我々は「映画館」の何にお金を払っているのか?
1,映画館にお金を払った時の謎の違和感
私はコロナ禍で映像作品鑑賞が好きになった。3つの動画配信サービスを行き来し、自分の好みや他人から鑑賞を勧められた作品を好きな時間に好きな体勢で見て楽しんでいる。外出自粛が正義とされがちな今の社会で動画配信サービスは人々に娯楽を与える点で大いに役立っていると思う。私もその一人だ。
先日、映画館に行った。
これは毎回感じることだが、自分が見たいと感じた作品ではなく映画鑑賞という行為そのものを好きになってから劇場に足を運んでみると、自宅で映画鑑賞する時では味わえないような雰囲気を楽しむことができているように思う。
いざ、上映開始前のシアターに足を運ぶと、私の席の周りに中高生くらいのグループが複数座ってきた。彼女らは友人との会話を楽しんだり、スマートフォンで2ショットを撮るなどして上映開始前の時間を楽しんでいた。
ここで私は、「自分含め、我々は映画館が提供する何に対してお金を払っているのだろう?」という疑問を持った。
よくよく考えてみれば、見る映画にかけられたお金が高額だろうが低予算だろうが、料金は年齢や立場によって一律である。鑑賞する作品が結果的に高評価だろうが低評価だろうが、評論家からどのようなジャッジを下されようが料金は一律である。
シアターで上映される作品そのものに関していえば、劇場公開が終了した後、レンタルショップでレンタルが開始され、時間が経てば経つほど新作→準新作→旧作と変化して値段的な価値は下落していく。DVD等の円盤購入でもレンタルとほぼ同様だ。作品によっては「金曜ロードショー」などでテレビさえあれば無料で見れてしまう。動画配信の月額定額サブスクリプションサービスを利用していれば、いつかは配信される。
これらの事実から読み取るに、鑑賞者は映画館に対して、これから鑑賞予定の作品そのものに対して料金を払っているわけではないと考えられる。
では、我々は映画館という一種の娯楽施設が提供する何に対して料金を支払っているのか?
2,我々は映画館の何にお金を支払っているのか?
結論を先に述べると、我々は映画館という空間を観賞する作品の上映時間分利用できるということに対して料金を支払っているのではないかと考えられる。
TOHOシネマズ株式会社の代表取締役社長、池田隆之氏は代表者挨拶にて
変化の激しい現代、技術の進歩、とりわけデジタル技術の発展ぶりには目を見張るものがあります。今では家庭に居ながら、何時でも、観たい作品を大画面のテレビで楽しむことができますし、携帯情報端末で映画を1本丸ごと観られるような時代となりました。そのような時代、映画館が、これからも人びとから愛される空間であり続けるためには、より一層の努力と工夫が必要だと、私たちは認識しています。(引用:TOHOシネマズ株式会社 会社案内 代表者挨拶)
と述べている。この挨拶からわかるように、映画館での映画体験を提供する側も映画館を一つの空間と定義しているのである。前節で述べた、劇場公開が終わった後に作品を見るための案として例を挙げた、レンタル、円盤購入、動画配信の月額定額サブスクリプションサービス、このすべてが作品を視聴する際に場所を選ばない。レンタル等に関してはテレビがあれば自宅である必要はないし、サブスクリプションサービスに関して、世帯別のスタートフォン所有率が約78%とこのサービスにアクセスできる携帯のデバイスをもつ世帯割合がほぼ8割の現代においてはテレビ以上に場所を選ばない。
代替案が映像作品を見る手段として場所という障壁を取り払い、見ることに対してのハードルを下げたことに対し、映画館での映画鑑賞体験は、場所が絶対無二の価値として重きが置かれているのである。
3,空間に料金を支払うという概念
前節にて私は、映画館が提供する価値はシアター、映画体験の一要素として組み込まれる空間であると述べたが、空間に料金を支払うという概念はもしかするとわかりにくい概念であるかもしれない。だが、テーマパークにも通ずるところがあると説明したらどうだろうか。私はディズニーというブランドが好きで、テーマパーク市場を代表するパークである東京ディズニーリゾート(以下:TDR)にも足を運ぶが、パークに足を運ぶにつれてテーマパークの価値の一つは空間であるという考えを持つようになった。
「テーマパーク」
入場料をとり、特定の非日常的なテーマのもとに施設全体の環境づくりを行い、テーマに関連する常設かつ有料のアトラクション施設(*)を有し、パレードやイベントなどを組み込んで、空間全体を演出する事業所
引用:経済産業省「平成27年特定サービス産業実態調査報告書公園,遊園地・テーマパーク編」
