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SALAD(短編小説)


 サラダ大好き。わたしには嫌いな野菜って概念がないしドレッシングも全部好きだ。小学生のときからサラダばっかりリクエストして食べてきて、子供が野菜を積極的に食べるのはよいことだから親も褒めてくれるし、じゃんじゃん作ってくれる。幸せ。外食のときも必ずサラダを頼んできたし、なんなら親や友達のサラダセットを譲ってもらったりもした。サラダをもしゃもしゃガシュガシュ食べてるときが一番楽しくて、友達から好きなタイプを訊かれたときも「野菜いっぱいくれる人」と言った。
 そんなんだからサラダを残す人を見ると、あーんもったいない……という気持ちになってきたし、完食主義の中学校だったから残しちゃったせいでしょっちゅうみんなに迷惑をかけている子を見ると、ばびゅんって憑依して食べちゃいたいなって思わずにはいられなかった。
 で、あるときの席替えでそのサラダ残しの前山くんと隣の席になったから、憑依より現実的な作戦を始める。簡単なことで、前山くんが食べたくないサラダが出たら、前山くんが口をつける前にわたしに譲ってくれるように言ったのだ。
「いいでしょ、ウィンウィンの関係だよ」
 前山くんとはそれまで話したことがなかったからだろうか、なんだかまごついてばかりではっきりしなかったけれど、最終的には承諾を得た。
「ありがとう、大谷」
「いいよお礼なんて。わたしとサラダのためだから」
 沈痛な面持ちでサラダを口に運ぶ光景が自分の傍で繰り広げられるなんて堪えられなかった。はっきり言ってそんなのサラダに失礼だ。
 そんなこんなで給食のとき、先生にバレないように毎回サラダをもらう。前山くんは信じられないことにサラダ全般が嫌いみたいで、本当に毎回ってペースでわたしはふたりぶんのサラダを食べる。美味しいし、前山くんも周りに迷惑をかけないで済んで嬉しそうだ。
 みんなハッピーハッピー、めでたしめでたし……とは、しかしならない。わたしと前山くんが付き合ってるって噂が上がる。
 何それ?
 一緒に帰ったり触れ合ったりとしたことがあるならわかるけれどそんなわけないし、授業中も休み時間も殆ど喋らないのに。ただ本当に、給食の時間にサラダをもらっているだけなのだけれど。
「前山のこと好きだから助けてんでしょ?」
 って言われても他人のために何かするくらい恋してなくてもやるもんじゃないの? まあ今回は自分に文字通り旨味があるから動いただけだけれど……愛情が満たされる=旨味と予想したのかもしれないが、人が何を得て嬉しいかってもっと色んな可能性があるってわかんないかな?
「大谷って野菜くれる男が好きって聞いたけど」
 いや給食のサラダなんて少なすぎてもう一皿ほしいくらいなんだけど!? そんな安い女と思わないでほしい……。
 そもそも誰がわたしの好きなタイプについて流したんだろう。小学生時代、その話をしたとき場にいた子で、中学が同じ……いや伝播に次ぐ伝播で巡ってきたのかもしれないから、その絞り込みに意味はない。少なくともわたしがそう答えたときみんな少し変なことを言われたような反応だったから、話題としての面白さを見込まれてネタにされていても不自然ではない。
 腹立ったり疑ったりしているわたしをよそに、前山くんはまんざらでもないようで、
「いっそ付き合う? 僕のサラダ一生ぶん全部あげる」
 などと言い出すので溜め息。
 無自覚に馬鹿にされているというか、そんなもんでしょお前なんか、って当然のように認識されるのってしんどいなあ。
 で、なんかもう前山くんからサラダをもらうのも嫌になってきたから終わりにして、給食のときも前山くんとは机をくっつけないようにする。傷ついてるらしいけれど、そんなの知らない。
 やがてわたしの助けを失った前山くんは、一番苦手なサラダが出た日にまた周りを巻き込んで超牛歩攻略をすることになる。昼休みが潰れていくのでちらほらと前山くんを恨めしそうにする視線が出るのは恒例だが、なんだか今回はわたしにも向いている気がする。
 え、わたしのせいだと思われてんの?
 わたしの器が狭いからいけないみたいな?
 前山くんは強情なわたしにヘソを曲げられて可哀想……?
