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時唄県双瀧郡うすば町涸瀧山(短編小説)

 
 
 時唄県双瀧郡うすば町にある涸瀧山にふたりで登っちゃいけない、呪われて死んでしまうから。
 という雑な怪談があるので、私と笛吹ちゃんで登りに行く。笛吹ちゃんは隣の県の大学のオカルトサークルで知り合った友達で、よくこんな風に怪談を確認しに行くのだ。
 怪談はだいたい嘘だけれどたまに本物がある。だからそこのスリルを味わいたくて確認旅行を続けている。今回のものが本当だったら危ないので、もうひとりのサークル部員である杉原さんに山の入口付近の農道で待っていてもらっている。ふたりで登ると死ぬのなら、土壇場で三人に切り替わればどうにかなるんじゃないか? という保険だ。
 で、実際に私と笛吹ちゃんは死ぬ。
 というか殺し合う。
 もっと正確に言うなら、殺し合わされる。
 
 
 山のなかには双子の女幽霊がいて、どちらが強いかという争いをずっと続けているらしい。そもそも死んだ理由も争いによる同士討ちなのだが、死後もひたすらに勝負を行っている。でもどちらもセンスやら筋肉やらが同じくらいだから平行線をたどるばかりで、悩んだ挙句にとある方法を思いついたそうだ。
 生きている人間の身体を操って殺し合う。
 先に死んだほうが負け。
 この山にふらっと入ってきた人間の身体を早い者勝ちで選んで操る。もちろんそうなるとより体格や筋力などで優れているほうが、あるいは凶器となりうるものを隠し持っていたほうが勝ちやすい。その判断力や瞬発力、それから運も実力のうちというわけで運の力で競おうというわけだ。
 毎回それで勝敗はついているわけだけれど、お互いに負けず嫌いだからリベンジマッチを繰り返していて、今日このときも私と笛吹ちゃんの身体でそれを行おうとしている……ちなみに最近は洋子が勝つことが多いらしい……という事情を私が知ったときにはすでに幽霊に身体を支配されている。
 幽霊が私の脳に接続する瞬間に事情が流れ込んできたのだ。あるいはそれは、情けとしての説明をしておこうというつもりなのだろうか?
 とりあえずやめて! 私の身体を返して!
 と叫んでみるが私の身体の主導権を握る和子という女幽霊は訊く耳を持たず、私のリュックを漁って凶器を捜す。そして笛吹ちゃん……の身体を操る女幽霊(洋子というそうだ)は、隙ありとばかりに私に殴り掛かる。その手には石があり、拳に握りこまれている。私の頬にヒットする。私に痛みはないが、思いっきり歯が折れて血が出始める。私の歯が! 歯並びが自慢だったのに!
 和子はそれと同時に私のリュックからハサミを取りだす。洋子に先端を向けて突き立てる。洋子は顔を横に逸らして躱す。
 ハサミは顔の中心ではなく右耳にぶつかる。和子はハサミを開いて耳の根本を挟み込んで容赦なく閉じる。
 えっ?
 なんだかわからないけど力の抜ける気持ち悪い音がして、笛吹ちゃんの右耳が切り落とされる。噓!? と思った瞬間、断面から血液が噴き出る。笛吹ちゃんの耳がなくなった!
 洋子はそんなことになっているのに笛吹ちゃんの顔で笑って、でも神経の反射なのか表情は歪んでいる。石を握った拳でまたがつんと和子を、私の顔面を正面から殴る。鼻血を出してよろけた和子の手から洋子はハサミを奪い取ろうとする。和子は洋子を振り払い、ハサミを林の奥に投げ捨てる。跳ねて転がっていく音を経て見えなくなる。
 もう私のリュックには凶器となりうるものなどないと把握したようで、和子は洋子と同じように石を握りこむ。殴るのかと思いきやそれも洋子に投げつける。洋子がさっと避けると同時に和子は木々の隙間に入る。私は私の身体に虫が這うのを見て泣きそうになる。感覚が私になくてよかった。
 ざんざんざんざんざん、と追いかける洋子。
 笛吹ちゃんの足と私の足はどっちが早かったっけ?