経済産業省もこのように定義している通り、テーマパークもまた映画館同様「空間」に大きな重きを置いている。TDRに存在する東京ディズニーランド、東京ディズニーシー(以下:TDS)の2つのパークでは、経済産業省による定義に基づき、徹底的に空間を演出している。この2つのパークでは現在、例えば1dayパスポートの購入であれば10時の開園から19時の閉園までの9時間を8,200円で楽しめる。(※2/13 土~)来園者である我々は8,200円を支払うことで、オープンしているほぼすべてのアトラクション、ショーを楽しむ権利を獲得する。コロナ禍で完全ではない現在の状況に関して、ディズニー関連のツイートを行う、または他人のディズニーに関するツイートから情報を収集することを目的としたTwitterアカウントからは「1時間で1,000円分楽しめるかわからない」というようなツイートが散見されるが、人によってはアトラクションにも乗らず、ショーも観賞しないで長時間過ごす楽しみ方もあり、一定数そのような楽しみ方をしている来園者は存在すると考えられる。そのような来園者の目線からパークの価値を考えると、アトラクションやショーの体験価値に対して料金を支払っているとは考えにくい。全ての来園者に共通する価値はやはり、パークが提供する空間であると考えられる。
画像元:TDR公式Twitter
例えば、上の画像は特にアトラクションの待機列に存在するわけでもないTDSで見られる風景であり、多くの来園者はこの風景に興味を持たず通り過ぎる。これがパホイホイ溶岩といって粘性の低い岩質からできており、プロメテウス火山の噴火やその性質を知る重要な要素なのではないかと考え、熱心に調べ始める人はそう多くない。だが、テレビにて、パホイホイ溶岩の作りこみがすごいと紹介された時、この風景と関連があるミステリアスアイランドを通ったときやそのエリアに存在する施設を体験したとき、多くの人は「ディズニーすごい/ディズニーっぽい」という抽象的な言葉を口にする。こういったアトラクションにもショーにも関係のない部分(完全に関連性がないとも言い切れないが…)こそが「ディズニーっぽい」という雰囲気を生み出している正体であり、ディズニーパークに足を踏み入れた者の全てに共通する価値、ミッキーマウスやドナルドダックに勝る真の主役なのである。
ディズニーがスクリーンの向こうで展開した映像作品の世界を現実で表現する、過去の時代まで遡り、本来体験不可能であるはずの文化を楽しむ。現実的に考えれば「そう簡単にできない/ありえない」話を演出した空間をTDRは提供している。空間にお金を払うという概念は我々から遠い場所に存在する話ではなく、意外と身近に存在するものなのである。
4,映画館が提供する空間の性質
空間に料金を支払うという概念について理解を深めたところで話を戻し、本節ではその正体、映画館での映画鑑賞、その性質について具体的に述べていこうと思う。
画像元:TOHOシネマズ仙台 施設紹介
この画像は、私がよく足を運ぶ映画館「TOHOシネマズ」にあるシアターの一つである。全体が黒を中心とした暗めの色で統一されており、上映開始後は非常灯も含め消灯され、スクリーン以外の光が排除された空間となる。TOHOシネマズ以外でもこのような空間となっている映画館は多いだろう。
このようなデザインが何を意味するのか。「黒」という色は光を反射せず、すべての色を吸収する色であり、実際には奥にあるものが手前に見えるような効果を他の色に対して与えるとされている。つまり、全方向に広がる黒に近い暗めの色は前面のスクリーンを存分に引き立て、テレビやスマートフォンで映画鑑賞をするよりも格段上の没入感を味わうことができるのである。壁に埋め込まれているか、それに近い形でスクリーンが配置されているという構造も、この額縁効果を演出するためであろう。
上映開始後は上映されている作品を撮影、録音をすることは映画盗撮防止法によって禁止されている。また、全国興行衛生同業組合連合会による映画鑑賞マナーとして、上映中における携帯電話の電源OFFや会話を控えてもらうよう呼び掛けている。このような法律やマナーも結果的に観賞者を支配し、シアターという空間の価値をさらに高めることに貢献しているように思われる。
例えば、映画館以外における映画鑑賞では、映画館と同じような状況様々な誘惑が付いて回る。映画館と同じように周りを暗くしようと考えても、家族と同居しているとそう簡単にはいかない。いざスマートフォンで鑑賞をはじめたとしても、途中で仕事先から電話やラインが来るかもしれない。映画館での上映開始前と同様に公開予定作品の予告編をみはじめても、関連動画として映画とは全く関係のない動画のサムネイルが見えてしまうかもしれない。他人からの干渉がなくとも、ふと画面から目を離したその瞬間に自分の部屋に置いてある漫画が目に飛び込んでその漫画に興味が移り、映画鑑賞そのものをやめてしまうかもしれない。