 どんな顔をしたらいいかわからないわたしの近くで、前山くんが泣き出すからびっくりする。サラダを前に泣くまで行くのは初めてなのだ。
「前山泣いてんじゃねえよ!」と男子のひとりが言う。「大谷も見てんぞ!」
 巻き込まないでください。
 で、結局、前山くんはサラダを食べない。泣きながら机ごとひっくり返してめちゃくちゃにしてしまう。食べものって口に入れていいものなのに床に落ちた瞬間『汚れ』になるのが不思議だ。というのはさておき、美味しいサラダをゴミにした前山くんのことは完全に嫌いになる。
 前山くん改め前山は先生との話し合いのなかでわたしの名前を出したようで、わたしまで先生と狭い部屋で喋ることにする。叱られる。前山の野菜を代わりに食べるのは前山のためにならないからやめたほうがいいらしい。
 でも前山のせいでみんなが昼休みの自由を失うのはみんなのためにならないんじゃなくて?
「大谷さん、先生よく言ってるでしょ。クラスは共同体。連帯責任なの。ひとりのためにみんなで我慢して、一緒に苦しい思いを乗り越えるの」
 なんの話だよって気持ちでいっぱいになったので、もう適当に済ませて終える。昼休みはすっかり終わってしまって教室に戻るときには五時間目の先生が来ていて、前山はいなかった。バッグすらなくて、帰ったんだろうなって思った。それから席替えが行われるまで前山はクラスに来なかった。

 前山の件についてきちんと経緯を説明したら同情してくれる子もいたから、割とすぐにどうでもよくなった。サラダを味わうにあたってもノイズにはならなかった。よかった。しょうもない男子のせいで灰色の人生を送るところだった……。
 高校受験を無事に終えた三月、両親がふたりして大怪我で入院をして一週間自分で家事をすることになる。
 わたしはもらった食費で色んな野菜やフルーツやドレッシングを買い込んで三食すべてサラダとパンだけを食べる。折角だから種類とレシピを調べて試してみる。
 ウォルドーフはマヨネーズそのままよりちゃんとドレッシングにして掛けたほうが好きだ。コブサラダって作るの楽しいなって思う。そしてパワーサラダは他より美味しくない気がして、なんでだろう? って考えた結果、ステーキ肉からササミに入れ換えたら充分に楽しめたから、どうやら自分は脂の多い肉類が苦手になってきているらしかった。ロミロミサーモンも楽しくなかったから魚肉もその範疇らしい。
 お腹を壊すとかじゃないんだけどね。とりあえず高校からお弁当でよかった。
 苦手って意識するとじわじわ進行していくもので、高校一年生の冬くらいには牛肉や豚肉などをほとんど食べられなくなる。秋刀魚とかも好きだったはずだけど避けるようになる。家族でお寿司を食べに行ったときも、いなり寿司・かっぱ巻き・納豆巻きとサラダを食べてお腹を満たす。
 親としては好き嫌いのない子供から一転、主菜選びの幅が少し狭くなってしまって面倒そうだった。申し訳がない。でも正月に久々にお祖母ちゃんの作った豚の角煮を食べたら吐きそうになってしまったのだ。一緒に作ってくれたポテトサラダは美味しかったから、油分じゃなくてやっぱり脂身の感触や臭みなんだろうなと思う。薄い肉でも脂身が多いと嫌になる。
 学校で友達にそういう話をすると、
「えーじゃあ大谷ってヴィーガンなんだ?」
 と言われる。
「ただ野菜好きで肉が苦手なだけだよ」
「それがヴィーガンじゃないの?」
 定義をよく知らないからその場で検索しみると、やっぱりわたしはササミや卵を食べるし、むしろ動物の命より植物の命のほうが大切だからヴィーガニズムとは全然違う。
「へー。あんま変わんない気がするけど」
「好き嫌いと主義を一緒くたにするのは失礼でしょー」
「ああ、そうかねえ。なんか哲学的でわかんないけど」
 そうかな? わかりやすいと思うけど? と感じるが、煽りっぽくなりそうだから言わない。
 高校一年生から高校二年生になるとき始業式のあとにクラス会があって、よくわからないまま参加したら焼肉屋さんに行くことになる。
 ドリンクバーで遊んだり肉を横取りしあったりと楽しそうな男子たちを眺めながら、わたしはセットメニューのサラダを食べる。
「大谷さん、お肉いる?」
 男子のひとり、吉田がカルビ肉を摘まみながら言う。
「いや、わたしはサラダでいいから」
 と言ったのが遠慮のように聞こえたのか、
「そんな気を遣わなくていいんだよ」
 と勝手にわたしのタレ皿に乗せられる。
 脂の乗ったカルビ。え、これ食べなきゃいけないの? わたしは固まる。全然使ってないタレとはいえ浸かっちゃっているし、これ以上焼いても焦げるだけだから網に戻すわけにもいかないだろうか。吉田を見ると、いいことをしたというふうに満足気だ。
 優しさなんだよね? クラス会という場で無下にしたら何か悪い影響があるだろうか? 肉じゃなくて玉ねぎやピーマンをくれたらよかったのに。せめて野菜と一緒に食べよう、と網の上を探すけれど、まだ焼かれてすらないようだった。わたしの位置からじゃギリギリトングに届かない。
「大谷さん、どうしたの?」隣の女子が小声で訊いてくる。「もしかして、お肉、嫌い?」
「あ……そうなんだけど」
「じゃあもらっていい? あたしはお肉好きだから」
 と隣の女子――尾崎さんが食べてくれる。ついでに尾崎さんは野菜をさっと取って焼き始める。全部察されてるんだ、と思っていたら男子が、
「野菜は後でよくねえ? スペースとるし」
 と言うが、
「あんたら野菜食わねえから馬鹿なんだぞ」
 なんて一蹴する。
 焼けた野菜は全部わたしにくれる。
「いいの?」
「だって野菜嫌いだもん。大谷さん野菜好きって友達から聞いてるよ」
「うん、好き」
 訊けばその友達っていうのはわたしと去年ヴィーガン云々の話をした相手のことで、にわかに盛り上がる。共通の友達。
 尾崎さんとも友達になれるだろうか?
