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InstagramとXのアプリを消して1週間

大学入学と同時にアカウントを作ったInstagramとTwitter。
利用を開始して8年になるが、周りと比べてもInstagramはかなり利用していた方だと思う。
メインで使うアカウントの他に、自炊した料理をアップするためのアカウント、さらに駐在を始めてからのマレーシア用のアカウントを持っている。


マイナスなことは載せないようにしていたが、日常の些細な出来事から休日のお出かけや旅行の様子、読んだ本や観た映画、ライフイベントの報告など、いわゆる “キラキラした生活“ を切り取り、少なくとも1週間に1回以上はストーリーやフィードを更新していた。

“できるだけその時の感動そのままをリアルタイムで共有したい“ という思いがあったため、旅行中などは “ミシン目“ を作ってしまうほどに、事細かにストーリーに写真をアップし、その投稿への反応を逐一気にして何度もアプリを開いていた。
当然、充電もすぐになくなってしまっていた。

申し訳ない気持ちももちろんあるので、“投稿したい“ という旨は事前に伝え、同行者がスマホを触るタイミングや、トイレの待ち時間などを利用するように心がけていたが、明らかに目の前の景色や体験よりも、オンラインの世界に意識が集中していた。
友人や家族には嫌な思いを沢山させてしまっただろうと反省している。


また、“このストーリーをみて欲しい人“ が “見てくれたかどうか“ を足跡機能で確認したり、投稿毎に “親しい人“ を調整したり、こうして冷静に振り返ってみると馬鹿馬鹿しいことにかなりの時間を費やしていた。

海外に移住をしてからは、「投稿楽しみにしてるね」「生存報告してね」という友人の声をいいことに、ほぼ毎日のようにストーリーを更新していた。そして疲れた。

このように、もはや“黒歴史“とも言えるような失態は枚挙にいとまが無い。
元々は “自分の思い出の記録用“ として始めたはずのInstagramが、いつしか “自分をブランディングするためのツール“ になり変わっていたようにも思う。
私はInstagramをうまく利用できてはいなかったのだ。


1週間前、InstagramとXのアプリを削除した。
Xは元々そんなに利用頻度が高くなかったのですぐに慣れたが、Instagramについては、まだ1日に何度かブラウザからアクセスをしてしまう。
しかし、アクセスをするだけで特に何もせず、人のストーリーを覗く訳でもなくブラウザを閉じている。
友人の投稿を見ないことへなんとなく罪悪感を感じ、Instagramから距離を置いている ことをプロフィール欄に明記している。

ここからまたどういった気持ちの変化が起こるかはわからないが、
この1週間はとにかく “自分のInstagramの使い方への反省“ の気持ちが大きかった。
たとえアプリを再インストールしたとしても、“もうそのような使い方はしない“ と胸に刻むことができたから、それだけでも大きな成果だと思う。

これからは、もっと自分や目の前の人との時間を大切に過ごしていきたい。

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