「今までの人生で、一番幸せな1カ月」―相部秀之・マイミチストーリー
(リード)
「今までの人生で、間違いなく一番楽しくて、幸せな時間でした」。「MY MICHIプロジェクト」の最終報告会で、ヒデは満足気な表情でそう語った。北海道・十勝の上士幌町で「遊ぶ・学ぶ・働く」を体験する1カ月の滞在型プログラム。それが「MY MICHIプロジェクト」だ。2022年10月〜11月の第8期に参加したヒデ。そのマイミチストーリーとは。
(プロフィール)MI MICHI 8期生
相部 秀之(ヒデ)|あいべ・ひでゆき|1997年京都市生まれ。大学卒業後、公務員を目指して予備校で受講。2022年に試験を受けるも不合格。ショックから立ち直る前に、まずは地元京都から離れてリスタートするための英気を養いたかった。さらに自分の視野を広げたいと「MY MICHIプロジェクト」に参加。ニックネームは「ヒデ」。
公務員試験不合格、無気力からの応募
「僕は、公務員になる」
これがヒデの目標だった。両親はともに公務員。そんな両親の姿を見てか、小学生の頃から何となく、自分も将来は公務員になるものと思っていた。
大学に進学すると、新型コロナウイルスが世界を襲った。社会全体が混乱し、先行きが見えなくなった。不透明な状況だからこそ、社会を支える公務員の役割は大きくなる。同時に、就職先としての安定も得られる。「やはり自分が目指すのは公務員」。そう決意し、試験に臨んだ。だが、結果はすべて不合格――。
このとき、ヒデの中で張り詰めていたものがプツンと切れた。何もする気力が起きない。これからどうすればいい? 不安、焦り、絶望……さまざまな負の感情がヒデを包んでいた。
「こんなプログラムがあるよ。参加してみたら?」
そんなとき、母親が「MY MICHIプロジェクト」のリーフレットを持ってきた。母の知人が上士幌に住んでいたこともあり、きっかけがあって情報を得たのだ。
このままでは駄目だ。変わる手がかりがほしい。藁にも縋る思いで、マイミチに応募した。
「自分の意志で参加しなければ何も変わらないし、来る意味がないよ」
しかし、応募後の面談でプログラム責任者の西村から言われたのはそんな言葉であった。マイミチに参加を促したのは母親だ。このプログラムに参加すれば誰かが自分を変えてくれると思っていた。だが、現実は違う。「MY MICHIプロジェクト」に参加したいという自分自身の意志。それが求められていたのだ。
「最初にそんなことを言われて、出鼻をくじかれたというか……自分にはやっぱり無理なんじゃないかとネガティブな気持ちにもなりました」と、ヒデは振り返る。
参加したい……止めようか……参加したい……止めようか……何度も繰り返し自分に問いかけた。でも、やっぱりここで踏み出さないと、結局自分は何も変われない……。
「おお、よう来たな」
プログラム初日、西村に言われたその一言がすごくうれしかった。
「自分が我慢すればいい」
ヒデは、幼い頃から目立つことが好きではなかった。他人の目線が気になり、人前に立つことも苦手。小学生の頃、親族の結婚式でマイクを向けられて泣き出してしまったこともある。そんなヒデは、成長するにつれて内向的で消極的な人間になっていく。
「8歳上に姉がいたのですが、僕とは逆で自己主張の強いタイプでした。お菓子を選ぶときに僕が先に選んだことを怒ったり、僕が親に褒められたときには僕を贔屓にしている! と怒鳴られたこともあります。なぜそんなに怒られないといけないのだろうと理不尽を感じていましたが、家族だから仲良くしたい。いつしか、自分の意見は伝えずに我慢して、相手に合わせるようになっていました」と、ヒデはいう。
ヒデの我慢は姉だけでなく、親に対してもあった。
ヒデは小学校のあるときに、同級生からいじめを受けてしまう。公立の学校だったので、そのまま進学するといじめてきた同級生たちと同じ学校にいかなくてはならない。そこで「私立校を受験したら」という親の強い薦めもあり、中高一貫校に進学する。ただし、受験を許されたのは男子校のみ。「共学校に進んで恋愛をしたら、勉学に身が入らないでしょう」という親の意思であった。
「親の価値観を押し付けられたかたちでしたが、特に抵抗はしませんでした。実際は我慢したことも多かったのですが、喧嘩をしたくなかった。ただただ耐えていましたね」
そして進学。だが、その学生生活もヒデにとってはストレスを感じる時間となっていった。
「大学進学を目指していたので、受験を意識して勉強していました。でも苦手科目もあったり、なかなか成績が伸びていかない。塾にも通っていましたが、結果が出ない。家に帰れば親からは『勉強が足りない』『そんな生活態度で受かると思っているのか?』そんな言葉ばかり。正直、心が休まる時間がありませんでした。ストレスに押し潰されそうで、自傷行為に及んだこともあります」と、ヒデは振り返る。
それでも耐え忍び、大学受験に。が、センター試験で失敗し、第一志望の国立大学を諦め、京都から離れた高知県の大学に進学する。しかし、大学生活も決して馴染むことはできなかった。キャンパスに居場所を感じることができずアルバイトに没頭しすぎたあまり、過労で倒れてしまったこともある。
