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歴史・人物伝~関ケ原編⑬「家康の信頼を勝ち得た大名」藤堂高虎

歴史・人物伝~関ケ原編の第13回です。

東軍(家康方)の主力部隊の一つだった藤堂高虎は、主君を変えながら出世を続け、家名を残した「世渡り上手」と言われます。マイナスイメージを持たれがちですが、実際はどんな武将だったのでしょうか。

高虎は近江(滋賀県)の出身で、はじめは浅井長政の家臣でした。浅井家滅亡後は主君を何人か変えましたが、豊臣秀吉の弟・羽柴秀長の家臣になってからは、秀長の元で秀吉の天下取りに尽力しました。

高虎が、福島正則や加藤清正と違うのは、同じ豊臣家恩顧の大名とはいえ、仕えていた主君はあくまでも秀長だったことです。秀長の死去後は、一時高野山に出家するなど豊臣家と距離を置いた時期もありました。

その高虎が、次の主君として仕えたのが徳川家康だったのです。関ケ原の合戦の頃は、豊臣家恩顧の意識よりも「家康の天下取りに力を尽くす」という意識の方が強かったのではないでしょうか。

家康は高虎を信頼し続け、藤堂家を譜代大名と同等に扱ってきました。それは、藤堂家が津藩(三重県)という要衝の地を与えられ続けたことにも表れています。世渡り上手だけでは、これほどの信頼は勝ち得ません。

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