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【今週の読書】他者を許せる気付きってどう作るのか。与えられたものだから楽しめることもある

今週はWasei Salonの月一恒例のちくまQシリーズ読書会でした。僕はこの読書会が楽しみで、テーマを気にせず、むしろ新しいテーマをいただくつもりで参加しています。自分の関心とは無関係に与えられたテーマだからなのか、主催者の人柄なのか、なんとなくこのちくまQシリーズの読書会は笑いが多いのですよね。

今週はもう一つ、本ではなくAudibleで聞いたのが、伊坂幸太郎さんの小説「逆ソクラテス」。逆ソクラテスに出てくる先生と同じような先入観のある先生の話を、読み終えたあとにリアルに聞いてしまい、どういう風に先生に伝えればいいんだろう、いや、先生に気付いてもらえればいいんだろう、って悩んでしまいました。

他者に伝えること。相手に良いを伝えること。それを持って行動を促すこと。

すごく大事だと思うんだけど、なんかできない自分がいるのですよね。
だから、僕は直接伝えるのではなく、自分で気付いてもらう環境を作りたいって思ってるんだと思い始めました。

来てくれる者にはちゃんと向き合う姿勢でいますが、来ない者に対してどこまで介在するのか。介在の仕方として、積極的じゃなく、環境作りという間接的やり方を僕は考えてるんでしょうね。それだけでいいとは思っていないですが、でも私に今できることは環境作りかなって思っています。

そんなことをモヤモヤ考えていたら、今日から読み始めている近内悠太さんの「利他・ケア・傷の倫理学」の冒頭に書かれている、プレゼントを渡すことを恐れていないか、という問題提起がまさに自分と同じだと思って、ドキッとしました。今の私の問題にピッタリの本のように感じて、来週の読書がまた楽しみになっております。この本は、木曜日にWasei Salonで実施する読書会の本になります。読書会も楽しみだ!読みきれるかな。

それでは今週の読書感想文です。「利他・ケア・傷の倫理学」の感想はまた来週〜。
(オリジナルはブクログです。感想は本を読んだ当初のものです。)
(「共感する病」という本は、今週読んだ本じゃないですが、逆ソクラテスの本を読んでつながりを感じたので、過去の感想文を載せておきます)


悩んでなんぼの青春よ ―頭がいいとはどういうこと? (ちくまQブックス) / 森 毅

人生いろいろ
それを理解するのにすごい年月掛かるんだろうなー

高齢者はそれを理解し始めてなのかわからないけど、幸福度が増すとよく聞きます。
可能性に開けているとき、可能性の限界を感じているとき、可能性を受け入れるとき。人生のフェーズで考え方が変わるなら、それを自覚して、迷ったときにちゃんと気付いていけるといいなと思います。そのために、人生を20年区切りで考えたり、色んな世代の人と交流したりすることがいいんでしょうね。

以前、対話会で「定年は早いほうがいいか、遅いほうがいいか、むしろない方がいいか」みたいな話しをしたことがあります。その意図は、定年後の第二の人生をもっと早めに考えて、体力があるうちに自分のやりたいことをやった方がよい、ということだったと記憶しているのですが、この人生の区切りを他者から強制されることの功罪もあるな、というのを考えたことがありました。全員一致している区切りがあるからこそ、自分の人生を考える機会にもなるし、目標にもなる。学校がいい例ですね。一方で、全員一致のタイミングではなく、自分のタイミングでやればいいのでは、とも思うのですが、自ら踏み出す勇気がなくダラダラ続いていくのが社会人ですね。このバランスは何なのか、を考えると、自分らしく行きていってもいいよ、という環境づくりがキーになるなって思っています。飽きない仕掛けを作って滞留させるのではなく、飽きたときにどうしたいを自分で考えられる環境づくりを頑張りたい。そのヒントがこの本にありそうでした。

それにしても読みにくい本でした。関西弁だからなのか、口語調だからなのか。疲れたときに読むと全然頭に入ってこなかったです。もう一回読もうかな。これこそAudibleとかで朗読してくれるといいのかも

逆ソクラテス / 伊坂幸太郎

短編小説がちょっとずつ繋がっている。そんな仕掛けが面白い。

無知を自覚する、自分を壊す、自分のために他者を許す

短編の中にわかりやすくも深い人生の生き方みたいなものを語っていて、面白かった。最後に書かれていましたが、子どもを主人公にしているので、小学生でもわかりやすく、娘と一緒に読んで対話してみたい本でした。

印象に残っているのは、「アンスポーツマンライク」の物語。
テロ組織からの投降した兵士の社会復帰を支援している アクセプト・インターナショナルの永井陽右さんの著書「共感という病」を思い出しました。
テロリストにどうやって共感するのか。つまり、共感できない人をいかに救うのか。
理性が必要、と言っているのですが、そう言ってもモヤモヤが残る人はいると思います。アンスポーツマンライクの物語は、無差別殺人者への共感を見事に描いていて、こういうストーリーがあることをちゃんと知っておくのは本と大事だし、物語だからできることだなと思いました。最後の「逆ワシントン」の物語で出てくる家電量販店の説明員はもしかして。。。がんばれ!人生はいつでも味方だよ

ちょっと知的な勇気あるわけのわからない友だちがいると人生面白そうだな。

共感という病 / 永井陽右

ギャンブルに失敗して金もなく、酒に溺れて今にも餓死しそうなおじさんをあなたは助けたいと思いますか?

めちゃくちゃ考えさせられる問いですね。

マイルドに書いていますが、著者は紛争地帯のテロリストに対して、更生の支援をしているので、テロリストを助けようとしているのです。

テロリストにも人権はある。
生まれながらにしてテロリストになったわけではなく、なるようにしてテロリストになった。
なんなら、社会がテロリストを作ったと言っても良い。
そんなテロリストに向き合い、本当はどうしたい、というのに向き合う著者の仕事は本当にすごいと思う。

共感できない人には、理性で立ち向かう。
一時の感情に流されず、良き社会のために行動するには、ある程度理性を働かせないとダメそうですね。怒りの感情が湧いた時は一呼吸おいて行動しよう、というのと同じ。どんな人にも等しく人権がある、とした時に、その理念に従うためには一呼吸おいて、理性のもとどうすると考えないと許せなさそうですね。

理性を持って、良き社会を作る、というのは理解しつつ、だいぶ難しいし、お前はどうなんだ、というマウントを取られそうで少し怖い気もした。

そう思っていた時に、内田樹さんの対談がすごく印象的だった。
惻隠の情、理性に関係なく、手を差し伸べたいという感情に先ず向き合おう、ということ。そして、自分一人でやるのではなく、社会みんなでよることを考える。自分100%じゃなくて、自分が2割くらい貢献できれば良い、あとは、未来に託す、くらいの感覚で良い、と言ってくれたのはなんか救いだった。社会みんなでやることを集団的知性と呼んでいて、これを身につけるためには、普通にしていればよい、というのも救いでした。

理性とは、自分の感情と向き合った先にある。
そんな気がしました。

まずは自分が救いたいと思う人を救う。
自分ができることで他者がやらないことをやる、ということから救える人を増やしていく。
そうして、みんなで社会を良くしていく、ということなのかなと思いました。

自分に向き合う
他者に流されない
他者と共に作ってる感覚になる

共感とは同調ではなく融合なのかもですね


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