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歴史・人物伝~信長飛躍編⑨7年がかりで美濃を攻略

桶狭間の合戦の後、美濃進攻に着手した織田信長でしたが、斎藤道三以来の家臣が多く残っており、攻略には時間がかかりました。ただ、私には「手こずった」というより、「じっくり攻めた」との印象があります。

小牧山城を拠点に据えてからは、北東にある犬山城、加治田城(富加町)、猿啄城(さるばみじょう、坂祝町)、宇留間城(各務原市鵜沼)と、美濃方の武将たちを次々と攻略していきました。

また、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が築いたとされる墨俣一夜城のエピソードのように、木曽川や長良川を北上して何度も攻め込み、徐々に勢力範囲を広げていったのです。

信長にとって攻略の決定打となったのが、美濃三人衆(稲葉一鉄、氏家卜全、安藤守就)が味方に付いたことです。これを受けて、斎藤龍興の居城である稲葉山城を一気に攻め、龍興は敗走しました。

信長は、小牧山城から稲葉山城に拠点を移し、地名を「岐阜」と改めさせました。信長の視線の先には、はっきりと京の都が見えていたのでしょう。天下統一を目指す信長の居城にふさわしい名前を選んだのです。

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