心身ともにボロボロだったヒデは途中で大学を休学。その後復学し、卒業後に子どもの頃からの目標であった公務員試験にチャレンジする。キャリア公務員、市役所、裁判所、税務署など受けられるところは全部受験した。しかし、筆記試験は受かるものの、面接で落とされ結果はすべて不合格。
ヒデが上士幌でのプログラムに参加するのは、その数カ月後のことである。
心が解れていったシェアハウスでの生活
「勇気を出して上士幌に来ましたが、初めはまったく馴染めずにどうしようと不安しかありませんでした」
プログラムがスタートしてからのことを、ヒデはそう回想する。
「西村さんに『よく来たな』と言われたのはうれしかったのですが、ほかのメンバーは知らない人ばかりだし、シェアハウスでの共同生活も初めて。なかなか積極的になれなくて、不安や帰りたい気持ちなど、いろんな感情が交錯していました」と、ヒデ。
「同じ8期のメンバーはすぐに馴染んでいて、自分だけが取り残されたような感覚でした。ネガティブな気持ちばかりが強く出てしまって、心と体が全然つながっていなかったです」
そんなヒデを支え、前を向くように引っ張ってくれたのは同じマイミチのメンバーだ。
「プログラムに参加したくないときにあえて連れ出してくれたり、シェアハウスで会話したり。本当に少しずつでしたが、他のメンバーとも打ち解けられるようになって。振り返ると僕にとっては体験プログラムよりもシェアハウス生活が一番大きな経験でしたね」と、ヒデは話す。
気持ちが変化していくきっかけとなったのは、シェアハウス生活での食事当番だ。参加メンバーで二人ペアになり、交代で日々の食事をつくる。そのときにペアになったメンバーと料理をしながらする些細な会話。その時間がヒデの心を解していった。
「最初は『どこから来たの?』とか『地元で有名な観光名所ってどこ?』といった、他愛もない世間話です。僕はグイグイ来るタイプは苦手なのですが、そのメンバーは僕の話をきちんと聞いてくれた。それがうれしくて、本当に少しずつですが、みんなの中に入っていけるようになりました」
食事の用意も何度かやっていくうちに、誰かのために料理をつくることは楽しいことと感じるようになっていった。
もう一つ、ヒデには刺激になったことがあった。それが仕事の話や体験だ。ヒデと当番を組んだメンバーはデザイナーだという。公務員を目指していたヒデには、デザインの仕事の話を聞くことも新鮮だった。
また、酪農牧場や農場体験プログラムでは体を動かした。仕事といえば公務員のデスクワークをイメージしていたヒデに、肉体労働の疲労は心地よさも感じることができた。
「マイミチに参加した目的の一つに、働くを経験したいこともありました。これまで自分の中には公務員しか選択肢がなかったので、世の中にどんな仕事があるのか知りたかったし、酪農や農家など、京都ではできないことを体験できたのは良かったと思います」
プログラムが進むにつれ、ヒデは少しずつ自分の視野が広がっていくことを実感していた。
人生の再チャレンジは北海道で
「僕、北海道で公務員になろうと思うんです」
今、ヒデは言う。
「マイミチに参加してわかったのは、人生に悩んでいるのは自分だけじゃないんだということ。同じ8期のメンバーもいろいろな悩みを抱えていました。その中でもみんなそれぞれに悩みに対して真摯に向き合っていた。そんなメンバーと語り合っているうちに、少しずつ自分の意見が出せるようになっていたんです。それでこれから自分のやりたいこと、自分の本音は何だろうと考えたときに、もう一度公務員にチャレンジしたいなって」
上士幌での経験で、将来の選択は公務員だけではない、いくつもの選択があることに気づいたヒデ。同時に公務員への心残りがある気持ちも知り「自分の気持ちに決着をつけないといけない」と思ったという。
ヒデは今、京都の自宅に戻り、次年度の公務員試験に向けての勉強を始めている。試験は6月。以前と同じように、可能性があるところは全て挑戦するつもりだ。北海道庁、税務署、裁判所……そして、
「上士幌町役場もチャレンジしようと思っています」
そう語るヒデ。なぜ、北海道なのか?
「マイミチが終わって京都に帰ってきましたが、ここからは離れたいなと思いました。正直、子どもの頃や学生時代のトラウマはまだ癒えていません。なので、このまま京都に居続けることは難しいと感じたのです。上士幌を離れるときに、出会った町の皆さんがそれぞれに『困ったらいつでも上士幌に帰っておいで』と言ってくれました。すごくうれしかったし、何かあったらまた戻ってきていいんだと言う安心感が自分の中に生まれました。それもあってかな、次のチャレンジは北海道で始めたいなと」
実はヒデは「MY MICHIプロジェクト」参加中に、上士幌町の地元企業から「ウチに就職しないか?」と誘いを受けていたという。うれしい誘いだったが、そのまま就職するのは甘えにも取られるかもしれない。だからこそ、もう一度だけ自分がこだわった公務員にチャレンジしたい。ヒデはそう思う。
「悔いを残さないチャレンジ」。それがヒデの「マイミチ」だ。もし結果が伴わなかったとしても、以前とは違う。自分の道は自分で選べることをヒデは知っている。
マイミチを終えて京都の自宅に戻ると母が「良い表情になったね。行って良かったね」と声をかけてくれた。その言葉に、相部秀之は自分が少し変われたんだという気がした。そんな1カ月の体験だった。