シャボン玉
シャボン玉の話をします。
幼稚園に通っていたころ、シャボン玉遊びはとても身近なものでした。
既製品のシャボン玉でも遊ぶ機会はあったのですが、急に思い立ったときには、家で台所用洗剤を紙コップに入れて少量の水で溶き、ストローをつかってシャボン玉遊びをしました。
手がべたべたになるのが気になりましたが、それ以上に、自分でシャボン液を作ることが面白くて楽しかったんです。
シャボン液を作るときには、研究者のごっこ遊びのように水の量を変えたり他のものを加えたりして楽しみました。
巷には意外と、ウソかホントか、割れにくいシャボン液の作り方が転がっていました。
(蜂蜜を少量加えるといいとか、洗濯のりを混ぜればいいとか、、)
当時の自分は洗濯のりをしらなくて、「のり、ね~~」と文房具ののりを加えて、全然シャボン玉ができない液を作った記憶もあります。
うまくできなくても特に落ち込むことなく、この“のり”じゃないのか~~とのんびり受けとめるような、マイペースな子どもでした。
あと、当時読んでいた絵本の中で、男の子がシャボン液を飲んで「苦~~い」となっている描写がありました。
本当かな?と思って自分も少し飲んでみたくなりました。
飲んでみるとわかるのですが、案の定「苦~~い」となってとっても美味しくなかったです!!
それでも絵本の中の登場人物と同じ体験・同じ感想を持てて、なんだか嬉しかった思い出です。
そんなシャボン玉の思い出ですが、年齢が上がってからは、遊ぶ目的が変わってきました。
大学生の新学期、ひとり暮らしで引っ越してすぐの頃、周りに知り合いが全然いない寂しさに耐えられなくて、夜中に一人外を歩いたことがありました。
自分のことを知っている人が本当に全くいない状態だったので、自分がここにいる実感の目に見える形がほしかったんだと思います。
遅くまで開いているスーパーのちいさなオモチャ売り場にあったシャボン玉セットを買い、夜中の歩道橋の上でひとり、こっそりシャボン玉を飛ばしました。
その日は春先の風が強く吹く夜で、シャボン玉はすぐに消えていきました。
それでも、一瞬でも自分が作ったシャボン玉を見ることができて、あとは夜中の人通りのない中でシャボン玉を飛ばしているのが気持ち良くて、とても満足して帰宅しぐっすり眠れました。
最近では、友人と桜を見に行ったとき、友人がシャボン玉を持ってきてくれたことがありました。
桜の名所から歩いて数分の、人があまりいない公園の桜の木の下で、シャボン玉を飛ばして遊びました。
桜の下でシャボン玉を飛ばす友人はとても綺麗で、こうして遊んだことも忘れたくないなと思います。
また遊びたいですね。
小さい頃から今まで、シャボン玉遊びは形を変えずにずっとあるわけで、今後もきっと子どもから大人まで親しまれる遊びなんだと思います。
(シャボン玉遊びの始まりは江戸時代らしいです…!)
すぐに消えてしまう儚くて綺麗なモノを目に見える形で作れること、人や場所によってシャボン玉から受ける印象が変わること、どの場面でも美しく見えることから、シャボン玉がとても好きです!
おわり!
あとは告知です🌠
【次回出演情報】
劇団トキワ第3回公演
6月25日(土) 26日(日)
近日中に詳細も公開できそうです😉
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