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私が猫さまの下僕となるまで

猫さまの下僕となるまで

こんな辺鄙なところへ遊びにきてくださって、ありがとうございます。
最初のnoteは、猫さまと私との出会いや今まで下僕になった(飼った)猫さまについて語ります。

猫さまとの出会い

小さい頃から、野良猫さま達が私の周りにはたくさんいました。猫さまと触れ合ったり、子猫さまと遊んだりするのは、ごくごく自然な状態でした。しかし、我が家は小さい時はずっとアパート住まいで、もちろん猫さまを飼って差し上げることなどできません。私は、自分のおかずの残りや、お菓子を野良猫さまに献上したりしていました。

猫さまの楽園で育つ

やがて小学校に上がり、近所のデザイナーズ団地の公募に当たって、隣の学区にある団地に引っ越したのですが、なんとそこは野良猫さまの楽園と化していました。

「猫を飼ってはいけません」という看板の掲げられた芝生のすぐ横で、猫さまが数匹くつろいでいらっしゃるような状態です。団地の方々も、ご飯をあげたり、中には家で飼っていらっしゃる方もいたり、かなり自由な状態の団地でした。

小学校3年生だった私は、まだ親から「動物を飼うのは、とっても責任感が必要だからダメ」と、金魚以外は飼わせて貰えないでいました。
仕方なく、というか、近所に猫さまがいてくれるだけでかなり満足していた私は、全ての猫さまに独自の名前をつけ、毎日のように遊びに行ったり、ご飯をあげたり、観察させてもらったりしていました。

セキセイインコに浮気?

小学校4年生になり、誕生日にセキセイインコの雛を番で飼ってもいいとの許可を得ました。
ここで猫さまをお迎えしたいところでしたが、一応、この団地は犬猫禁止になっていて、両親はそういう事には真面目な人だったので、とても言い出せるような状況ではありませんでした。
猫さまだけでなく、全ての動物が可愛い私は、セキセイインコにもすぐに夢中になりました。
学校の行き帰りに猫さまに出会えれば挨拶はしましたが、それからは急いで家に帰ってインコたちの世話をしたり、手乗りになっていたので遊んだり・・・しばらく鳥派な生活が続きました。

でも、猫さまの可愛さはやはり別格で、春や秋に猫さまの子供の鳴き声が聞こえれば、探しに行ったり、親の猫さまと一緒に面倒みたり、インコと遊ぶ傍ら、やっぱり猫さまとのコミュニケーションも欠かせない感じで、小学生時代は過ぎていきました。

ちなみに、こう書くと人間と全然交流していないのか?と思われそうですが、小学校時代は学級委員とかやっちゃうような、世間で言う目立つ存在の私だったので、学校でも友達はなかなかに多かったです。

ついに猫さまをお迎えする

そんな感じで、しばらくは野良の猫さまとしか交流して来なかった私ですが(何度か迷子の子猫さまを保護したことはありましたが、ことごとく親に反対され、近所の動物病院に預けるしかできませんでした)遂に、転機が訪れます。

ある春の日、私はちょっと離れた大きな街の住宅街を、用事で親友と歩いていました。そこに「フギャーフギャー」としゃがれた低い声の猫さまの声がどこかから聞こえてきました。
猫さまの声には敏感な私。「どこから?」とキョロキョロすると、あるマンションの1階のベランダと地面の隙間に、小さな黒いカタマリが、震えながら鳴いてるのがわかりました。

それが、最初の我が家での猫さま、むぎとの出会いでした。

むぎは片手に乗るほどに小さく、目もやっと開いたような感じで、自分の排泄物やゴミに塗れてひどい有様でした。とても飼い主や母親がちょっと目を離した、という状態ではなかったので、私は保護して、近くの知らない人々に引き取って貰える人がいないか聞いて回りましたが、かなりみすぼらしく弱ったその子猫さまを、進んで引き取ってくれるような人は現れませんでした。
そうこうしているうちに、猫さまはだんだん疲れて弱ってきてしまいました。

「ああ、これはもうダメかもしれない」

と思った私は、どうせなら、最期は暖かいところで・・・と家に連れ帰りました。弱っているのに追い打ちをかけるのは可哀想でしたが、あまりにも臭いがひどかったので、シャワーを手早く浴びせてドライヤーで乾かし、両親に「今日だけだから」となんとか許しを得て、自室の机の上に小さな箱にタオルを敷き詰め、そこに小さなむぎを乗せて、「ゆっくりしていいよ」と、その時を待とうとしました。

しかし・・・なぜか翌日、むぎは元気になってしまったのです。
ビバ☆猫さまの生命力!

最初は誰かに貰ってもらう予定でしたが、お腹に虫がいたり、ひどい風邪ひいていたりしていて、動物病院に通っているうちに、いつの間にかウチの猫さまとして定着してしまいましたw
最初は人馴れしていないため、元気になるなり押し入れに立てこもってご飯の時にか出てこないこともあったり、慣れたら慣れたで、今度は外が恋しくて毎夜鳴いたりと、振り回されっぱなしでした。
女の子だったので避妊手術をしてから、外と家を行ったりきたりし、一緒にお散歩するようになって、毎日楽しく暮らしていました。

しかし、その幸せがずっと続くような錯覚に陥っていましたが、猫の寿命は人よりもずっと短いのですよね。
外猫として育ててしまったのが悪かったのか、むぎは喧嘩の傷が原因で猫エイズを貰ってしまいました。
それでも17歳までは、なんとか元気に生きてくれましたが、17歳の夏に発症し、その夏の終わりには、決死の処置も虚しく、帰らぬ猫となってしまいました。