 わからない、と思ったのは後日、尾崎さんと遊びに行ったらファミレスで尾崎さんが肉料理を大量に頼んで、吸い込むように平らげていくのを目の当たりにしたとき。
 この子、野菜を全然食べない……!?
「だから馬鹿なんだよーあたし。肉があってくれたら幸せ」
 あっけらかんと言う尾崎さん。ハンバーグステーキを二種類も頼んで小ライスと一緒に食べる人は性別問わず見たことがなくて、そんな選択肢のありえる人間がいるんだ、なんて思う。
「それ言ったら大谷さんだって、野菜しか食べないし。サラダを何種類も頼む人、初めて見たよ?」
 生野菜のサラダ、ほうれん草のサラダ、ディッシュサラダ、それから尾崎さんにもらったグリーンピースやコーン。あと小ライス。
「……真逆だね、わたしたち」
「あはは。いいじゃん真逆。あたしら一生友達だったら一生野菜あげるし一生お肉わけてもらえるかもね」
 と尾崎さんは笑う。わたしは前山のことを思い出す。『いっそ付き合う? 僕のサラダ一生ぶん全部あげる』。ちょっとうんざりした気持ちも振り返したからその話をしてみると、
「ああそれは萎えるわなあ」と尾崎さんは頷いた。「あたしも、肉一生ぶんあげるとか言われてもそんなんで付き合わねえよってなるし」
「だよねえ」
「そういえば、あたしもね」尾崎さんは目を細める。「昔、すごくお父さんに怒ってたとき、『焼肉連れてってやるから機嫌直せよ』とか言われて。なんかすごい嫌だった。あたしのメンタルをすごく単純なものとして扱ってるというか、扱っていいと思われてるっていうか」
「わかる! 軽んじられてるって言うのかな」
「そうそうそう、嫌だよねえ」
 という共感があって尾崎さんとはどんどん仲がよくなる。ニコイチっぽくなる。学校で肉しか入っていない弁当を食べる女子とサラダまみれの弁当を食べる女子が机をくっつけているのをたまに奇異の目で見られるけれど、みんなと同じで、食べれるものだけ食べているだけなんだけどなあ。

 そんな風に気ままに過ごしていると、いつからかクラスの女子間でサラダ弁当が流行り始める。何かインフルエンサーが推進したのかなと思っていたらわたしの影響らしくってびっくりする。
「だって大谷さん、肌すごい綺麗だし可愛いし痩せてて、いいよねってみんな言ってるよ」
 とあんまり話したことのない子に言われ、可愛いかどうかはさておき、そういえば肌の調子が悪いときってないかも、と思う。便秘もあんまりない。代謝とかビタミンとかそういうあれこれがいいんだろう。単純に好きだから食べていただけなので自覚がなかったけれど。
 まあ嫉妬とかされなくてよかった、と思っていたがぜんぜんよくなかった。サラダ弁当が主流になると、尾崎さんの肉だけ弁当が際立った。悪目立ちした。一部の女子から陰に陽に馬鹿にされ始めた。
 尾崎さんがふくよか寄りな体型であることと絡めて肉女って呼ばれてるのを聞いて、流石に嫌な気分になる。
 尾崎さんは尾崎さんが食べたいものを食べてるだけなのに何がいけないんだろう? たとえ健康上の心配があったとしても、それは蔑称をつける理由になるだろうか? 医師でも家族でもないのに、というか健康を願う気持ちもないのに他人の食生活に文句をつけるなんてデリカシーがないんじゃないの?
