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「自分を認めて、自然体で生きていく」―野田優希・マイミチストーリー

(リード)
「自分を認めてあげられるようになること」。ゆうきは、そんなテーマを持って参加を決めた。北海道・十勝の上士幌町で「遊ぶ・学ぶ・働く」を体験する1カ月の滞在型プログラム。それが「MY MICHIプロジェクト」だ。2022年8月〜9月の第7期に参加し、町の人たちに触れたことで得た気づきとは。そんなゆうきのマイミチストーリー。

(プロフィール)MI MICHI 7期生
野田 優希(ゆうき)|のだ・ゆうき|1999年栃木県生まれ。その後、埼玉県に転居。社会に出る前に自分の魅力を見つけたいとの思いから「MY MICHIプロジェクト」に参加。プロジェクトを通して自身の価値観を探り、本来の自分を見出していく。ニックネームは「ゆうき」。

「ゆうき、本気で参加する気あるのか?」

その言葉が胸に刺さった。「MY MICHIプロジェクト」に応募した後、参加の意志確認のための面談があった。その面談で、プロジェクト責任者の西村からそう告げられたのだ。

「MY MICHIプロジェクト」を知ったのは、5期に参加したケンタ(赤毛建太)からだった。ケンタは同じ大学で学部も同じ。就活前にインターンシップに参加して何もできなかった自分に自信を失っていたケンタは、失ったものを取り戻そうと「MY MICHIプロジェクト」への参加を決めていた。そんなケンタから、募集サイトを教えてもらったのだ。

ゆうきはそのサイトを見て「おもしろそうだな」と思った。北海道のシェアハウスで生活しながら「遊ぶ・学ぶ・働く」を1カ月間体験できる。大学生活最後の年に、新しいことをやってみたいと思った。ページには「申込後、個別面談」と書かれている。

「まずは話を聞いてみよう」

気軽な気持ちで、ゆうきは応募ボタンをクリックした。

「自分の中の情熱を取り戻したい」

「思っていたよりも密度の濃いプログラムだな」

面談で説明を聞いて、ゆうきはそう思った。どうやら単に自然体験や田舎暮らしを経験するプログラムではないようだ。「自分探し」「自分を見つめ直す」、そんなテーマがこのプログラムにあると知った。

「説明を聞いていくうちに、これは自分が参加するべきプログラムではないのかなと思いました。自分自身と向き合い、見つめ直すという視点が僕にはなかった。参加予定のほかのメンバーとも事前に顔を合わせたのですが、どうも僕だけ参加への熱量が違う。最初は参加するのをやめようかな、と思っていました」と、ゆうきは振り返る。

それでも参加を決めたゆうき。その理由は。

「一つは、自分が見たことのない景色を見たかったこと。そして、自分が興味を持って応募したので、参加しないと後々後悔すると思ったからです」

そして「参加前に自分の過去を振り返ったことも大きかった」と言う。

「MY MICHIプロジェクト」では、自身と向き合うアプローチとして過去を振り返り、「マイ・ストーリー」を作成する。そのための準備として、事前に自分の過去を掘り下げていくのだ。

「この振り返りをしたときに、僕は自分がやってきたことに対して、自分自身を認めてあげてこなかったことに気がつきました。自分には何の取り柄もなく、魅力もないと思っていたのです。でもその状態で社会に出たら自分自身が苦労するかもしれない。その前に、自分の魅力を見つけたい、自分の中にある情熱を取り戻したいと思いました」

できたことを認めていけるように

「僕は、自分を認めるということは、自分自身に満足してしまうことだと思っていました」と、ゆうきは言う。

ゆうきは、小学校1年生から6年生まで空手を続けていた。成績も残していて、関東大会で優勝したこともあるし、全国大会にも出場している。だが、そんな自分に決して満足はしていなかった。

「同じチームに全国2位になった仲間がいたんです。彼と比較すると、僕は全国大会には出たけれどそこで結果を残していない。当時は、最低でもベスト3には入らないといけないと思っていて、そこにたどり着けていない自分はまだまだだと思っていました」

中学校に進むと、新しいことを始めようと陸上部に入った。種目は長距離。県大会に出場し、駅伝でも活躍した。もっと上へ、もっと上へ。目標に向かって夢中に練習した。

陸上は高校でも続けた。部の仲間たちと切磋琢磨していくことが楽しかった。部活を離れれば、学園祭の実行委員も経験した。アイデアを出し合い、イベントをつくり上げるのは、大変だが大きな充実感があった。

「大学ではもっと大きなイベントがやりたい」。そう思ったゆうきは、学園祭の実行サークルに所属。高校に比べて遥かに規模が大きくなる学園祭は、関わるスタッフも多くなり、それぞれの仕事も分業制になる。高校では一人でさまざまな役割を担っていたが、大学では担当範囲が決められているため、それなりに充実感はあったが、どこかで物足りなさも感じた。

加えて在学中に突然やってきた新型コロナウイルスのパンデミック。さまざまなイベントが中止になり、気持ちを込めるものがなくなった。社会が動き出した頃には卒業を迎える。「次は何をしたらよいのだろう? やりたいことが見つからない……」。そんな状態で就職活動を迎えようとしていた。