初めてのペットロスと、次の出会い

他の動物(金魚や猫や亀)を飼った時には起きなかった、いわゆるペットロスというものを、私は初めて体感しました。
寝ても起きても、そこらにむぎがいるような気がして探してしまうのです。
黒いバッグや塊があると、「あ、むぎ・・・じゃなかった」と、落胆したり、とにかく、もう居ないはずのむぎの存在を、心が探してしまっていて、毎日気が休まることがない状態でした。
悲しくて悲しくて、何も手につかず、仕事も身が入らなくて、空気が灰色で、生きているのが辛くて虚しくて、どうしていいのか分かりませんでした。

そんな私に、大好きな猫さまが「このままではコイツやばいんちゃう?」と思ってくれたのでしょうか。
すごく不思議な体験で、信じて貰えないとは思うのですが、ある朝目覚めると、寝ているのに足元にむぎが来ているのが分かりました。
その時、むぎは何も言いませんでしたが、ある場所へ行けと言っているような気がしました。

導かれるように、その日出かけたついでに、むぎが逝ってから一度も足を踏み入れていなかったペットショップに、何故かフラフラと足が向いていました。そして、そこで私は出会ってしまったのです。

きっとむぎが導いてくれたであろう、次の運命の猫さまと。

新たな猫さまとの暮らし

次の運命の猫さま、その子の名前はれんれんと言います。

恥ずかしながら、その頃の私は漫画や小説を書いていたのですが、出会った子猫は、私がその時点での1番のお気に入りだった「廉」というキャラクターと、見た目が酷似していました。

銀髪(白)にグレイ(焦茶)のポイント、水色の瞳、ツンとした性格など・・・
一瞬で、むぎはこの子を私に見せたかったんだと分かりました。

でも、家に帰るとまたも親に反対されました。
もう猫が死ぬのを見るのはたくさん、というのが親の言い分です。私もそれは理解したのですが、れんれん(廉の分身なのでれんれんと名付けました)の居ない生活は、もう既に考えられなくなっていて、毎日のようにペットショップに通いつめ、なかなか売れてくれなかったのを理由に、遂に強引に買って、連れ帰ってしまったのでした。

家に来てしまえば、親もどうしようもなく(ペットは返品不可という契約になっていました)れんれんは家で飼うことを許されました。
最初はビクビクして、一週間くらい私の部屋から出なかったれんれんですが、慣れればもう全ての部屋が自分のものとでもいうように、どこでも爪を研ぎ、壁があれば登り、カーテンも登り、あちこち走り回って自由奔放に家を満喫していました。

ただ、3ヶ月くらい売れずに小さな箱の中で過ごしたれんれんは、遊び下手で、また自分を猫と認識できていないようでした。
外やTVで猫が鳴いていても全く興味を示さず、猫じゃらしには反応しません。

その代わり、人の手足でじゃらすと(本当はこれはやってはいけないと言われていますが)喜んで飛びついてくるのでした。

運命の子との別れ、そして今へ

そして、15年の歳月が流れました。
れんれんとの色々なことは、いつかまたゆっくり書きたいと思いますが、今はあらすじとして、最期の別れを書きます。

2匹目の運命の猫さまであったれんれんは、晩年の猫さまが、3匹に1匹はなるという慢性腎臓病に罹ってしまいました。
頑張って看病したのですが、ついに2022年3月28日、虹の橋を渡って逝ってしまいました。

最後まで、飼い主の私のためにずっと頑張ってくれていました。

辛そうなのに、生きよう、生きようとしてくれるのが伝わってきて、何度も「もう頑張らなくていいんだよ」と言ってしまったのですが、それでも最後まで私に思う存分、お世話をさせてくれて、最後は眠るように逝きました。

前のむぎと同じように、動物専用の斎場でお葬式をして、綺麗なお骨になった姿に涙して、今は玄関先に、斎場で頂いたA4サイズの大判の写真と共に、お骨とお花とご飯とお水を飾って、毎朝毎晩、ことあるごとに挨拶しています。

まだ、亡くなって間もない頃は、現実感が湧かず、今回は前の子であるむぎの時とは違って、思い切りお世話できたし、れんれんの好きなようにさせてあげたという自負があるので、ペットロスにはならずに済んだんだ、と思いました。

けれど、2ヶ月、3ヶ月と過ぎていくうちに、自分の部屋にれんれんが居ないことが本当に悲しくて寂しくて、朝、目が覚めては泣き、仕事中にも涙し、仕事から帰ってきては泣いていました。(本当です)

それでも、やはり「時間薬」と言うものが世の中にはあるようです。

やっと5ヶ月目の月命日を過ぎて、
「このまま悲しんでいたら、れんれんが心配して“死んじゃってごめんね”と虹の橋で泣いてしまう!あの子の周りも、私の涙で雨が降って1匹だけびしょ濡れになって、寒い思いをしてしまう!」
と、思って、もう悲しむばかりではなく、前に明るく進もう!と決意しました。

次に運命の子がまた現れるのか、今はまだ分かりません。
ただ、いつの日か、また猫さまと暮らせる日が来たらいいなぁ、と。漠然とそんな憧れを抱きながら生きています。

そして、今でも全ての猫さまの下僕であることには変わりはないので、外で猫さまに出会ったら、フードをあげたりしたいな、と、れんれんの食べ残したフードを小袋に入れて持ち歩いたりしています。

猫さまの生態についてや、むぎやれんれんとの暮らしについてのお話を、これから書いて行きたいと思っています。よかったら、また見にきて頂けると嬉しいです。

まいまいこ

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