 ひとまず体力は笛吹ちゃんの勝ちだ。バテる身体に舌打ちをする和子。口の端と鼻の穴からどくどくと血が出ていて、私のシャツを汚していく。これ洋子が放置していても私の身体が失血死しちゃうんじゃないかと思うが、意外とそこまででもないのだろうか。
 さておき洋子は和子に追いつき襲い掛かる。和子はその場でしゃがんだかと思えば石を握りこんだ拳で洋子の、つまり笛吹ちゃんの股間を殴る。悶絶する洋子。それ反則じゃないの? っていうか笛吹ちゃん大丈夫!?
 和子は容赦なく洋子の顔面をぶん殴る。洋子は笛吹ちゃんの眼鏡を外す。割れて破片が入って失明……を恐れたのかなと思ったがそうではなく、和子の拳に差し出して割り、その破片をつまんで和子の、私の眼球に突き刺す。
 私の左目を押さえて、和子は私の声帯で悲鳴を上げる。私の魂は声も出ない。やばいやばいやばい病院病院病院、としか考えられない。早くしないと失明する。私の視力。眼鏡要らずの2.0。というか眼球を刺されるシーンなんて毎回目を瞑ってしまうくらい苦手なのに自分の身体で行われるなんて!
 洋子はすっかり回復して、私の左目にさらに眼鏡の破片を突っ込む。血液とか、何か見慣れない液体とかが流れていくのを見て私は肉体もないのに脱力をしてしまう。
 目を逸らしたい。でも自分の身体に起こっていることなのに?
 混乱を醒ます鈍い音が鳴る。私の頭が笛吹ちゃんの頭を殴る。頭突き。思いっきりやりやがった。脳震盪とか起きるんじゃないかとはらはらする。実際、和子が操る私の身体はふらついている。でも、洋子の操る笛吹ちゃんは白目を剥いていて、本当に気を遣ってしまったのかもしれない。
 はいもう勝ちでいいじゃん病院病院! と叫ぶ私を無視して和子は笛吹ちゃんの両眼を殴りつける。笛吹ちゃんの綺麗な二重まぶたがどんどん腫れていく。拳の間から親指を出して瞼の間に突っ込む。両目を抉り潰す。それから今度は鼻を潰していく。鼻血と鼻水が出て、すでに擦り剝けていた私の拳に付着する。和子はそれでも構わず笛吹ちゃんの清楚な高い鼻を破壊し続ける。
 さすがに私は目を逸らす。可愛い友達の顔が私の拳にむちゃくちゃにされていくのは我慢できない。これが夢だとして、笛吹ちゃんの眼房と顔貌を破壊していく夢には果たして私のどのような願望が投影されているのだろうか?
 殴られっぱなしの笛吹ちゃんの身体が不意に動く。何かのスイッチが入ったみたいに両腕がガッと上がり私の首を掴む。洋子の殺意に応えるように和子も笛吹ちゃんの首を掴み、絞め始める。
 片目が見えているからか、和子はきちんと頸動脈を狙って絞めることができたようで、笛吹ちゃんの身体は痙攣しながらあぶくを吐き、やがて息絶える。ジーンズに染みができていく。
 これ私が殺したことになるの?
 幽霊に操られて殺してしまいましたって誰か信じてくれるだろうか? 少なくとも法の場ではたぶん無理だ。私の人生はここからどうなるんだ? いままでの努力や夢や人間関係は全部もう駄目になるしかないのか?
 という不安はしかし的外れで、私の人生にここからなんてものはない。和子は私の手で私の首を絞め始める。
 なんで?
「だって解放して除霊師に言いつけられたら終わりだから。我慢しな」
 と笛吹ちゃんの身体を抜けてへらへらしている洋子の説明を聞きながら、私は死に、私の肉体から解放される。
 幽霊になる。
 
 
 それにより私は自由に動けるようになる。試しに私の遺体に入ろうとしてみるが、それは無理そうだった。
 和子と洋子は山林のどこかに消えてしまう。私は笛吹ちゃんを捜す。笛吹ちゃんも幽霊になったはずだが、私が状況を把握したときには遺体の傍にはいなくなっていた。混乱して動き回っているんだろうか?
 私がそうであるように笛吹ちゃんも心細いはずだ。幽霊になるなんてわけがわからない。とりあえずひとりよりふたりのほうが、安心ができるんじゃないだろうか?