だが、映画館では料金を支払い、シアターという空間に入ることで、現実からの離脱が保証されるのだ。鑑賞者はスマートフォンの電源を切り、多くの誘惑を持ち合わせたデバイスの行動を早々に止めることができる。余計なものはおいてなく、漫画や雑誌を読むに適した光はないのでそのような行為をする考えに至らず、他のシアターで上映されている作品の音声は防音機能やシアター内の大音量、シアターのドアを閉めることでかき消される。予告編で関連動画のサムネイルは当然ながら映し出されない。時計もないので時間を気にすることもない。このように、鑑賞者が法律や鑑賞マナーを守ることによって映画体験をするための完璧な空間が完成しているのである。
先日の映画鑑賞で私の周りに座っていたグループも、上映開始直前になると会話をやめ、スマホの電源を切り、映画鑑賞のための準備を行った。携帯電話の主役はフィーチャー・フォン(所謂ガラケー)からスマホへと移行し、カメラ起動までの時間が大幅に短縮されたことからそれを多用し、体験そのものよりも「体験をした」という事実、無形よりも有形のものに重きを置きがちだが、映画館はそのような強い時代の波すら排除し、体験そのものという無形を提供できている。
TDRが表現しにくい世界を表現した空間とするならば、映画館は現実世界から完璧に隔離した空間なのである。
5,空間の使い方
前節で述べたように、私はこの現実からはるかに遠い場所にある空間で一人映画体験を楽しんだ。では、私の周りに着席したグループはどのようにこの空間を活用したのだろうか。もちろん、私と同じように空間や体験そのものを楽しんだことも考えられるが、2人以上となると別の要素も加わってくるように思われる。
主たるものは、会話なきコミュニケーションという側面ではないかと私は考える。長編映画はだいたい1~2時間、長い作品であれば3時間を超えるものもあるだろう。上映中、ほとんどの鑑賞者は作品の始まりから終わりまでを楽しむ。作品が終わる前にシアターから完全に立ち去る者はほとんどいない。カフェやレストランの場合、一般的に座席に対しての制限時間や、利用開始と利用終了の区別がなく好きな時間に店を後にすることができる。故、滞在時間は映画ほど長くはないと予想される。同じ作品、同じ空間を長時間、他人と共有することで会話がなくとも友好関係を深めることにつながるのではないだろうか。
従来から,主観的幸福感の高い人の対人認知の特徴として,主観的幸福感の高い人はそうでない人より他者と良好な関係を維持していることや友人との付き合いに多くの時間を割いていることが指摘されてきた。
引用:「余暇における他者との交流が主観的幸福感および抑うつに及ぼす影響」(著:立教大学大学院現代心理学研究科 川久保 惇 氏、立教大学現代心理学部 小口 孝司 氏)
上記引用文から見て取れるように、他者を介して自己の幸福につながること、良好な関係と割いた時間との間に密接な関係があるとも想像できる。私が先日の映画鑑賞で目の当たりにしたグループにも同じことがいえると思われる。上映開始前は写真撮影やたわいもない会話、上映される作品への期待等、対話をする空間として、上映中は同じ時間を他人と共有する空間として、上映終了後は開かれた出口から現実空間に戻り、上映された作品やシアター空間での体験について、現実世界を目の当たりにしその差を実感するところから余韻に浸り、日常へと戻る出発点として、さらには友人や恋人との仲を深める目的でこの映画館を活用していたのではないかと私は考える。
私のように、映画を一人でその空間だけを楽しむ者がいれば、複数人で体験を共有し、対話することを楽しむ者もいる。上映される作品の上映時間が2時間であれば、1時間1,000円で完璧な空間を自由に使い、映画鑑賞を自分のスタイルで楽しむことができるのだ。
6,まとめ
まとめると、我々は映画館が提供する空間に対して料金を支払っており、シアターの入り口を通り抜けた時点で現実世界から離れ、完璧な隔離空間を活用することで映画鑑賞を楽しんでいるものと考えられる。「誰と、何人で」体験するかによってもその空間から感じ取れる要素は変化するのである。
しかし、現代では新型コロナウィルス感染拡大によって、鑑賞者が劇場に足を運びにくい状況になっており、他人に感染させたり、他人から移されるという状況を避けたいという考えから、映画館という完璧な隔離空間、ある意味プライベートな個室で同じ時間を共有するという体験もやりにくくなっているように思われる。だが、映画館も喚起設備の改良やその性能をPRしていること、以前から存在していたものではあるが、3Dや4DX上映、IMAXやTCX上映などで空間という映画館が持つ絶対の価値をうまく拡大させている。厳しい状況ではあるが、今後も空間の領域を拡大し、動画配信サービスにはない良さを広く伝え、多くの映画鑑賞者が唯一無二の体験を楽しめるよう、頑張ってもらいたいものである。
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