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歴史・人物伝~信長飛躍編⑦小牧山を美濃攻略の拠点に

織田信長が、他の戦国武将と違う点の一つに、領地を増やしていくたびに拠点(居城)を移していったことです。武田信玄が躑躅ケ崎(甲府)を終生拠点にしていたのとは対照的な動きといえます。

斎藤龍興の代になったからといって、美濃を攻略するのは並大抵のことではありません。何度も攻めてはいますが、道三が支配していた頃の歴戦の武将たちも数多く、長期戦を余儀なくされました。

そこで信長は、清洲城から拠点を美濃寄りに移すことを計画します。最初に家臣たちに申し渡したのは、二の宮山(犬山市)という場所。ここは山中の高山にあり、行き来するのが大変で家臣たちも迷惑がったそうです。

すると信長は「小牧山に移ろう」と言い出しました。こちらは麓まで川が続いているため、引っ越しも便利な場所。家臣たちは「二の宮山よりは、はるかにいい」と喜んだそうです。

信長公記で太田牛一は、信長は最初から小牧山を拠点にするつもりだったと推測し、先に不便な二の宮山のことを言ってからなら小牧山移転もスムーズにいくだろうと考えた「計略」だと述べています。

小牧山城は、敵の前線基地だった犬山城とは目と鼻の先にあります。肥沃で物流などの便もよかった清洲城をあえて離れ、この場所に拠点を置いた信長の慧眼ぶりには頭が下がりますね。


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