 そしてふたりで知恵を絞って、どうにか杉原さんに状況を伝えられたら、生き返れないにしても除霊師を呼んだりして、私たちのような被害者をこれ以上は生み出さないようにできるかもしれない。
 そうだ。
 死んだ私たちにできることは、次の被害を生み出さないことだ。じわじわと襲ってくる、もう生きて色々としていくことはできないんだ、というこの喪失感を、悲しさを、他の人に味わわせないように努力するのだ。そうしてこのわけのわからない悲劇を根絶するべきだ。
 そう思って捜し回っているうちに日が暮れる。山のなかに杉原さんが入ってくるのを見る。何かあったのかと心配になったのだろう。ごめん杉原さん。本当に何かあってごめん。
 私ひとりで考えなくては。ひとまず、色々と試してみたけれど、何か物体を持つということはできなさそうだ。それではどうしようか、と悩んでいると、笛吹ちゃんが木々の隙間から出てくる。そして杉原さんに近づく。私は理解する。つまり、私が和子に乗り移られたときのように、乗り移れば事情を説明できると判断したのだ。
 笛吹ちゃん賢い!
 感心しながらとりあえず見守る。
 笛吹ちゃんは杉原さんのなかに消える。杉原さんの動きが停まり、無表情になる。身体の主導権を笛吹ちゃんが握ったのだろう。
 笛吹ちゃんに操られ、杉原さんの身体は山林を突き進む。ショッキングだけれど、遺体を見せるのが手っ取り早いという判断だろうか?
 違った。笛吹ちゃんは杉原さんの身体をスズメバチの巣の前で立ち止まらせる。え、とびっくりしながら私が思い出すのは、先週、杉原さんがスズメバチに刺されたと言っていたこと。
 笛吹ちゃんは杉原さんの手を動かしてスズメバチの巣に触れ、両手で揺すらせる。粉がこぼれるみたいにハチがわっと出てくる。杉原さんの皮膚を毒針が囲む。
 杉原さんの身体は悲鳴を上げることもなく黙って刺され続ける。やがて様子に生理的な反応が出てくる。アナフィラキシーショック。胸を押さえながら喘息を発作する杉原さんの全身から嫌な汗が流れてきていて、まずいまずいまずい、と私はパニックになる。何ができる? 何もできない。もう刺されてしまったし、症状が出て来たいまも刺され続けている。
 笛吹ちゃんは杉原さんの身体から這い出る。杉原さんは一泊置いて、半狂乱になって山を駆け降りる。私はその後を追う。呼吸ができなくなって歩くこともできず、杉原さんは山林で死ぬ。
 杉原さんの魂が肉体から解放される。笛吹ちゃんは、幽霊だから触れるのか、私の手を引いて杉原さんの視界から外れる。
 何? どういうこと?
「う、ううう、うう、笛吹ちゃん? ど、どお、どういう」
「バレたら面倒臭いじゃん」と笛吹ちゃんは言う。「他の幽霊たちみたいに、よくわかんないけど死んじゃったんだな、ってめそめそしながら彷徨って、姿を保てなくなって消えればいい」
「はあ?」
「あんたも何もなくなるとそうなるから気をつけなね」
「わかんないわかんないわかんない。なんで? なんで杉原さん、杉原さんを、殺した、殺したの?」
「除霊の人でも呼ばれたら敵わないから」
 私は動揺する。「……笛吹ちゃんのフリした洋子?」
「なわけ。魂の形を誰かに完璧に寄せることなんてできないんだよ」
「なんで、なんか……え、いままでどこにいたの?」
「和子と洋子から、ぶん殴るついでに話聞いてた。幽霊になったら何ができて、何に気をつけなくちゃいけないのか。ちなみにぶん殴れなかった。クソ。あいつら喧嘩強すぎ」
 笛吹ちゃんはとっくに受け入れているのだ。幽霊になったものはしょうがない、と切り替えてルールを学びに行ったのだ。私なんてまだ現実感がないのに。
「なんで……なんでそんな、冷静でいられるの」
「だって、そりゃそうかって感じでしょ? 心霊スポットに、呪われる条件揃えて踏み入ったんだから。死ぬくらい覚悟してたでしょ?」
 してなかった、私は。なんだかんだ、何かがあってもいつものようにどうにかなって、怖かったな……で終わると思っていた。
「してなかったなら、まあ考えが足りてなかったね。怪談に近づくって、原因がなんであれこっぴどい目に遭う覚悟をしていないといけないんだし、泣きを見たって親の死に目に会えなくたって、可哀想なわけないんだから」
「……笛吹ちゃん」私は言う。「でも、だからってどうして? どうして杉原さんを殺したの? どうしてこの不幸を連鎖させたの? もしかしたら、杉原さんや、それこそ除霊師? に協力してもらえば、この山の呪いそのものだってなくせるかもしれなかったのに」
「なんで? 逆に、なんで連鎖させないの? あんな目に遭ったら、普通他の人たちにもしっかり同じ目に遭ってほしいし、杉原さんだけ無事でいるなんて不公平で納得いかないじゃん」
