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人づきあいのお作法の話

先日、自分のフェチについて考える機会がありました。
これは大学生のときから言っていることなんですけど、、

ある人の会話だったり、身振り手振りだったり、テキストだったりの中で出てくるその人のクセのようなもの、が、果てしなく好きです。
その人がもつ人づきあいにおいてのお作法に遭遇したいと常々思っています。

その人のお作法に遭遇したとき、その人のこれまでの歴史や蓄積、価値観の一部分を見られたような気がして、川底から砂金を見つけたかのような高揚感があります。

それを感じたいから、人と会う機会をできるだけ多く作ってしまうといっても言い過ぎでないかもしれない(言い過ぎかもしれない)。

その人の人づきあいにおけるお作法は、ポジティブなものだけではなくて、とってもフラットなものだったり、時にはネガティブなものだったり、、いずれにしてもその人らしさが見えたとき、私の体温と心拍数は上がって、ときめく。

面白いのは、出会ったばかりの人となりをより知っていく時期だけではなくて、出会ってから数ヵ月、数年、数十年たってから、ときめきを感じることもたくさんある、ということです。

最初は顔を知っているな~~くらいの人から、数年ぶりに会ったときに高エネルギーのときめきをもらうこともあるし、もともとときめいていた人から、追いときめき(?)をもらうこともある。

社会人になってから、どうしても疎遠になってしまうこともある中で、限られた時間や距離と格闘しながら関係を続けていくことの難しさの中で、それでも会えばときめくことがある。

感情の大きさと、表面上の表現の激しさは必ずしも比例しないから、できるだけ直接会いたくなるしその人の肉声で話を聞きたくなる。

人との縁を築き育み継続することは希少なことだと思うからこそ、肯定したり承認したり称賛したりあるいはされたり、ぶつかったり調整したり許したり許されたりしながら、できるだけ重ねていきたいですね。

こう自分が思っているのも、これまで会ってきた人たちからの影響を受けているわけで、巡り合わせの不思議さとたまらなさを感じます。


たくさん人と会いたいな~~~~~~!!!!!



おわり!

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