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夜会の櫻井翔くんイジりについて

昨日の夜会を経て、櫻井翔くんファンの方々(ジャニオタの界隈では「翔担」と呼ばれています)激おこプンプン丸現象が起きているのを拝見いたしました。

「いじりの域を超えているじゃないか!」「翔くんがかわいそう!」「見てて楽しい気持ちになれない!」などなど。

かく言う私も翔担なのですが、本案件に関して、考察させて頂きたいと思います。

「夜会の翔くんいじり(今までのものも含めて)をどう見立てるか?」

これが論点かなと思っています。皆さん、どのように感じていますか?

私は、長い時間軸で見たときに、夜会の功績は素晴らしいと思っています。

下記のように投稿したのですが

櫻井翔くんは、言ってみたら天然なんですね。天然・・・という形容がベストかどうかは定かではないのですが、「本人はド真剣にやっていることが、周囲から見るとちょっと可愛らしく映る」という意味で、天然という言葉を使っています。

私は翔くんのこの側面を「なんともいえないところ」と形容しておりまして、2013年くらいから布教活動に勤しんでおります。

で、そのうまく言葉に出来ないけど「なんともいえないところ」を、一番いい形で世の中に出したのが、夜会だったなと思ってるんですよね。

こちらの記事をご覧ください。

「櫻井翔の夜会inハワイ(2014年放送)」 ですね。これは本当に素晴らしかった。TBSに足向けて寝られないな!!!!って百万回くらい思いましたもん。挙句の果てには、アメブロ時代の記事ご覧いただければと思いますが、この夜会だけで4つくらい記事かいています。とても興奮していることをお察しいただけるのではないでしょうか。

ただ、今回持った仮説として、

「夜会は、良い櫻井翔いじり(着眼の仕方)の方法を自分たちで自覚できていないのではないか」

と感じました。

TBSが言語化できていないようなので、私が代わりに言語化させて頂きます。

夜会の手腕は「櫻井翔くんを自由に行動させて、その『なんともいえない天然な可愛らしいところ』に的確につっこみに入れる」→「オンエアして、スタジオの翔くんがぽわぽわしながら恥ずかしそうにみる(俺そんな風に見られててんの~~~??)」

この流れが素晴らしいのです。人工にしたらまったく意味がありません。彼を自由に行動させるのです。これが必要不可欠です。その点において、今回の夜会はしくじっているのではないかと個人的には考えています。

なので、まぁ皆さんが残念に思う気持ちもわかりますが、長い目で見ると、夜会という番組がやってきてくれたことには私は感謝したいなと思っている派です。

こんな感じで軽快に書いていきますね!では、ラプラスの魔女見に行ってきます!


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