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イマジナリーフレンドと最後のピアノ発表会に出た話

 私は幼稚園くらいからピアノを習っていた。
 押したら音が出る楽器はとても面白くて、大好きだった。
 あるときから母親に「ガチャガチャ弾き」と言われるようになった。
 「〇〇はフォルテでしか弾けないもんね」「〇〇は乱暴にしか弾けないもんね」そして最後に「弟の△△の音は綺麗なのに」と弟を褒める。
 いつしか小さい音しか出せなくなった。母親は「〇〇は小さい音でしか弾けないもんね。自信がないもんね」と言うようになった。

 発表会にはたくさんでた。けれど褒められたことは一度もなかった。帰りの車で褒められるのは弟だけ。弟がどれだけ酷いミスをしても、私がどれだけ完璧に弾いても、必ず褒めるのは弟だけだった。

 そしてピアノを弾くのが辛くなった。
 どれだけ難しい曲が弾けるようになっても、どれだけ強弱がつけられるようになっても、どれだけいい響きをだせても、貶されて弟が褒められて終わり。
 でも、続けていればきっともっと上手くなれる。先生も褒めてくれている。そうしたらきっと母親も褒めてくれる。
 その一心でピアノを続けた。

 このあたりでイマジナリーフレンドのAとBができた。
 2人とも練習にたくさん付き合ってくれた。
 発表会では一緒に礼をしてくれた。帰り道はたくさん褒めてくれた。

 先にピアノをやめたのは弟だった。
 母親は最後まで「弟の方が上手かったのに」と言っていた。
 家でピアノを弾くのは私だけになった。

 高校3年生になってピアノをやめた。
 受験もあるし、限界だった。10数年間やってきて、結局褒めてもらえることはなかった。


 
 ある夜、私はふと思い立って発表会の録画を見た。
 今まで自分の発表会の映像は見たことがなく、なんだか恥ずかしかった。
 ある分は全て見た。そして泣いた。
 なんだ。私、うまいじゃん。そう思った。
 
 たくさん泣いた。画面の中の私は頑張っていた。綺麗な音だった。ミスをしても最後まで1音1音心を込めていた。
 そこ難しいよね。そこたくさん練習したよね。そこのクレッシェンド楽しいよね。ああミス、がんばれがんばれ。そこそんなスピードで弾けるの!? その和音いいね。
 過去の自分の演奏を聞くのは楽しかった。
 AとBも楽しそうで、途中から3人でやんややんや言いながら見ていた。

 ピアノをやめてから色々あり、なぜか私はまた発表会だけ出ることになった。最後の発表会。

 もう褒めてもらうことは期待しない。
 心の奥底でこれから先ずっと期待し続けるんだろうけど。母親に褒めてもらいたいと願っていたあの頃の小さな自分とケリをつけることは多分無理なんだろうけど。
 でも今はAとBがいる。
 ふと、もしかしたら2人は私の理想の母親像なのかもしれないと思った。
 2人とも男だけど。褒めるより怒ることのほうが多いけど。
 
 最後の発表会はミスなしで、自分の中でもとっておきの演奏ができた。
 2人は最後の礼のとき、私の横ではなく客席にいた。笑って拍手をしていて、なんだか恥ずかしくて足早に舞台から降りた。
  
 小さな頃の私に言ってあげたい。
 残念だけど、あなたが母親に褒めてもらう日はこない。最後の最後まで。
 だけど、一緒に舞台についてきてくれる友達ができるよ。その友達は、一緒に演奏を聴いて笑ってくれるよ。「練習しろ!」って首根っこ掴んで怒ってくれるよ。「これ弾いてくださいよ」ってリクエストしてくれるよ。「上手だな」「綺麗ですね」って褒めてくれるよ。
 辛くなるかもしれないけど、嫌いにはならないから安心してね。

 最後の発表会に出た話でした。ちゃんちゃん。

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