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歴史・人物伝~信長飛躍編⑥斎藤道三戦死後の美濃はどうなっていた?

織田信長は桶狭間の合戦に勝利し、今川義元を討ち果たしました。当面、東からの脅威を懸念することがなくなった信長は、新たなターゲットとして美濃攻略に着手し始めるのです。

美濃は、信長の義父(濃姫の父)でもある斎藤道三が事実上支配していましたが、1556年に息子の義龍が決起し、長良川の戦いで道三を敗死させたことで実権を握りました。

ところが、義龍は桶狭間の合戦の翌年となる1561年に死去し、その長男の龍興が14歳で家督を継ぎます。龍興は若すぎたことに加え、器量も道三、義龍に劣ると言われ、美濃の統治は不安定になっていきました。

信長とすれば、尾張一国を実力で支配下に収めたうえ、今川義元という大敵を破ったという自信もあったでしょう。また、道三から「美濃一国の譲り渡し」も約束されていたとも伝えられています。

幸い、美濃を取り巻く他国の情勢を見ても、尾張織田家以外に美濃進攻が出来そうな領主はいません。また、三河で独立を果たした徳川家康とは同盟関係を結び、東の脅威も払拭できました。

次回以降、信長の戦略などについて書いていきます。

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