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歴史・人物伝~新選組同志編⑧新選組の変遷を書き残した永倉新八

新選組銘々伝は沖田総司に続き、永倉新八について書きます。永倉は、松前藩士の子として生まれた武士出身で、修行の最中に近藤勇と出会い、試衛館に出入りするようになりました。

永倉は神道無念流の使い手で、その実力は沖田を上回り、新選組では一番の剣の達人とも言われました。近藤勇とともに、浪士たちが集まっていた池田屋へ真っ先に突入した武勇伝が残っています。

一方で、近藤や土方の新選組運営に対し、異を唱えることもしばしばありました。「近藤のわがままが増長している」として、京都守護職の松平容保(会津藩主)に直接訴え出たことさえあったのです。

幕末・維新の激動を生き抜いた永倉は、明治になって間もなく、近藤や土方らを供養するための碑を東京板橋に建立しました。無念の思いで生涯を閉じた近藤の思いが、永倉にはよく分かっていたのでしょう。

大正時代まで生きた永倉は、自伝「新選組顛末記」を残しました。ここには、試衛館時代からの新選組の様々なエピソードが書き記されており、新選組の実像を知るための貴重な資料になっています。

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