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歴史・人物伝~松陰先生編⑪池田屋事件に巻き込まれた吉田稔麿

歴史・人物伝~松陰先生編の第11回です。吉田松陰(松下村塾)の教え子たちの三人目は吉田稔麿を取り上げます。

松下村塾の双璧と呼ばれた久坂玄瑞と高杉晋作に匹敵する人物だったのが、吉田稔麿です。人によっては、久坂、高杉と並んで「松門の三傑」と称したり、入江九一を加えて「四天王」と呼んだりしています。

稔麿は、塾生の中では物静かなタイプだったといい、松陰から「識見に優れている」と評価されていました。しかし、幕末の動乱で活躍した久坂や高杉に比べ、稔麿は歴史に名を残せなかったのです。

長州藩が京都から追放された政変後も、密かに京都で活動を続けていた稔麿でしたが、ある歴史的な事件に巻き込まれてしまい、命を落としました。志士を取り締まっていた新選組が一躍名を上げた「池田屋事件」です。

事件では、多くの志士たちが殺されたり、捕縛されたりしました。その中に、松陰の友人だった宮部鼎蔵がおり、稔麿も松陰との縁で宮部とのつながりがあったのだと思われます。

最後に、漢学者の牧野謙次郎が明治になって語った「維新伝疑史話」に出てくる話を紹介します。

稔麿が、放たれた牛の絵を描き、その下に烏帽子、木刀、木の棒を添えた。山県有朋が何を意味するのか尋ねると、「高杉晋作は人にしばられることを好まない暴れ牛のようなもの。久坂玄瑞は雰囲気が立派なので烏帽子を被せれば絵になる。入江九一は斬れないが脅すことくらいはできる木刀だろう」と答えた。さらに山県が木の棒について尋ねると、「それは凡庸なお前だ」と言い放った。

実際に語ったかどうかは別として、常に冷静沈着に物事を見ていた吉田稔麿の人物像が分かるエピソードですね。

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