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Inputとoutputそして休みの重要性

人間という生物を長らくやっていれば当然のように続けている呼吸のように、吸収と放出の重要性に気づく、どうやったって。

巷ではinputとoutputと表現するが、アーティストな人々のためだけでなく万人に必要な行為に思う。

食べて、出すように自然な行為なんだろう。

近く、自身の店を開くことができて、開店したら最初の何ヶ月は休みなく店を開けるべきだ、休むのはもってのほかと誰かから言い聞かされて、自分もそうしようと頑張ってはみたものの、やはり人間休むことは必要みたいだ。

休みが必要と教えてくれたパイセンたちもいたけど、それに関してとても懐疑的だった。

自分は何日か寝ずに働いた経験もあったし、休まずとも動ける自信もあった。

しかしどうだろう?

開業から1ヶ月にしてもう、休みの重要性に気づかされた。

休むってなんなんだろう

休むことに関してちゃんと考えたコトってあっただろうか?

Shiya Shicaをオープンしてから、休んだ分収入が減る原理にいる僕ら、休みという意味に対して深く考えることも増えた。

休み=頑張ってない、ズル休み的な考えが頭を巡りがちな日本人が多いが、かくいう僕もその一人だったみたいだ。

なんかやっぱり日本人て、休むコトに対してどっかで罪悪感が呼び起こされる教育を受けているんだろうな。

生き物として休むってすげー大切。

休むって最大のinputなんだ!! →えっ結論?

そして題名のinput 、outputの話に戻るが、人生を生きていると、それはoutputの連続。

outputって要は表現だから、生きていく上で起こした全てのリアクションがoutputなんだと思う。

それこそ、絵を描いたり、曲を作ったり、ハットトリックを決めたり、ホームランを打ったり。
特段、普通の人生を歩んでいれば必要にならない表現や行為もoutputと呼べるし、

イヤな人と同じエレベーターに乗ってしまった45秒間にとった態度も、友達と飲んで行ったカラオケであの曲を歌ったことも、小学校の時にとった誰にも言えない思い出の中にある自分の行動も、大切な人が病気になって、心の底から心配したあの気持ちも。

全てoutput。

しかしoutputというものは、inputあってのものだと思う。

スポンジに水を吸わせて、強く握れば水がドバドバと出るケド、乾いてたらそうもいかない。

それと一緒で何かを吸収して、初めて何かを出せる。

優しさ、愛、思いやり、友情

なんでもいいケド、誰かにもらったから誰かにあげられる。

そういうもんでしょ?


心の余裕

入ってきて出せる

心の余白

そいつも大切なんだろうな。


休むことはムダじゃない、立ってとどまること、滞ること、全部ムダじゃない。

大切で欠かせないコトなんだ。

そんなことを考えたりして、3月からの定休日を決めた。

なんやかんや言って単純に休みたいだけかもネ!! →えっ結論?


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