「ふ……不公平?」
「つうか除霊って要はもう一回死ぬみたいなもんらしいし。嫌でしょ? 二回も死にたくないって気持ち、あんたにもわかるでしょ? だから避けるわけ」
「笛吹ちゃん! そんな、自分のことばっかり!」
「あんたのことでもあるんだよ。あんたも除霊されたら死ぬ。それに和子と洋子も死ぬかもしれない。それはいいの? 自分自身が死んでる人だから、生きてる人より死んでる人を優先する。何がいけないの? どっちも尊重されるべき存在じゃないの? それとも、あんた、まだ自分が生きてる人間の側だと思ってるのかな」
 ぴしゃりと言われて私は固まる。実際、私は自分が死人である実感をどれくらい持てているだろうか? 持てていない。全部夢なんじゃないかとしか思ってない気がする。
 除霊。また死ぬということ。死ぬときの感覚というのがないというか、身体が損壊される痛みは和子が全部引き受けていたから、なんだかぬるっと自分の肉体を抜け出した感覚だった。苦しいとかもない。むしろ笛吹ちゃんはどうしてそこまで実感を持てるんだろう、と考えて、まあ笛吹ちゃんはそもそも適応力が高いほうだったな、と思い出す。場に慣れやすいというか、郷に従い慣れているというか、価値観のアップデートがスマートだ。
 生きている人間として、生きていく人間としての倫理観を、私も捨てなくちゃいけないんだろうか?
「ふらふらしてると死ぬよ」と笛吹ちゃんは言う。「幽霊なんて、気持ちだけで保ってるんだから。身体のあるときみたいに、消えたくても消えられない、辛くても維持されちゃうってことがない代わりに、自分であることを忘れて消えたい消えたいってなっちゃうとあっという間だから。ほら杉原さんメンタル弱いからもう消えたし」
 私は何も返事ができない。
 
 
 夜になって、杉原さんのポケットの携帯が鳴りだすのを聞く。笛吹ちゃんは杉原さんの遺体に入り込んで応答しようとするけれど、死んで何時間か経っているからだろう上手く筋肉が使えないようだ。瞼もあかないようだから喉を締めて口から音を出すということもできないのだろう、笛吹ちゃんはさっさと諦めて這い出る。携帯は鳴り続ける。
 それは杉原さんが帰ってこないことを不審に思ったご家族による電話だったのだろう、少しして警察と救急隊が来る。杉原さんはこの山に行くことを伝えていたのだ。私や笛吹ちゃんみたいに頻繁に夜明けまで怪談を確かめるため外出するタイプの子ではないから、今日も夜には帰る予定だったのだろうか。
 パトカーと救急車が農道の電信柱の傍に停められ、涸瀧山の捜索が始まった。
 杉原さんの遺体は山の入口ですぐに見つかったが、この山で複数人が死んでいることなんてしょっちゅうだから最初から予定されていたのか、杉原さん関係の手続き処理をするメンバー以外で、他に遺体がないかどうかの確認も開始された。
 十人ほどの警察官が山を登り始めた。あくまでもふたり組かける五ではなく十人組ですよと主張するかのように身を寄せ合っていた。木々の隙間を照らしたりかき分けたりしながら捜していたが、十人で常に一緒にいる必要があるから、基本的に山道から外れようとはしなかった。あるいは山道を真っ直ぐ歩いて、見つからなければ十人で山林のなかに入って捜索する予定なのかもしれない。どうあれ、絶対にふたりきりになってはいけないという怪談のせいで、普通の山狩りよりずっと手間がかかることになりそうだった。
 でも実際には手間はかからなかった。笛吹ちゃんがリーダー格の警察官に乗り移って拳銃を抜いて自分の心臓を撃たせた。
 発砲音。
 どよめき。
 中年警官は白目を剥いてうつぶせに斃れた。笛吹ちゃんは即座に遺体から離れて集団の最後尾にいた警官に乗り移り、音が小さいようにそうっと拳銃を抜いて目の前の警察官の首に銃口を押し付け、撃つ。斃れる。状況を認識される前に二発目を撃ちたかったようだけれど、反動のせいなのか無理みたいで、最後尾警官は小太りの警官に抑えつけられる。笛吹ちゃんは小太りの警官に乗り移って最後尾警官の頭に銃を突き付けてドカン。白目を剥いて死ぬ。
「何なんだよ!」と誰かが叫ぶ。「聞いてねえよ!」
 笛吹ちゃんは他の警察官が連絡を取ろうとしたタイミングで乗り移り小太りの警官を殺し、それを見て連絡を取ろうとした者に乗り移ってさっき乗り移った人を銃殺する。
 もう警官の人数が五人になってしまう。
 私は観測するばかりで動けない。罪のない警察官を殺して幽霊にしていく笛吹ちゃんは間違っていると思う。でも警察官は生きている者の正義であって死んでいる者の正義ではない。幽霊を守ることはできないし、そんな業務は課せられていない。だからって殺していいんだろうか?
