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自分の居場所

前回の記事の続きです。前回の記事はこちら。

テストで点が取れないと、遊びに行かせてもらえなくなった。また次のテストで点が取れないと、ゲームが禁止になった。また次のテストで点が取れないと、テレビが禁止に。親はとにかく勉強にうるさかった。

夏休みに出された宿題の読書感想文。あれは母親の感想文として提出された。もともと本は好きとまではいかないけど抵抗なんてなかったし、絵本だったらむしろ大好きだったし、はらぺこあおむしとか、ぐりとぐらのパンケーキを作るやつとか、ノンタンのクリスマスとか家にある絵本は今でも思い返すことができるくらい何度も読み返した。感想文なら数学みたいに「間違い」がないと思ったから自分なりに書いていたら、母がわざわざ原稿用紙を取り上げては「これじゃダメ」「これはただの本の紹介文じゃないか」「こことここを入れ替えて書かないと読みづらい」と10歳そこそこにもならない子供の文章に添削をし、バツをつけた。思い返してみれば、文章嫌いはそこから始まっていたのかもしれない。

教室の中では昨日のドラマやバラエティの話、新作のポケモンのゲーム、近くの団地にある秘密基地の話で盛り上がっていた。私は全て取り上げられてしまったので全くわからずついていけなかった。「お前つまんねえよ」、子供は素直で残酷だから、私はすぐにひとりぼっちになった。

家では父さんが酒を飲んで暴れ、母さんがそれを見てブツブツ小さく文句を言って、妹2人は2階に閉じこもる。私も一緒に2階に閉じこもることもあったけど、父さんに馬乗りになって殴られることもあった。抵抗すればもっと殴られることなんてわかってるし、そもそも私が出来損ないの長女だから殴られても仕方ないんだと思って「殴られるのは当然」と頭に擦り込んだ。母さんは私が殴られるのを見て見ぬふりで押し通したし、父さんは気が済むまで殴って、また酒を飲んで、酔いすぎた時は決まってインスタント麺を茹でてはシンクに捨てる。ハライチの岩井がマジ歌選手権で「今日も作ったパエリアを食べずにシンクに捨てる」ってフレーズに、本気で笑えるまでに時間がかかった。

家にも学校にもどこにも私の居場所はない。

自分の人生は自分のものと考え始めたのは中学生に上がった時。正確には小学校を卒業した時。卒業文集に将来の夢を書くってなった時に、将来の自分が全く浮かばなかった。両親に見放されない為に今を必死に生きてるのに、将来のことなんて浮かぶはずなかった。文集には適当に「親が接客業なので私も接客やりたいです」とか長文でダラダラ書いた気がする。

中学に入ってこのままじゃダメだという気持ちが強くなった。ネットは禁止されていたし、携帯電話も持たせてもらえなかったので学校のパソコンの授業の時に先生に隠れて助けてもらえそうな場所を調べた。私の中でようやく見つけたのが児童相談所だった。ここに電話すれば…ようやく長い長い真っ暗なトンネルの出口が見えた気がした。

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