「マインドフルネス」というアプローチ
さて、今回も意識と無意識のバランスについて、まずは意識的な面からの取り組みのアイディアを、いろいろな素材を手がかりに考えるということで、最近(というか、ここ十数年来)よく目にするマインドフルネスについてです。
マインドフルネスは、仏教の修練の一つとしての瞑想にその源流がありますが、心理療法の一つである認知行動療法が取り入れるようになったことで、その用語が多くの人に知られるようになりました。もともと認知行動療法は、ものごとをどのように見るかという「認知」がネガティヴな方向に偏りがちな人たちに対して、その認知を修正するという発想ではじまりました。しかし、やがて歪んだ認知を修正するということから、ものごとをありのままにとらえられるようになるということへ、力点が移っていきます。その際のキーワードの一つが、「マインドフルネス」です。
仏教の考えが源流にあるとはいえ、西洋の文化圏の人たちにも受け入れられやすくするため、仏教の用語は英語に読み替えられ、宗教的な部分は脱色されて、エッセンスの部分が取り入れられています。そのエッセンスとは、自分の心の状態に気づくというということです。心はそのときどきで、さまざまな状態に移り変わっていきます。ときに不安になり、ときに腹を立てたりと変化していきますが、その動きに無自覚だと、あることがやたらと気になってしまったり、なんとかしようとこだわってしまったり、どうにもならないと思って落ち込んだり、いわゆる「認知の歪み」による問題が生じてきます。それに振り回されないために、心の状態の移り変わりに気づき、たとえ不快な状態であっても動ずることなく受け入れていく。実際のところ、それがなかなか難しいことではありますが、目指す方向はそういうことになります。
このあたり、前回の記事で書いた森田正馬の「あるがまま」に似ていますね。心の状態というものは自分の心が作り出しているものに過ぎず、天気のように移り変わっていくものだから、それをどうにかしようとせずに受容するしなやかな強靭さが、マインドフルネスなあり方ということになります。マインドフルネスの場合、瞑想という修練が背景にあるので、呼吸法や感覚など身体に注目していくことが多いようですが、過去や未来へさまよいがちな思考を引き戻すために、現在という時点での自分の心身を深く体験していくためのさまざまな工夫が考案されています(ここでは具体的なアプローチ法については触れません)。現在の自分を大切にするというところは、前々回の記事に書いた、有島武郎のリアリストという考えにも共通しています。それぞれの考えに到達する道筋や使っている用語は違いますが、今、現在の自分の体験を重視するという点では同じですね。
意識と無意識のバランスをどのようにはかるか、ということに関して、意識の方からいろいろと考えてきました。人間は高い認識能力を持っていますが、それをどのように使うかということが大切です。頭の中で過去のことや未来のことをいろいろと考えていると、今、目の前の現在がおろそかになってしまったり、ほかとくらべて不安になったり不満になったりしてしまうという問題がありますが、それらは高い認識能力の副反応と言えます。それに振り回されないためには、現在の自分の体験を大切にすることが共通して示されているようです。そのことが、無意識とバランスをとるということにどのように関わるのか、続けて考えていこうと思います。