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環境破壊と言語の限界

自然災害は増えている

感覚的には日本でも世界的にも、自然災害が増えているように感じる。
本当はどうなんだろうかとちょっと調べてみた。
実際は増えているらしい。

「非常に激しい雨」の発生回数の年変化 画像 https://www.soumu.go.jp/main_content/000526164.pdf

でもこれは一時的なもので、今後は落ち着くこともあるんじゃないかと、、、 と思ってしまうが、どうやら違うようだ。

将来の1時間降水量50mm 以上の非常に強い雨の年間発生回数の変化
https://www.soumu.go.jp/main_content/000526164.pdf


つまり、私たちはこれから増加し続ける自然災害に備えなければならないということらしい。

原因は人間活動による環境破壊なのか

産業革命以降、二酸化炭素の排出量が増え、温室効果ガスとなり、急激に増えすぎたために自然環境が大きく変わってしまったと言われている。

本当に人間の活動が100%気候変動の原因なのか?と、思うことはある。 100%人間が悪いとなれば、人間の存在自体が悪なんじゃないかと、分けの分からない結論にいたってしまうからだ。100%人間が原因だとは思いたくはない。

でもどうやら、100%人間が原因らしい。

人間も自然環境から生まれた存在

「人が自然から生まれた生き物なら、人が出すゴミや毒も、自然の産物ってことになる。」 「このまま人間が棲めなくなっても、それはそれで、自然がバランスをとった結果ということなんだろう。自然に慈悲なんてものはない。」

ガンダムUCエピソード6より

あまり有名ではない、このセリフがけっこう好きだ。 環境問題がテーマに出る度に、頭の中で繰り返される。
結局、人間にとって都合のいい基準に基づいて、異常気象だの、災害だの言っているに過ぎない。

そんな自滅的な発想ともうひとつ、深いなと思うポイントが、「人が自然から生まれた生き物」という点。
勝手に分離しているのは、人間なのだ。

分離の原因は言語

人間には、酸素があって、気温が安定していて、多いな災害もない環境が必要だ。

酸素がなければ人間は生きてはいけない。これは人間と酸素とが分離できないということ。 酸素は植物がなければ生まれない。植物は土や太陽、あらゆる元素が必要。元素はどこから生まれたのか、宇宙だ。
そのように考えると、人間が生きていくには、宇宙が必要になる。

当たり前すぎて、だからなんだ、という話だけど、生活の感覚の中に自分が宇宙と切っても切り離せない関係にある実感は持てない。
この分断感覚に人間は染まっている。

危機的な問題になって取り組む

人間の問題に対する取り組み方は、人権や存続の危機が明確になって初めて対応を考えているように見える。
優先してきたのは人間の繁栄であり、目先の豊かさだった。

例え30年前に、このような事態になったのが予測出来ていたとしても、同じ道をだどっただろう。 今現在も、人の尊厳よりも経済的繁栄を優先し続ければ、データ優先主義となり、人はデータをとるためだけの無用者となると予測はされている。(ホモ・デウス ホモ・デウス著)

この原因が分断感覚なのだとしたら、これからの未来はどう考えられるだろうか。

言語の限界 分断感覚とは

春と聞いて、満開の桜の並木を思い浮かべたのなら、それは分断された言語によるイメージとなる。
実際は、春の桜は、「つぼみが膨らむ」「花が咲く」「満開になる」「花が散る」「葉桜になる」と一連の流れの中にある。

私たちは、パズルのピースのように、分断された断片が言語として記憶されている。 そしてそのピースを組み合わせながら、物語をつくっている。 主語+述語のように、分断された言語を組み合わせて物語をつくっているのだ。
でも実際は、一連の流れがあり、その中から表現したい世界が現れることになる。 定点観測のように、種ひとつから育つ樹木のように、流動的な相対関係が流れていくだけだ。

分断感覚が強ければ、種と枝、落ち葉、実は別物と認識してしまう。 種と枝が同じ、種と落ち葉が同じ、種と実は同じという感覚が持てない。
流動的な感覚が育っていれば、種と枝、落ち葉、実は同じものとして認識できる。 それが樹木なのだと。

言語革命と温暖化対策

分断感覚を植え付ける言語から、流動的感覚を身に付ける言語へ言語革命が起きたら、温暖化対策は変わるのだろうか。

排出した二酸化炭素を回収できること、自然に還元できる製品にすること、など思いつくことはある。日常の中で言えば、エネルギーの浪費を抑えること、ゴミを少なくすることがあるだろうか。
便利さや生活水準を上げようとすると、よりエネルギーを消費し、ゴミが増える傾向にある気もする。

現実ベースで考えると、いまいちパッとしない。 世の中で推奨している内容と違いが感じられないのだ。
種ひとつに荘厳な森林を想像するくらいの発想が必要なのだろう。

自分が使っているエネルギーひとつ、食べ物ひとつ、ごみひとつ、呼吸ひとつに、地球の外まで聞こえるような子どもたちの笑い声が絶えない地球を想像することが、あるといいのかもしれない。

確かに、少し心が柔らかく温かくなった気がする。


Dignity2.0国際カンファレンス

心未来への出発/シン技術でつくる私の宇宙
日程:2022/10/8(土)-10/10(月)
主催:Dignity2.0国際カンファレンス
URL:https://www.dignity2.org/2022/about/
Dignity2.0国際カンファレンスとは、 尊厳を土台にした持続可能な進化・発展をつくる世界実現のために、「世界基軸教育」を提唱している日本発のムーブメントです。


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