「最近、教室で弁当箱開けると笑われてる気がする」
 下校時、尾崎さんは言う。それはわたしも感じている。
「弁当なんてさあ。授業とか部活とか、後半戦をやっていければいいでしょ」
「そうだね。わたしもそう思う」
「食べるものにまで女子力とかアホじゃん。本質は美味しさだしカロリーや栄養っしょ」
 肉のみ弁当で栄養の大切さを説かれると頷きづらいが、言わんとすることは理解できる。
「お肉ばかり食べてたら女の子らしくないから笑っていいとか、価値観の押しつけだよねえ」
 と、わたしが言うと、
「女子らしさ、みたいなんを押しつけてくるのって男子だけじゃないんだなって思ったよ」
 と、乾いた笑みを浮かべながら尾崎さんは言う。
「そうだね。でもさ、男子はなんか自分にとって気持ちいいような女の子像を求めるけどさ、女子はさ、こう、女子力向上みたいな、そういう自分磨きとか頑張ってなきゃ、サボってる扱いだよね」
 どちらにせよ、勝手な基準で人としての善し悪しを判断する人って結構いるから――息苦しい。他人がどうあろうと気にしない、犯罪とかやってなきゃ善しでいいと思うようなわたしたちみたいな女子も、きっと男子も、同じように結構いるんだろうけれど。
「あたしが肉食べて誰に迷惑かけたって話だよね」
「誰にも迷惑かけてないよ、尾崎さん美味しそうに食べてて可愛いし」
「えー。照れ。……ところで大谷さ、どう思ってんの?」
「何が?」
「みんなが大谷の弁当を真似して」
「ああ」昼食の時間中に教室をぐるっと回れば七個はサラダだけの弁当を見つける。同じ学年の別の教室でも流行っているみたいだし、どんどん広まっていくんだろうか。「別に、無理してないならいいんだけど。無理に食べてるなら、サラダに失礼」
「……ぶれないね。そういうとこ好きだわ」
「ありがと」
 そう言いながら、『これも勝手な基準で人としての善し悪しを判断』しているんだろうか、と思う。わたしもまたある程度、どこかで誰かの息苦しさを作っているのだろう。
「……尾崎さん、ごめんね」
「何が?」
「その、……わたしの影響で、サラダ食べなきゃいけない、って空気が出来ちゃったんだと思うから」
「気にしないでよ。変なことになってるけどさ、こうして大谷がいてくれて、いつも一緒にご飯食べててくれるから、まだまだ楽しいよ」
「くれる、なんて言わないで。わたしも尾崎さんと一緒にいて楽しいから」
 それから次の週、尾崎さんが発熱で休む。心配だな、と思いながらひとりでお弁当を食べていると、クラスの子に一緒に食べないかと誘われる。尾崎さんを馬鹿にしていた子。
 ここで断るのも波風を立てるだろうか。
 ……まあいいか、立っても。
「ごめんなさい、尾崎さんとしか食べたくないから」
 ちょっと空気がざわつく。
 あーこれからいじめられちゃうのかな? って少し思う。やっぱり我慢して付き合っておいたほうがよかっただろうか。
 でもいい。どうでもいい。わたしは尾崎さんを蔑む人とは仲よくしたくない。
 人間関係においても偏食家なのかもしれない。

 結果としてはいじめにはならない。尾崎さんとセットで妙な子扱いされるだけで、嫌がらせは受けない。もしかしたら裏で何か言われているかもしれないが、裏なんて想像したところで無駄だ。
 わたしは尾崎さんと一緒にお弁当を食べ続け、遊び続ける。そうしているうちにサラダブームが去り、豆ブームが到来する。わたしもビーンズサラダは好きだが、なんとなく癪なので学校では食べないようにする。
 二年生になってクラスが離れても尾崎さんのいる教室に行って食べたり、一緒に帰ったりする。修学旅行のホテルのバイキングでも尾崎さんは肉ばっかり取るしわたしは野菜ばっかり取って、同じ班の人を軽くビビらせる。
 そういうのがだんだん面白く感じてきて最強だ。
 そういえば二年生になってからはモテ期というのか、ときたま男子から告白されることがあるが、尾崎さんと過ごす時間を減らしたくなくて断る。
 で、これは尾崎さんに叱られる。
「あのさ、彼氏を作らない理由にされるのは少し申し訳なくなるよ? あたしでも」
「ごめんごめん」
 でもしょうがなくない? 男子とまだ関わる気になれないし、関わりないのに告白してくる人って怖いし。暗い男子は前山を思い出すし、明るい男子は……まあそうはいっても尾崎さんより面白い気がしない。
