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my note#02│紐解いた先に見えたもの

社会人になり、いろいろな人や仕事、環境、文化、思考性、価値観…とにかく多様な世界に触れる機会がますます増え、気づけばいろんなことをぼーっと考えることが多くなった。もともと考えることは好きだし、考えるなと言われても考えたくなってしまうタイプではあるが、25を超えたあたりから深さが増したように感じる。多面的、多角的、なんというべきか、思考の産物がより立方体になった。

考えてるばかりでは進歩がないので、
少しずつ紐解く意味でも、日々の思考の棚卸しの意味でも、書くことで整理していこうと思う。

紐解いた先に見た根本にある想い

私は考えることが好きだ。
なんで考えることが好きかというと、そこにあるのに見えていなかった(見逃していた)大切な何かに、紐解くことで出逢えるから。今の仕事を選択したのは、世の中のために、自分が美しいと感じる何かのために、自分の思考が生きてくれたらと思うからだ。だからマーケティングの仕事を選択し、今も続けている。

昔から根本の思いは一貫しているが、
振り返ると意外と変化はあるもので、
就活生のときは、「いろいろな新しいモノコトとの出会いは、その人の豊かさになる。世の中には有形無形問わずたくさんの価値があるのだから、それに出逢うことでささやかだとしても豊かさを得られるはずの誰かに、その価値の存在を伝える仕事がしたい」と思い、この仕事を選択した。その思いは今も変わらず、何気ないきっかけによる出逢いで人の人生や豊かさは変わると感じるし、その一助になりたいと思っている。

しかし、時間を重ね、経験も前より重ねた今、一歩深く自分と向き合い、紐解くと変化があった。というより、紐解ききれていなかった自分に出逢ったのだと思う。

世の中の誰かの豊かさになるであろう、世の中に溢れる価値を、伝えるだけでなく、もっと輝かせたい、もっと豊かさをもたらせるように磨きたい、と強く意識するようになった。それは私自身が成長したからなのかもしれないし、新たに一歩自分に耳を傾けられたからなのかもしれない。

私が感じる今の時代

広告業界の人らしく自分というミクロの視点から、世の中というマクロの視点で捉えてみると、私が社会人になった頃から、世の中のあり方は大きく変化した。時代の変化なんて寄せては帰る波のようにごく当たり前のことではあるが、取り巻く環境による無意識的な影響は意外と大きく作用しているように感じる。だからこそその時の思考を言語化しておくことは大切なのではないか。

あらゆるものがオンライン空間で行われるようになり、新たなビジネスモデルが生まれ、もはやそれが当たり前になっていく。ニューノーマルだったものが数ヶ月後にはノーマルになる。「新しい」はなくなり「多様性」になる時代。

広告業界で言うと、広告がアート作品のように評価されていた時代から、ビジネススケールにつながるクレバーな仕掛けが重視される時代に変わり、マスからパーソナルへ、影響から共感へ、モノづくりからコト体験へ変化し、世の中と“価値”の“つながり”の在り方も大きく変わった。
広告は一手法であり、素敵なマーケティングプランはもっとニュートラルでフラットなところから生まれると体感する時代になったと思う。
(本文章での“価値”はかなり広義の意味で、対世の中に存在している“何か”すべてを指している。)

紐解いた先に見えたものとは

そんな世の中の変化とともに私も時間を重ねながら少しずつ変化した。(厳密にいうと、紐解いた先に見えた新たな自分の意識であって根本は変わっていない。)

そんな私が今やりたいと思うこと。
マーケティングという仕事への思い。

行き着いたのは、
私の根本にある、“伝える” “届ける” ことに加えて、世の中に溢れる“価値”をもっと磨き上げて輝かせるお手伝いをしたいということ。それがこの世界にいる誰かの豊かさになっていること。

自分の根本に出逢うまで

広告業界にいながら、実はキャリアとしてはいわゆるマスやデジタルメディアに出稿する「広告」に関する仕事をメインに行っていたことはなく、ビジネススケールに必要な施策という点ではある意味「広告」と呼ばれるかもしれないが、本来厳密には「広告」と呼ばれない領域のお仕事を多領域に渡り経験させてもらってきた。いわゆるジェネラリスト型のキャリア形成をしてきている。