「やめろ!」と、最初に死んだリーダー格の中年警官の幽霊が笛吹ちゃんを取り押さえようとするけれど、笛吹ちゃんはその前に別の警官に乗り移る。「畜生!」と中年警官は自分の身体に戻ろうとするが、それはどうやらできないみたいだった。
 生きている警官に乗り移ってどうにかするしかないんだろうけれど、そんなことできるはずがないのだ。目には目を、で他人を躊躇いなく犠牲にできるほど生きている者は冷たくない。死にたてでも、魂からまだ体温が抜けていない。
 他の警官たちもそんな感じで、まごついている彼らの前でまたひとり亡くなる。四人になる。すぐに三人になる。
 笛吹ちゃんは三人のうちひとり、背の高い警官に乗り移り、転がっている遺体から拳銃を貰う。そして山道を降りる。その場には警官ふたりだけが残される。
 和子と洋子がやってきて、警官の身体を使った勝負が始まる。
 いちにのさんで始まったそれはガンマンの決闘のようでもあって、銃を容赦なく撃ちあい避けあいながら距離を縮め、銃創で殴ったり警棒でぶっ叩いたりする。八人の遺体を踏みつけたり潰したりしてもお構いなしに。銃弾が切れると転がっている遺体から早い者勝ちで、笛吹ちゃんが持ち切れなかった銃をもらって撃ちあった。
 暗い山林に銃声が響く。山道の入り口のほうにも凶音は届いていて、救急隊員たちや待機の警官がどこかに連絡をしている。そしてそこに背の高い警官がやってくる。何が起こっているのか訊こうとした警官が胸を撃たれる。救急隊員たちも次々と撃たれて、もちろん取り押さえようという努力はするけれど無駄だ。笛吹ちゃんは、警官の身体を容赦なく使い倒す。人間を躊躇なく殺していく。逃げようと走り出したパトカーが銃弾でタイヤを割られて回転して、二秒後に救急隊員の車も同じように発進から破裂が起こって回転して、同じ方向に逃げようとしていたから同じ電柱にぶつかる。電柱がその衝撃で折れて救急車を虐げる。
 凄惨な事故に目もくれず笛吹ちゃんは銃を撃ち、銃を撃ち、銃を撃ち、弾切れになったら逃げようとしている警官の後頭部にぶん投げて、次の銃で追い打ちのように後頭部を撃つ。
 笛吹ちゃんいったいどこでそんな射撃の腕を、と思ったけれど、よく見るとときどき外している。笛吹ちゃんはただ、そういう失敗とかもどうでもいいのだ。とりあえず口封じができればいいだけで。
 笛吹ちゃんは他の警官がいなくなったところで車に近づく。逃げても無駄だと思ったのだろう、車内で生き残っていた人が降伏の意思を示す。目もくれず、笛吹ちゃんは給油口を開けてガソリンをまく。これから何が起こるのかみんなわかっているが、じゃあどうすればいいのかはわからない。
 硬直状態の生き残りが乗る車から、ガソリンの臭気から距離を取って、笛吹ちゃんは操っている警官のポケットにあったライターと煙草をためつすがめつ確認する。中身もオイルもある。
 火のついたタバコを、警官の肉体の身体能力を活かして車にぶん投げる。
 爆発。
 それを眺める笛吹ちゃんは恐れるでも笑うでもなくて、なんだか不機嫌そうにぼうっとしていた。
 救急隊員も警官も全滅して、じゃあその背の高い警官を殺すのかと思いきや、笛吹ちゃんはそうせずに、銃を補充しながら山に戻る。爆発の音を聞いた誰かが通報するだろうから、しばらく背の高い警官の身体を道具として使っていくことにしたのだろうか。
 和子と洋子の勝負はもう終わっていて、今度は和子が勝ったみたいだった。
 
 
 私はどうして、ただ黙って傍観しているのだろう?
