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謝罪の言葉に含まれるもの

「謝られるとみじめになる」

これを聞いて理解ができませんでした。
”謝ると”ならまだわかります。非があった過去の自分に対して、情けないと思う気持ちは理解できるからです。

しかし、相手から謝られて、何に対してみじめな思いを感じるのか理解できませんでした。そもそも、私が惨めな気持ちになったことがないから、という要因もあるかもしれません。それでも力不足を感じ、情けなく思うことはあります。

ところが、みじめを情けないに換えたとしても納得ができません。
私にはみじめな思いと謝罪が結びつかないのです。そこで、謝罪の気持ちと用途、みじめになる感情を整理しようと思います。


「謝る」についての理解

謝る行為は自分の非を認めてそれを相手に伝える”手段”だと考えます。相手に迷惑をかけた、もしくは、相手の何かを割いてもらう必要があるとき「ごめんなさい」「申し訳ない」といった言葉を使います。

この言葉を使うとき、罪悪感や後悔などの気持ちがあったり、その場を鎮めるためや定型文もしくは世渡りであったり、様々な思いと用途が思い浮かびます。今回はビジネスで使用されるものに関しては触れないため、これらを謝罪の言葉と表します。

これらに共通するものとして「現状を改善したい」という思いがあります。

相手に伝えることで反省や改善したい意思を表し、未来に向かう種として植えることで、身になるように、過去の行為が無駄にならないようにしているのだと解釈しています。

以上が私が思う謝罪の言葉の意味と用途です。

言葉の意味

ここで、言葉の意味が間違っていないか調べることにします。
まずは「謝る」

あやま・る【謝る】
[動ラ五(四)]《「誤る」と同語源》
悪かったと思って相手に許しを願う。わびる。「すなおに―・りなさい」
困る。閉口する。まいる。「あいつの押しの強さには―・る」
困って断る。辞退する。「めんどうなことは―・るよ」

謝る(アヤマル)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

ここで取り扱いたい意味は1のわびるが該当します。
同語源とあるので、「誤る」についても見ておきます。

あやま・る【誤る/×謬る】
[動ラ五(四)]
やりそこなう。失敗する。「機械の操作を―・る」
まちがった判断や予測をする。思いちがいをする。「進むべき道を―・る」
正しくない方向に導く。「後人を―・るような言動」
道理や正しい判断からはずれる。当を得ない。まちがう。「―・った認識」「―・れる優越感」
約束を破る。「契れること―・れる人に」〈伊勢・一二二〉
正気でなくなる。心が乱れる。「心弱からむ人は、―・りぬべき心地して胸走る」〈栄花・初花〉

誤る(アヤマル)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

こちらに関しては、間違えるといった用途が多そうです。
余談ですが、誤ると謝るって面白いですね。
過去の誤り(失敗、間違い)を認めて、
現在で謝る(わびる、許しを願う)
ってところが、時間の流れを感じます。

ということで、「謝る」に関して私が思っていた意味と大きく相違はありませんでした。

次に、「みじめ」について調べます。

みじ‐め【惨め】
[形動][文][ナリ]《「見じ目」の意》かわいそうで見るにしのびないさま。いたいたしいさま。「惨めな暮らし」「惨めに負ける」
[派生]みじめさ[名]
[類語]悲惨・惨烈・凄惨・惨憺・暗澹・哀れ・可哀相かわいそう・気の毒・不憫ふびん・いじらしい・痛ましい・情けない・見るに忍びない・痛痛しい

惨め(ミジメ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

こちらに関しては私の理解が乏しいため類語も見ていきます。
「情けない」が類語にいました。あとしっくり来たのが「哀れ」です。調べてみて思ったのですが、”かわいそうで”が理解できないポイントかもしれません。

「みじめ」についての理解

私の話になりますが、惨めはあまりいい言葉ではないので、人に対して向けたくない、と感じました。というより、人の性格や行為に対して、悪い印象しかない場合、私が思うのは”哀れ”一択です。それが悪いことだと気づけないことに対して、かわいそうというか、残念だなと感じるのです。
つまり、”惨め”より先に”哀れ”が身近に感じるため、惨めがしっくりこないのかもしれません。
そして、今回の話題では惨めの対象が言葉を放つ当人に向けられています。これが、余計に理解できないポイントだと思いました。

それは私が自分のことを”かわいそう”と思うことがないからです。

既述したように、自分が見えていない残念な人に対して抱く感情が”かわいそう”です。私の場合ですが、、
この通りの”かわいそう”が自分に向くとき、つまり、自分が哀れな行いをしたとき、という状況になります。この状況で思うことは後悔あるいは反省、それこそ誤ってしまったという現状の認識です。
行動の違い、もしくは”かわいそう”に対する認識の違いですかね。

他の方がどういうときにかわいそうと感じるのか、どういう意味で捉えているのかを知ることができないので、何とも言い難いですが、こういった理由で、自分のことを可哀想だと思うことがありません。
(追記. 誤解のないように書いておきますが、不憫な過去や状況に対しても可哀想と思うことはあります。可哀想の用途の1つとして残念な人に思うだけで、心を痛めるときにも可哀想と感じます。)

したがって、自分に対してかわいそうと思う状況が想像つきません。ということで、調べてみると「自己憐憫」が目に留まりました。まさに私が理解できない感情の言葉です。

自己憐憫からみじめを考える

今回マイナビウーマンの下記のネット記事を参考にさせていただきました。

この記事によると、自己憐憫に陥る人には、不幸な自分を感じていることから、意識的でも無意識的でも周囲の気を引きたいという思いがあるようです。

これを見て、過去に愛されている実感を得られなかった人が、自分を認めてほしさから自己憐憫に陥るのではないかと考えました。

「謝られるとみじめになる」と言った方は二人おり、どちらも不憫な生い立ちがあります。このうちの一人は母です。
私から見て、母は愛されています。しかし、当人はその実感がなかったのです。それは、幼少期に家庭の事情で親戚に預けられ、そこで邪険にされていたことが主な原因のようです。

こういったことから、愛されている、気にかけてもらうといった経験や実感が少なく、自分の感情(あるいは欲求)を押さえつけていた過去が影響しているのではないかと思いました。

以上から、「謝られるとみじめになる」といった言葉には、愛されていない、見てもらえない自分に対して謝られていると感じたことで、みじめになるといった現象になるのではないでしょうか。

おわりに

読んでくださり、ありがとうございました。
目次をつけてみました。見やすくなっていると嬉しいです。

「謝られるとみじめになる」という言葉の意味や背景を推測してみて、腑に落ちる答えが出たと思います。しかし、これに対して何と声をかければいいのか、状況や人によるとは思いますが、やはり対人は難しいです。あらためて、伝える言葉や思いに気をつけようと思います。

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