思っていたが、没後の報道によるとノムさん側が提示を拒否していたという説もあるらしい〉

 とのことなので、廃盤レコードでしか味わえない貴重な蜜月の記録でもあるだろう。しかしながら、若木さんの言うとおり、ノムさんと沙知代夫人の振る舞いは、ゲット・バック・セッションにおけるジョンとヨーコそのままなので、球団の措置もむべなるかなという気もする。

 ここで虫の鳴き声を流してクールダウン。わたしが住む秋田の田舎では、プロ野球の季節が盛りを迎える頃には、虫と蛙が田んぼで毎晩の大合唱を繰り広げるので、前のレコードとのイメージの連鎖はバッチリ決まっている(ように聞こえる)。ポップスのアルバムの四曲目も大抵はバラード系だし。neoneo webの連載とはまたちがったDJ寄席としての構成が面白い。小野田さんの盤をかけるにあたり、トークのなかでは冗談めかして、虫とジャングルを関連づけていたりもしたけれど、日本の夏と戦争との結び付きようからすれば、ごくスムーズに感じられた。

 「小野田さんのことは、よくわからないです」という若木さんの解説をきいて、だからこそアルチュール・アラリは『ONODA』を撮ったのかもと思う。日本もまた鏡となり得るのだ。大島渚の日本人論の汎用性は高い。非合理と合理が裏腹の、ある意味ではお役所的な性格はヨノイ大尉の振る舞いに顕著だ。

 その小野田さんにインスパイアされたという秋吉敏子の『KOGUN』も彼女なりの「僕って何」だろう。掛け声や拍子木で歌舞伎を連想させ(個人的には、近藤等則IMAも)、東洋的なメロディを奏でたかと思えば、ブラス・アレンジは「ブラック・ジャズ」レーベルに代表されるスピリチュアル風でもあるし、ビリー・ストレイホーンのような甘さを湛えてもいる。デューク・エリントンの若い衆のチャールズ・ミンガスが彼女のセンスをホメたのも納得だ。

 レコードを流したままブレイクに入り、第二部はワカキさんの毒舌で幕を開けた。

 「こういう中央線沿線的な選曲はいかにもでダメだね」

 後半は今東光マナーで通すのかと思いきや、そんなことはなく。でも、実のところ、秋吉敏子はサブカル者にとって縁遠い印象があるので(中央線ジャズ=アケタの店というような)、微妙なラインをついてはいる。七投目の「めざせモスクワ」の能天気極まる折衷性とは、きれいに好対照でもある。

 打って変わって次の盤は、本イヴェントで唯一日本からかけ離れていた。嵐の夜に救援物資を届けに走る汽車の英雄的行為を称える疑似ドキュメンタリー。いかにもハリウッドが好みそうな題材だ。しかしながら、盤だけを聴いて、その切迫感が伝わったかといえば正直微妙かもしれない。ドキュメンタリー映画のプロデューサーである大澤さんが解説するとおり、録音に工夫の跡は見られるけれど、ジャケットほどのスペクタクル性を表現するまでには至っていないし、製作陣も承知の上だろう。それでもあの夜の栄為をどうにかしてかたちに残しておきたいというアメリカ人のロマンチシズムは、はっきりと美徳だと思う。

 そして、いよいよクライマックス。東京大空襲をモチーフにしたレコードの二本立て。ジャケットを和田誠がデザインした盤については「子供が聴いたらトラウマになりますね」という大澤さんのひとことに尽きる。戦禍の詳しい様を伝えるよりも、不穏かつ陰惨なムードに特化したいずみたくのミュージカル演出はクレバーだ(『パンをふんだ娘』を思い出した)。子供にとって、具体性は不向きである。もう一枚の盤に刻まれた、老夫人の素朴な語りの重みを汲み取るには、それなりの人生経験が必要だろう。焼け野原の東京がプロジェクターで映し出され、若木さんの坊主頭が黒いシルエットになる。あくまで九条の護憲を強調したうえで、自衛としての武力の役割を説くくだりは腑に落ちた。

 空海の肖像画を模した大師ワカキのフライヤー(法具とレコードを持ちかえるなど、芸が細かい)のヴィジュアル・イメージと選盤との関連性のほどは、どれくらい意図されたものかわからないけれど、本イヴェントはレコードを通した日本論であるようにも思えた。それはただドメスティックなものではなく、大島渚が言うところの鏡を用意したうえでの自己分析だ。締めには『セーラー服と機関銃』のサントラをかけ、相米慎二伝説の形成に加担したかつての自分(たち)にちゃんと懐疑を示しておく。世界的な潮流に媚びたのでもないことは、若木さんのふだんのツイートからしてもわかる。

 映画の現場で一般性を失ってゆく自分に涙した薬師丸ひろ子の悲しみは、ドーランを塗られた顔の情けなさに打ちひしがれた若き高倉健が味わったものだ。映芸の相米慎二の追悼号では、澤井信一郎が「いたずらにリテイクを繰り返すのじゃなくて、改善点があれば具体的に指摘すべきだろう」というようなことを述べていた。那須博之のしごきに辟易して映画界と距離を置いた中山美穂のエピソードを聞くにつけ、セーラー服と時期を近くして、『Wの悲劇』の現場に参加出来たことは、薬師丸ひろ子にとって大きなプラスだったにちがいない。女優として大成した現在の姿がその証左だろう。真っ黒なレコードの盤面に映し出されるのは過去だけじゃない。次回の「聴くメンタリー」も楽しみにしています。


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