 できることなんてないから。そうかもしれない。少なくとも私は笛吹ちゃんのように、あるいは和子と洋子のように他人の身体を借りて殺し合いをするなんてことはできない。残酷なことをしたくないし、それに和子が私の身体を使っていたとき私に痛みがなかったということは、私の痛覚の信号は和子が引き受けていたと考えていいはずだ。私には銃で撃たれる感覚を味わいながら他人を殺すことなんてできない。
 なんで? 自分がしんどいから何もしない、って言っていていいフェーズなの? 私は笛吹ちゃんに止まってほしいんじゃないの? 杉原さんが殺されたとき、非難していたのは気分でしかなかったの?
 私は笛吹ちゃんに怯えてしまっている。私と同じ経験をして、私と違う境地にさっさと至って、惨たらしいことを起こせる笛吹ちゃんが怖い。除霊されたくないから、という理由でこんなにもたくさんの人間を積極的に殺せるなんて理解ができない。誰も傷つけない道を選ぼうとしない笛吹ちゃんがおぞましい。
 そして私はわからない。笛吹ちゃんを止めることが正しいのか、笛吹ちゃんが抱いている怒りや不平感の発散を止めていいのかどうか、わからない。止めたほうがいいんだと思う。止めたいと思っている。けれど、死んでも尚、生きている人間としてのルールに縛ることは本当に正しいのだろうか? そもそも正しさってなんだろう、それってつまりみんなが傷つかずにできるだけ多くの人が豊かでいられるように生きていくためのものであって、傷つき奪われた死人にとってその正しさは必要なものなのだろうか?
 と考えて立ち止まっているけれど、立ち止まるために考えているということはないだろうか? 立ち往生をするために迷っているのではないだろうか? 少しでも決断までを引き延ばしてしまおうと?
 でも本当にわからないのだ。私がこんなに優柔不断なのに、どうして笛吹ちゃんはああも思い切れるんだろう? 私とあんまり変わらない経緯で死んだはずなのに。ただの性格の違い? でも倫理観としては割と合う友達だったはずなのだけれど。
 ……わからないことは動かない理由にならない。
 というところに考えが到達し、私は動く。
 そのとき、たしか洋子が乗り移っていたほうの警官の幽霊がぼやく。
「わけわかんねえよ。何が起こったんだよ。死んだのかよ俺。なんでなんかまだ痛えんだよ」
 え?
 私はその警官に事情を聞く。それから和子に乗っ取られた警官も捜して話を聞いて、理解する。
 笛吹ちゃんと、和子と洋子はどこだ?
