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イマジナリーフレンドと新学期

 大学の長い長い夏休みも終わり、新学期が始まった。
 夏休みの最終日、私は憂鬱中の憂鬱、最大級の憂鬱な気分だった。以下はイマジナリーフレンドのAとBとの会話である。

私「嫌だ……まだ夏休みがいい……」
A「1ヶ月前はもう夏休み飽きた! とか言ってたくせによく言うわ」
私「そのときはめちゃくちゃ暇だったから! 今は友達とたくさん遊んだし……もっと遊びたい〜!!」
B「確かに、こんなに遊ぶ予定を詰め込んだ夏休みは初めてでしたね」
私「たくさん友達増えたからね」
A「それは良いことだな。はい新学期も友達と仲良くがんば」
私「嫌だ〜!!仲良しの友達と授業一緒にならなかったし、苦手な教科増えたし、もう無理だ〜!!ぼっちで単位落とすんだ〜!!!」
A「うるさいな〜。別に前だって1人で授業受けてただろ」
B「楽しそうだったじゃないですか」
私「友達と受ける楽しさを知った後に1人で受けるのは違うよ……」
A「んだよ俺たちがいるだろ」


 この言葉を聞いた瞬間、私もBも当人のAも、驚いて目を見開いた。

 「俺たちがいるだろ」
 
 これは自分たちの存在に否定的な彼が、ほぼ初めてと言っても過言ではない自分の存在を自分で認めた瞬間だった。
 今までも外出を嫌がる私に「友達と遊ぶんじゃない。俺たちと遊びに行こう」と言ってくれたことはあった。
 でもそれは、自分の存在がどうこうより、とにかく私を引っ張り出すための言葉で、イマジナリーという自分の存在をうまく使った言葉でしかない。
 そこに、"いつか自分達がいなくなっても"という想いがあるのを3人とも分かっていた。

 でも、上記の彼が言った言葉はイマジナリーだとかを超えた、いつかではなく今の話だった。

 彼らは自分がイマジナリーフレンドであることを分かっている。
 いつかはいなくなる。だからそれまでに、と私と色んなことをする。私がいつか1人になっても大丈夫なように、と。
 別れたくない、別れたいじゃない。いつかはいなくなる。そういうもの。

 別れは悲しい。だから思い出も増やしたいし出来ることも増やしたい。彼らの痕跡をたくさん残したい。
 でも2人はそれに乗り気じゃない。私が1人で生きていけるならそれで十分。そこに自分の軌跡はいらないと思っている。
 特にAが顕著だった。Bはまぁそれはそれで、と案外適当な感じだが、Aは自分はいないほうがいいと、感情的ではなく論理的にそう思っている。
 
 なぜなら自分はただのフレンドじゃないから。所詮はイマジナリーだから。

 そのAが言った。「俺たちがいる」

 少し全員でポカッとしたあと、笑った。
私「なんだ結局私と一緒にいたかったんじゃ〜〜ん!!!」
B「全く素直じゃないですねぇ」
A「うるせぇ!!寝ろ!!!」

 新学期になって、今のところまだ彼らはいる。
 また新学期になって、卒業して、新社会人になって、退職して、老後を過ごして、それまで一緒にいたいと改めて思った夏休み最終日だった。

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