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【ビリヤニマンの南インド留学2】そもそも、なにゆえ南インドへ?

面接官「なぜ南インドの大学院に?」

こんにちは!ビリヤニマンです。

前回の投稿で触れたように、私は2018年に南インド・チェンナイの大学院で社会福祉を学び始めました。

...と、就活の面接で伝えると、次の質問は聞かれなくても分かります。

「なぜ南インドの大学院に行こうと思ったのですか?」

この質問の答えを、ここでは就活用のテンプレと化した回答としてではなく、ありのままに述べようと思います。

「インド オモシロソウ(語彙力)」

さかのぼることウン年前、私は日本の大学で文化人類学を学んでいました。

文化人類学とは、世界のさまざまな民族の文化や社会について研究することを通して、文化の普遍性を追求し、人間とはなにかについて考える学問です。

日本、アフリカ、ヨーロッパなど、様々な地域がある中で、私が研究対象に選んだのは「インド」でした。理由は「なんかおもしろそうだから!(語彙力赤ちゃんレベル)」。

あのとき「オモシロソウ」の一言で片付けられてしまったインド。まさか自分の今後の人生に深く関わってくる存在になろうとは、当時の私は知る由もなかった...。

人と同じことはしたくない!20代の反抗期

そんなこんなでインドを研究し始めた私でしたが、素晴らしい教授や仲間に恵まれ、どんどんインドにのめり込んでいきました。

ちなみに、当時の私の大学には南インドに精通した教授が幾名かいらっしゃったため、研究対象も南インドに設定しました。

そうこうしているうちに気づけば3年生の秋。時は就活シーズンに。

しかしその頃の私は「他の人と同じことはしたくない!私は私の道を行く!」という謎の熱い想いを持っていました(よりによってこのタイミングでw)。

そのため、「リクルートスーツを着たくない」という理由から、就職活動無期限停止を決めます(歌手かい)。

行くあてのなくなった私は、「とりあえず勉強を続ければ道は開けるだろう!」と未来の偉人のような信念を持ち、大学院への進学を目指します。しかも日本の大学ではなく、海外の大学へ行こう、と。理由は、「英語が話せるようになったらカッコイイぢゃん!」というお決まりの単純思考。

物事が決まると後先考えず即行動してしまうのが私の悪いクセ。当時私がそれなりに知っている海外=インドだったため、知り合いからの情報を頼りに、とある大学への進学を決めます。それが、タミルナードゥ州のチェンナイという都市にあるロヨラ大学でした。

その後、周囲に手助けされながら入学試験の手続きを済ませます。そしてあっという間に出国の日に。入学試験はうまくいくだろうか、英語は話せるだろうか、ごはんは、住む場所は...と、分からないことを悩んでいてもしょうがない!とりあえず行ってみよう!

こんな流れで、私の南インド留学は始まったのでした。

結論→全ての道はインドに通ず!

今回は、私が南インドに留学するに至った経緯をお話ししました。

気づけば、「インドおもしろそう!」から始まり、「他人と違うことがしたい!」「英語が話せたらカッコイイ!」など、常に単純な思考回路で行動してきた大学時代の私。

それらは最終的に、南インドへの留学という、一つの目的に(奇跡的に)繋がっていきました。まさに、All Roads Lead to Romeならぬ、All Roads Lead to India...!!

波乱万丈な幕開けとなった留学生活、果たして無事に乗り越えられるのか!?

【おまけ・Today's 表紙Photo】

ビリヤニマンの名前の由来でもあるインドの炊き込みごはん、ビリヤニ。結婚式などの特別な日によく食べられます。

写真は、大学院の文化祭が行われた時に振る舞われたマトンビリヤニ。ちなみに“ マトン ”は、インドではヤギのことを指します。

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