 三年生になっても仲よし。尾崎さんは受験が終わった頃に彼氏ができるけれど、すぐに別れる。
「だってさ、すごい言うんだよ、野菜食えって。食べなきゃ駄目だよって、優しい人だったし優しさだったんだろうけど、肉しか食べないところも含めて愛してくれなきゃ嫌」
 尾崎さんの気持ちは理解できる。でも、くだんの元彼氏の気持ちも正直わかる。一ミリも野菜を食べないで尾崎さんは本当に健康でいられるのかなって、実はわたしも不安に思っている。
 言わないし、おくびにも出さないつもりだけれど。正しいことなんて楽しくないだろうし、両親にもたまに言われるらしいから、わたしまでそうなると尾崎さんの逃げ込み先がなくなってしまう。
 健全不健全に関わらず逃げ場所はあったほうがいい。逃げ道のない正しさは人の心を潰す……ってドラマか何かで言っていた気がする。
「よしよし。尾崎さんの気持ちわかるよ」
 そう言いながら考えるのは、わたしもいつか彼氏ができたら何か言われるだろうか? ということ。脂身のない肉や豆類といったタンパク質は摂ってるから大丈夫かな?
 そんなわたしに彼氏ができるのは大学を卒業してからで、マッチングアプリで付き合う。最初は仲がいいけれどだんだん喧嘩が多くなって別れる。直後、尾崎さんを誘って飲みに行って愚痴る。
「職場の人と合わないって話をしたり我慢できなくて言い返したら状況が悪くなっちゃってとか言ったらさ、わたしがもっと色んな人と仲よくできないのが悪いって言うわけ。嫌いになった人とも表面上は仲よくしろとか、無理なのに」
「大谷、人間の好き嫌い多いもんねえ。でも無理して病むよりいいと思うよ、あたしは」
 と尾崎さんは受け入れてくれる。やはり逃げ場になってくれる人ってありがたい……。
 で、わたしが落ち着いたところで尾崎さんのターン。人間関係はわたしよりも器用にやれているみたいだけれど、それはそれとして近ごろ心身の不調が続くので病院で診てもらったら、もっと肉以外も食べたほうがいい、それから肉を食べる量も減らしたほうがいいと言われたそうだ。
「この生活を続けると癌とか糖尿病とかなるかもって言われて。正直すごい凹んでる」
 流石にそのままでいいんだよとも言いづらいので、無言で頭を撫でるにとどめる。うー、と尾崎さんは呻きながら焼き鳥を口に運ぶ。わたしはおつまみサラダを食べる。肉ばっかりの尾崎さんとサラダばっかりのわたしだけれど、なんだかんだでお酒もいけちゃうのは不思議だ。
 帰りのバスでわたしにもたれかかって眠る尾崎さんは高校時代と変わらない愛らしさがあって、病気とかになってほしくないなって思わざるをえない。でも尾崎さんの食生活を変えさせることができるのはわたしじゃなくて、医者に言われたことを踏まえた、尾崎さん自身の意思なのだ。そして意思ってどうしても永久には保てないから、そのときの癒しポジションにわたしはいればいいのだと思う。
 宿り木のような友達でありたい。
 翻って自分のことを考えてみると、じゃあわたしもやっぱり、もうちょっと人付き合いを頑張ったほうがいいかなあという気持ちになる。あんまり険悪にしたり険悪をそれでよしとしたりすると被害が生まれそうなことくらいわかっている。
 わかっていて、それでも偏食であり続けてきたのだ。
 なんのために?
 心地よくあるために。
 でも人間関係の偏食は心地よさを本当に招いている?
 そんなことはない。
 うん。この偏食は、頑張って矯正したほうがいい。そんなの楽しくないけど、楽しいばかりじゃ身を滅ぼす。尾崎さんと一緒に頑張れそうならそうしたい。
 ……でもたぶんわたしだってすぐには変われないし、どうしても合わない人は合わないのでストレスがすごそうだ。
 そういうときはまた尾崎さんに愚痴を聞いてもらいたい。尾崎さんが忙しかったり友達じゃなくなっちゃったりしていたら……まあ、サラダでもいっぱい食べよう。
 そのとき野菜が高騰していませんように、豊作が続きますように、とわたしは静かに祈る。大人になって独立してようやく気づいたけれど、色んなサラダを作ろうと思うと、野菜って意外と高いね。


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