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歴史・人物伝~太平記・倒幕編②倒幕意識を強めていった後醍醐天皇

歴史・人物伝~太平記編の第2回です。

太平記の書き出しは、後醍醐天皇の即位から始まります。太平記編①で述べたように、本来は兄の後二条天皇の子・邦良親王が皇位を継承するところでしたが、幼少のために後醍醐天皇が皇位についたのです。

後醍醐天皇は、当時としては高齢の31歳で即位しています。太平記では「和漢に通じ、詩歌にたけている」と評されたばかりか、政治にも強い関心を持っていたとしています。

父の後宇多上皇の院政をやめ、自らが先頭に立つ天皇親政の政治を開始します。それでも、持明院統と大覚寺統の「両統迭立」の流れの中では、「自身一代限りの皇統」で終わることは避けられません。

後醍醐天皇は「両統迭立を作り、皇位継承を意のままにしている幕府を倒してしまおう」との思いを持ちます。さらに、邦良親王が亡くなり、自身の子に皇位継承の芽が出てきたことも倒幕意識に拍車をかけたようです。

ただ、幕府は「次の天皇は持明院統の量仁親王(のちの光厳天皇)」との裁定を下します。後醍醐天皇の倒幕意識は頂点に達し、ついに1331年、倒幕に直結していく「元弘の変」が勃発するのです。

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