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祖母と私

前回の記事の続きです。前回の記事はこちら。

家から1番近い相談所の住所と電話番号をメモし、帰宅した。あとはタイミングを見計らってここに電話すればいいだけ。

ただ電話したらもう親や親戚に一生会えなくなるのかもしれない…児童相談所というのがどういうところなのか想像がつかなくて、電話をかけることをしばらくの間保留しておいた。

ただ児童相談所の前に話しておかなきゃならない話がある。ばーちゃんの話だ。

学校にも家にも居場所がない中、夏と冬に車でばーちゃんのいる長野に家族で行く恒例行事があった。じーちゃんは県内のサービスエリアのガソリンスタンドで働いていて、ガソリンが満タンでもそのサービスエリアに寄ってじーちゃんに「来たよー」と車の窓から顔を出し挨拶をする。その後ばーちゃんとじーちゃんと家族みんなで焼肉を食べたり、次の日には山菜やきのこを取った。長野にいる二泊三日の間だけは「家にもどこにも居場所がない」ということを忘れられた。

そんなばーちゃんが私が中学1年の時、春も間近な冬に死んだ。胃癌だった。ばーちゃんはいつも私の味方だった。「あんたはえらいね〜賢い子だね」とよく頭を撫でてくれた。あのしわくちゃな手で昔一緒に山菜取りに行ったっけな。タラの芽とかこごみとか、天ぷらにして食わしてくれたな。一時期長野に預けられていた頃、「おやまべんとう」と言っておぎのやの釜飯を買い、車で山の頂上まで行った後適当なベンチに腰掛けて食べた。中に入ってる甘いあんずがどうしても苦手で、いつもばーちゃんにあげてた。それでもばーちゃんと食べるおやまべんとうは本当においしくて、一時期毎朝毎朝「今日はおやまべんとうしないの?おやまべんとうしたい!」と言っていたらしい。

背が低くて目が垂れてて猫背で、ちょっとぷよぷよしてるばーちゃん、いつも長野から帰る時、またねって言ってしてもらえるハグがばーちゃんに包まれるようで大好きだった。夏〜秋頃になって、もともと長野に住んでいたばーちゃんは、末期癌だとわかってから渋谷区にある日赤病院の緩和ケア病棟(簡単に言うと、死ぬのを穏やかに待つ場所)に引っ越してきた。最期はみんなと過ごしたいんだと。会いに行く度ばーちゃんは病院の食堂で味の薄い麺がグデグデになったラーメンをご馳走してくれた。正直もっとしょっぱいのが食べたかったんだけど、病院だし、何よりばーちゃんが誰にも気付かれないように母の弟である叔父にお札を受け取っているのを子供ながらに何回か見ていたので、もしこのラーメンがそのお金で食べさせてもらってるものだったら?と考えたら、遠慮する方がばーちゃんにはつらいだろうなと思った。胃癌で食べられないばーちゃんの分までもらって毎回残さず食べた。

何ヶ月か後、ベッドから起き上がるのことが難しいところまで来ていた。叔母が桜の枝を買ってきたり、手足の爪にマニキュアをしたり、ベッドの上だけでできることを精一杯みんなでやった。ばーちゃんは段々喋れなくなっていって、肌の色も土色に変わり、あんなにぷよぷよだった身体がカリカリに痩せていった。眠ってる時間が多くなってきてもみんないつも通りばーちゃんに話しかけた。「ばーちゃん見て、いい匂いでしょ。これラベンダーの香りなんだって」「ばーちゃん桜がひとつだけ咲いたよ。まだたくさんあるから満開まで時間かかりそうだね」「ばーちゃん」「ねえばーちゃん」…

それから1週間くらい、気管挿管をしてから早かった。夜父さんから電話で知らされて、車に乗って病院に急いだ。初めて見た人間の死体。棺に入ったばーちゃんが葬儀場へ移動して行く。葬儀屋さんにお願いして、ばーちゃんがいる部屋に病室に飾っていた桜を置かせてもらった。驚くことに、翌日には蕾だった桜がすぐにほぼ満開になり、花びらが棺にたくさん落ちた。火葬されるまでの2日間、あの大好きだったしわくちゃの手を握って、たくさんお話しした。生きてる間しか話せなかったのに、今更になって言いたいことや相談したいこと、聞いて欲しい話がドバッと溢れて、冷たくなった手を握り少しでも私の体温を移そうとした。「まだ話してないことたくさんあるよ。嫌だよ、ばーちゃん置いてかないで」と声を出して泣いた。

火葬のボタンはじーちゃんが押した。初めて見るじーちゃんの泣き顔だった。私の頭を撫でてくれたしわくちゃな手も、おやまべんとうを美味しそうに私と食べるあの顔も、ここで永遠にお別れなんだと思うとまた泣いてしまった。

火葬が終わり、骨を拾っていると骨盤の当たりから脚にかけて大小様々な大きさのボルトが何個も入っているのを見た。こんな重たいボルトを入れて生きてたんだな。死んだ原因は胃癌だが、胃癌の前からばーちゃんは体の至るところが不健康で、歩くのも辛かったんだ。骨を拾いながらまた泣いた。

児童相談所に電話しなかったのは、ばーちゃんがいたから。児童相談所を知ったタイミングが丁度ばーちゃんの胃癌が発覚したくらいだったので、今電話したらばーちゃんに会えなくなると思いやめていた。だけどもうばーちゃんは死んだ。これからは私が人生を決めるんだ。ばーちゃん見守っててくださいと心の中でばーちゃんとお話ししながら、両親が出かけてる最中に児童相談所に電話をした。

つづきはこちらから。

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