 とりあえず和子だけ見つけて、事情を説明すると和子は怒った様子で洋子を捜そうとするが、ひとまず笛吹ちゃんを優先してもらうよう頼みこむ。
 和子は涸瀧山の構造にすっかり慣れているので、休み場所になりそうなところを次々と当たる。笛吹ちゃんは切り株の上で見つかる。背の高い警官の姿で座っている。
「笛吹ちゃん」私は言う。「もうやめて。生きている人を殺さないで」
「……除霊されたくないし、それに」笛吹ちゃんは警官の低い声帯で喋る。「無事に生きてるやつ、見かけると、苦しんで死なないなんて、まだ生きてるなんて不公平だって思う」
「あのね、笛吹ちゃん。それなんだけど聞いてほしくて」
「やだ。いつまで生きてるやつの道徳を押しつける気だよ。死んでるのに法律を、共同体を維持するための倫理を、どうして守る必要があるんだ? どうして散々な目に遭ったのに、勝手なことくらいしちゃいけないんだよ? あんたいつまで、自分が可哀想じゃないと思い込み続けるんだ」
「聞いて!」私は叫ぶ。「笛吹ちゃん、笛吹ちゃんが怒るべきは生きてる人じゃない!」
「……誰に怒れって言うわけ。心霊スポットなんかに足を踏み入れた自分自身か?」
「洋子だよ」と和子が言い、頭を下げる。「でも、わたしの責任でもある。気づけなかった、いままで。いつのときからそんなことしてたのか、知らなかったけど……巧妙に隠されてたんだ」
「……は?」
「どうやら洋子は他人を乗っ取るとき、痛覚とか、乗っ取り先の他人が感じるようにしていたみたい」和子は言った。「でもわたしは、自分のほうに感覚が来るようにしていた。そうするように勝負のルールとして最初から決めてあったから。だけど洋子はそのルールを破って、痛みを無視して戦っていたんだ」
 そここそが、不公平だったんだ。
 
 
 私と笛吹ちゃんは同じ苦しみのなかで死んだというわけではない、という話だ。あれだけの苦痛を、暴力を、一方的に与えられながら死んだのであれば、そりゃあ、性根も歪むというものだった。私なんかよりずっと、被害者としての実感があっただろう。それに他の幽霊によると、死ぬときの痛みは幻肢痛のように引きずるものみたいだ――そんなことになったら、生きている人を恨むようになっても、おかしくはない。
 順当に狂っただけだったのだ、笛吹ちゃんは。
 洋子が、ずるをしていたせいで。
 でも股間を殴られて悶えてなかった?
 と思って確認したところ、その苦しみも笛吹ちゃんにがっつり行っていて、洋子のほうは悶えるポーズを取っていただけのようだった。
 こすいなあ……。
 ということで捜索が始まり、双子の勘かすぐに見つかった洋子を、和子と笛吹ちゃんのふたりがかりでボコボコにしているとき遠くのほうからサイレンが聞こえる。
 同時に、気を失っていたらしき背の高い警官が音で目を覚ます。
 絶叫して嘔吐するのを見て、背中を擦ってあげたいなと思う。
 でもそれより、私にできることはある。
 やりたいことがある。
 和子と洋子と笛吹ちゃんに許可を取るべきか迷ったけれど、まあいいや、と私は背の高い警官に乗り移って、サイレンを頼りに山を下る。三人とも酷いんだからもう気を遣ってられない。
 うん。私だって私なりに怒っているのだ。
 山道で遺体を踏まないように歩いていると、登ってきた警官の集団と目が合う。
 私イン高身長警官はパトカーで署まで連行される。幽霊の話をして、乗っ取りの話をする。笛吹ちゃんのやったこと、和子と洋子がやってきたことについて説明する。つまり大量殺人や車の爆破などの諸々は笛吹ちゃんという幽霊がやったことであり、高身長警官は何も悪くないんだと釈明する。
 もちろん信じてくれない……と思いきや、涸瀧山の怪奇については地元警察にとってはメジャーだからか、何人か信じてくれる。捜査チームが否定派と肯定派に分かれて面倒くさそうで申し訳ないが、とりあえず除霊師を呼んでもらうところまで話を進めることができる。
 除霊が行われる。涸瀧山の幽霊は誰もいなくなる。
 さよなら笛吹ちゃん。
 それから、ふたりきりで山を登ってみる実験などが行われるが、殺し合いは発生せず登りきる。
 何度も試すが和子も洋子も笛吹ちゃんも何もしない。どこかから覗いているということもない。
 この世界から心霊スポットがひとつ消えたのだ。
 とりあえずここまでが私のやりたいことだったので高身長警官を開放する。恐らく精神病院に入院したりなんだり色々とあるんだろうけれど、それは私が乗り移った状態でやっても意味のないことだ。
 罪の意識とかやっちゃった感覚のフラッシュバックとかあるんだろうけれど、まあ、頑張れ。生きてるんだから。
 で、静かになった涸瀧山に残ってぼんやりと過ごしていると、だんだんここにいることすらどうでもよくなっていき、やがてどこにいるのかすらわからなくなっていき、なにもわからなくなる。
 時唄県双瀧郡うすば町涸瀧山は、そんなふうにあっさりと、ただのつまらない山になる。


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