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歴史・人物伝~エピソード編㉖:坂本龍馬「商人の血を最大限生かした幕末の風雲児」

龍馬はトップセールスマン?

幕末・維新の歴史上の人物で「坂本龍馬」の名前を知らない方は、ほとんどいないでしょう。小説、ドラマ、映画だけでなく、漫画の主人公にも取り上げられ、藩や武士階級にとらわれない自由奔放な活動が多くの人の共感を呼んでいます。

龍馬がなぜ、そうした活動ができたのか? 私は「彼の生い立ちにある」と考えています。龍馬は下級武士とされていますが、本家の才谷家は豪商つまり商人でした。武士でありながら、商人の良いところを吸収して育ったのです。

例えば薩長同盟も、両藩を経済面から結び付けようという発想が発端となっています。長州から武器、薩摩から米を相互に流通し、信頼関係を蓄積していきながら軍事同盟へと進めていったのです。その流通を担ったのが龍馬でした。

同じ時期、龍馬は全国各地を飛び歩いていたことが分かっています。どんどんと相手の懐に飛び込んで、情報収集したり、交渉したりというフットワークのよさは、現代のトップセールスマンにも通ずるものがあると思います。

若き龍馬が意識を変えたのは?

坂本龍馬の本家は才谷家という豪商でしたが、龍馬自身は武士として剣術で身を立てようと思い、江戸の千葉道場で修行をしています。北辰一刀流免許皆伝だったとも伝わっており、かなりの剣の腕を持っていたようです。

若き竜馬が攘夷から開国へと意識を変えたのは、土佐の画家・河田小龍との出会いでした。小龍を通して、アメリカを経験してきたジョン万次郎の話を聞き、「諸外国と貿易をして、力を蓄えねばならない」ということを学びました。

「貿易」という概念は、おそらく当時の武士出身者では理解できなかったでしょう。商人の血が流れていたからこそ、龍馬は「理にかなっている」と思えたのです。後に勝海舟の弟子になるための礎が、すでに築かれていました。

同じころ、武市瑞山が立ち上げた土佐勤王党にも参加しています。バリバリの尊王攘夷思想集団なので、龍馬には違和感があったかもしれません。ですが、土佐勤王党で多くの同志と知り合えたことは、龍馬の人脈形成に大いに役立ったのです。

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