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歴史・人物伝~新選組上洛編③中山道を歩く浪士たち

京の治安維持のために幕府が組織した浪士組は、中山道を進んでいきます。途中には碓氷峠や和田峠といった峠越え、木曽谷などの難所が幾つもありましたが、なぜ東海道ではなく中山道だったのでしょう。

浪士組の面々は素性に問題があったり、粗暴だったりする連中なので、道中で事件などを起こされてはたまらないから、東海道を避けたのではと言われています。それも理由の一つだったでしょう。

他にも理由は考えられます。まず、東海道には橋が掛けられていない大井川と、海路を使う伊勢湾という二つの関門がありました。さらに、国内で最も厳しいとされた箱根の関所を通らねばなりません。

道中での「手間」という点を考えれば、歩いていさえすれば到着できる中山道の方が都合がよかったのでしょう。当時の中山道は主要幹線路であり、和宮様の嫁入り行列も中山道を進みました。

ところで、私の住む諏訪地方には中山道の宿場町・下諏訪があります。上洛する浪士組にとっては、和田峠という難所を超えた先にある宿場ですので、必ず宿を取っていただろうと思われます。

下諏訪には湯量豊富な温泉がありますので、浪士組一行の長旅を癒したに違いありません。今も残る名湯に、近藤勇や土方歳三ら新選組の面々が浸かったのだと思うと、歴史のロマンを感じます。

今回は、浪士組とは直接関係のない話を書きましたが、ご容赦を(笑)

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