「ゆうき、自分ができたことを一つひとつ認めていくことが大事だ。今までも十分にすごいことをやってきているんだから」

面談で自分の過去を共有したときに、西村から言われた言葉だ。そのときに気がついた。「認めることと満足することは違うのでは?」と。

「そう思ったとき、僕がMY MICHIプロジェクトに参加するテーマは『自分を認めてあげられるようになること』と思いました。そのために参加しよう。同時に、コロナ禍でちょっと乾いていた自分の心にも火をつけたい。消えかかっていた情熱を取り戻したいと思ったのです」

プログラムへの参加動機やこれまでの自分を振り返り発表する様子

町の人たちから感じた優しさとつながり

「参加すると決めたからには、上士幌で何かを見つけないといけない」

ゆうきはそう考えていた。まず刺激を受けたのは、同じ7期の参加メンバーだ。7期には、自分と同じ学生もいれば、社会人もいた。特に、先に社会を経験しているメンバーの話は、それだけで興味深く聞くことができた。

例えば、世界中を旅してきたペイ(志村晋平)だ。ペイは「働きながら世界中を旅する」という自分の夢を叶えた人間だった。ゆうきは、自ら夢を叶えたという人間に会うのは初めてだった。

チームミーティングで自分のことを振り返る

「ペイは夢を叶えてしまったことで、次の目標を見失っていました。夢を叶えたのなら、十分幸せじゃないかと思ったのですが、そんなペイでも悩んでいる。一方、僕は何も成し遂げていないのに、夢中になれるものがないと言っている。何か違う気がして、僕はまだまだ狭いところでしか物事を見ていなかったのだなと思いました」

町で出会った人たちからは、優しさやつながりを感じることが多くあった。その一つが、電気器具店を営む花房佳典[小嶋則之1] さんとのエピソードだ。

8月、上士幌町では「北海道バルーンフェスティバル」が開催される。1974年に日本で初めて開催された熱気球の大会で、2023年には50回目を迎える歴史あるイベントだ。それを、ゆうきたち7期生が手伝った。ここで出会ったのが自身もバルーンパイロットである花房さんだ。

バルーンフェスティバルの夜はファイヤーショー

「花房さんとは、それからすごく仲良くさせていただきました。あるときに電化製品の処分を手伝ったのですが、そのお礼にと帯広まで連れて行ってくれて、お昼をご馳走になったこともあります。ちょっと手伝っただけなのにそこまでしてくれて、どうして? という思いと、町の人の優しさと温かさを感じました」と、ゆうきは言う。

こんなこともあった。花房さんがある家に冷蔵庫を設置に行くというので、手伝った。その訪問先のお母さんとも会話をして親しくなれた。お母さんは自宅の庭を丁寧に整えていて、そこに色とりどりの花が咲いているのを見た。

別の日に同じ7期メンバーが染物のワークショップをしたいと言った。花びら染めをするためには花が必要だ。「そういえば、あのお宅の庭にたくさん花が咲いていたな」。思い出したゆうきは、そのお母さん宅を訪問し、花がほしいと申し出た。「いいわよ。好きなだけ持っていって」と、大量の花をもらうことができた。

「思いもかけずに、たくさんの花をいただくことができて、驚きと感謝でいっぱいでした。小さな町だからこそ、ちょっとした日常生活の中から人とのつながりを感じる場面がたくさんありました。何より、皆さんが自然体で暮らしている様子がすごく素敵に思えました」と、ゆうき。

そんな町の人たちの日常に接しているうちに、ゆうきの気持ちにも変化が生まれた。

「上士幌に来たときは『何かを見つけなきゃ!』と気負っていましたが、自然体でいることが実はすごく大切なんじゃないかって思いました。上士幌で出会った皆さんは、気持ちに余裕がある方たちばかり。なぜそんなに余裕があるのかと考えたら、自然体で暮らしているからかなと。僕自身も、自然なままでいることができたら、そんな自分を認めることができるはずだと思いました」

上士幌で出会った人たちのように生きていく

上士幌での生活は、想像以上に楽しいものだった。自然、アクティビティ、シェアハウス生活、そして何より出会った人たち。町の人たちのつながりの中に身を置くと、自分は一体何に悩んでいたのだろうと思った。

三国峠のカルデラを目の前に感動する様子

上士幌の人たちは、相手に対してそれが誰であれ「自分がやりたいから」という気持ちで接してくれる。そこに見返りは求めない。ギブ・ギブ・ギブ……みんな誰かに、何かを与えている。そしてそれを心から楽しんでいる。

「やりたくてやっているだけだから。何も思わなくていいよ」

そんな声を何度聞いたことだろう。

「MY MICHIプロジェクト」を経験して、気負わずに、自然体でいることの大切さがわかった。そんな自分を認めることができるようになった。

宮内牧場で歓迎バーベキュー会

これから社会に出て何をやりたいのか? やりたいことは見つけるものではなく、自然に生活して、日々を送っていれば、自ずと心の中から湧いてくるのかもしれない。そう思えるようになった。

ゆうきは、4月から旅行業界で働くことになる。まずは仕事を覚えていくのに精一杯だろうが、自分はイベントが大好きだ。いつかサッカーW杯やオリンピックなど、大きなイベントの観戦ツアーを企画してみたい。今、そんなことを思っている。

「自分を認めて、自然体で生きていく」。これがゆうきのマイミチだ。

最終報告会で1ヶ月を振り返り大切なものに気づけた優希

できたことは素直に認めて、興味が湧いたことにはチャレンジする。気負わずに、自分らしく。上士幌で出会った人たちのように、いつも心に余裕を持って。

いつでも、野田優希であるために。

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