その背景もあり、年々「広告ってなんだ?」「私が生業にしたいことを自分に対して言語化すべきでは?」という思いが強くなり、昨年1年かけて考えた末、それが実現でき、自分のキャリアの方向性を定め盤石にできると思った企業に転職した。広告業界から広告業界に転職したが、今までの経験を基盤に、さらにビジネスや手段ニュートラルなマーケティングに向き合える仕事に携わらせてもらえている。きちんと階段を上がったと実感できる今を得られた。

言語化しながら気づいたことのひとつは、私はもとから、モノを売る「広告」がやりたいと思ったことは一度もなく、価値を伝えるべき人に“伝える” “届ける”こと、その価値がさらに輝けるようにプロデュースがしたかったのだということだ。

話は少し逸れるが、社会人になる前、もともとはA&Rがやりたかった。長くなるので端的にいうと、出逢ったことで自分の人生の糧になってくれた音楽、アーティストという存在を、今度は私が世に“伝え”、“届ける”ことで誰かの糧になりたいと思っていた。だから音楽業界を目指した。
しかし、それは少し狭い視点で、音楽産業はマーケティングすること自体は生業ではない。世の中に“伝え、届ける”ことや、もっと輝かせられるようにするには、手段ニュートラルでフラットなところからマーケティング戦略を考えられる力がなければいけないし、それを実行する手立てを知っていなければいけない。もっと言えば、その力は特定の業界や対象での経験では偏りが生まれるため、幅広く枠にとらわれないさまざまなマーケティングの経験がないと難しい。行き着く対象が何であれ、いろんな経験からしか柔軟な視点や発想は生まれにくいと思った。だからその力を盤石にしたくて今ここにいるその先に行き着く対象が“音楽” “アーティスト”なのかは分からないが、今はその時私がプロデュースしていきたいそれのために、ニュートラルに、フラットに、マーケティングと向き合える力をつけていきたい。

これから私は

時代の動き、世界の動き、世の中の求めること、その価値の発揮どころや輝ける場所、届けたい人…さまざまな時点で立体的に捉えながら、その時その時に適した戦略を立てられる力をつけることが一番目指すところではあるが、同時に、それを実行していく力も鍛えなくてはいけない。

実行するための手立てに範囲や限界はない。テクノロジーが進化し、ノーマルが存在しなくなった多様性の今だからこそ、あらゆるものの掛け合わせをニュートラルに試してみることに価値があるはずだ。

BTCスキルと言われたりするが、ビジネス(Business)、ストラテジー(Strategy)、テクノロジー(Technology)そしてクリエイティビティ(Creativity)それぞれのスキルをバランスよく持っていることが理想的である。もっというと、多様な業界やビジネスモデル、社会トレンドにもアンテナが立っている状態であるべきだ。

掛け合わせるのは手法だけではない。一見全然違う場所にいるように思えても根本的なビジョンやパーパスが同じということもある。ブランド×ブランド、ブランド×アーティスト、アーティスト×アーティスト…掛け合わせは本当にフラットでありニュートラルであるところから考えるべきだ。プロデュースする対象が何であれ、それが鍵となることは変わらないと思う。

こんなことが易々とできたらスーパーマンだが、それでも、領域・範囲・制限・スコープ…そんな限定的な言葉にとらわれず、越境していける人はどんどん可能性が広がるし持つ力も盤石になる。だから、自分の領域を自分で決めてしまわずに、チャンスを掴むのではなくチャンスを自分から作っていきたいと思う。

探求すること、触れること、味わうこと、深堀ってみること、どこから始めても、異なる道筋をたどっても、いずれは掛け合わせていく調理にたどり着くはずだ。
ジェネラリスト型のキャリア形成をしてきた私にとってスタート地点がどこだったのかは分からないし、軸がないことに悩み、行き着く場所をどこにすべきか悩んできたが、今となってはそれは重要なことではない。

枠にとらわれずに引き出しを増やしながら、
フラットに、ニュートラルに、世の中に存在する“価値”と向き合っていきたい。
その先に、その“価値”の輝きが生み出せるように。
そして、私自身も輝いていられるように。

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