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弟の死

長女について少し紹介


自己紹介記事にもチラッと書きましたが、私には姉が2人・弟が1人いました。

次女は交通事故で死別しています。
詳しくはこちらを読んでいただけるとわかります。


さて、話を戻して長女の紹介に参ります。

長女は先天性心疾患、心臓に4つほど病気を持って生まれました。

一日に飲める水分量が決まっており自由に食事が出来ない状態。
幼いうちから薬も飲まなければいけなかったそうです。

手術も沢山行い、時には救急車で運ばれるなんてことも。

そんな姉は、生きていれば私の7歳上です。
小さい頃から頭が良く3歳頃にはセーラームーンのパズルを1人で完成出来るほどに。

姉はセーラームーンが大好きで中でもセーラーマーキュリーが好きだったそうです!
理由は、ショートカットで自分と同じだから♪

とても可愛らしいですよね。
両親にとって初めての子ども、毎日可愛がっていたと思います。

しかしそんな幸せな日々は長くは続きません。

先程伝えたように姉は先天性心疾患を患ってます。

そのため、3歳という若さでこの世を去ってしまうのです。

長女が亡くなってから次女が生まれているため、勿論ですが私も長女には会ったことはありません。

写真は沢山見たことがありビデオも撮ってあったらしいのですが、そっちの方は色々思い出してしまうから…と見せてもらったことはありません。

…というように、会ったことはありませんが素敵な姉がいたことは両親から沢山伝えられてます!



さて、ようやくタイトルにある弟について語りたいと思います。

私より3歳年下の弟。

幼稚園・小学校の頃は身長が凄く小さく、女々しかった印象です。

そんな弟とはよく喧嘩をしたけれど沢山遊んだりもした。

中学にあがりあんなに小さかった弟が、卒業する頃には私を見下ろすくらい大きくなりました。
高校は知り合いのいない所に行きたいということで、実家から遠く離れた島に留学します。

この島留学が女々しかった弟を成長させました。

親元を離れバイトと学校の生活。
島ならではの授業があったり、生徒数が少ないためマンツーマンで授業を受けたり。
若干不登校気味だった中学時代に比べ、高校生活は遥かに楽しそうでした。

(※この時に次女が交通事故で他界してます)

時は進み高校を卒業。春から大学生🌸そして心も体も成長した姿で実家へ帰ってきます

せっかく大学生になったのですが1年の時に中退してしまいます。その後はバイト生活。

弟が19歳の時、私は既に結婚していて私たち夫婦と共にスノボーをやりに行きました!
私と弟はボードデビューして下手くそながらに凄く楽しんだのは今でも良い思い出です。

ボードの帰り実家まで弟を送り、またやろうね!と別れます。

これが弟との最後の思い出になるとは知らずに。



ボードから2ヶ月くらい経った時のこと、私は夫と富良野までドライブしに行ってました。

この日の帰り道、弟からLINEが入ります。

〝お土産買ってきたから今からお家に行ってもいい?〟

富良野にいて帰宅時間は遅くなるため、お土産は明後日取りに行くよと伝えました。
この日富良野に行っていた事は今でも後悔しています。

次の日の16時頃に私は仕事から帰宅しました。一息ついてソファーに座っていると一通の電話が届きます。祖父でした。

「もしもし、ゆっちゃん今何してた?」

「仕事から帰ってきたところだけどどうしたの?」

「ビックリするんじゃないよ、、、○○(弟の名前)が亡くなった。」



弟の訃報を聞き、すぐさま父親に連絡をします。


「…もしもし、ゆっちゃんか」

着信の時点で察したのか沈んでいるが落ち着いた声でした。

父の声を聞き一気に涙が溢れ出ます。

姉が数年前に亡くなっている事から、今私に弟のことを話すと取り乱してしまう。旦那が帰宅しそうな時間帯に知らせようと両親なりの配慮で先に祖父母の方へ連絡をしたようですが、そんな事も知らずに祖父は私に知らせてしまいました。

両親が想像した程取り乱しはしませんでしたが、父親と話したあとに夫にもすぐ連絡をしました。
夫との電話の際、泣いてしまい第一声が出せずにいました。声が出ないほど泣いたのは姉のことと重なったから。

夫が帰宅するまでは暗くなった部屋で泣きじゃくることしか出来ず…。



数十分後

帰宅した夫に無言で抱き寄せられます。

姉の時と同じ。

一旦落ち着き、葬儀の話を進める両親の元へ行くため身支度をします。

あんなに泣いていたのに夫が帰宅してからは冷静で、姉が事故に遭った時とは打って変わってご飯もしっかり食べれました。

この冷静さはなんなのか自覚がありました。

それは両親のため。

長女、次女に続いて弟までも失ってしまった。

両親からすれば愛するわが子の死を目の当たりにするのは3回目。

とても耐えれることではありません。

悲しみよりも自分がしっかりしないとという気持ちが強かったです。




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