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高校生と演劇教育 第4回レポート テーマ「演劇の授業の内容―演劇の授業では何をやっているのか?」

高校生と演劇教育に関するイベント第4回を開催しました。

1か月半ぶりの開催ということでzoomの操作や諸々でご迷惑をおかけしてしまいましたが、なんとか開催できました。今回も第1回から継続参加の方から、初めてご参加の方など7名ほどにご参加いただきました。本当にありがとうございます!NYからの参加者の方もいて、輪が広がっているのを感じて嬉しかったです。

さて、本日のテーマは「演劇の授業の内容」でした。授業において「内容」といえばメインディッシュなのかなと思いますので、今日は楽しそうだなあと思っていましたが、想定を超える活発な議論でした。30分では全然足りない!

今回も前半は資料を提示しながら、演劇の授業ではこんなことをやっていますよ!というお話をさせていただきました。今回は私がこれまでの20年弱の演劇の授業実践の中で実際に行った内容をジャンル(カテゴリーかな?)ごとに説明しました。


今日の資料1

私の授業ではこの資料に示したあらゆるジャンルをその都度選択し、実施しています。その中でJ・ニーランズ氏の書籍を紹介させていただきましたが、これは世界でもっとも売れている演劇教育の本だと言われています。
              ↓

Neelands, J. Goode, T. Structuring drama work 3rd edition, Cambridge university press, 1990, 2015.

この本には100のアクティビティが載っており、どれもとても興味深い上に面白くて、私はよく授業に取り入れています。(私が持っているのは3rd editionです)。とはいえ全体からすればアクティビティを使用した授業は10%程度かなと思います。

そして今日の問いかけをして、後半の議論にうつりました!


今日の資料2

少し大きな問いかけだったので、もしかしてみなさん最初はどう発言しようかなと思ったかもしれません。最初に発言してくださったのは、毎回参加してくださっている大学の先生です。ご自身の実践には「インプロ」を取り入れていらっしゃいます。

「即興、協働、で行い、原因に中心がなく、できれば「さすが私たち」と感じられるもの。
「自分」とは運命ではなくスキルだと気づく。
「現実(シーン)」とはその場の皆によって創発されたものだと気づく。「人生」は人生という本番のための練習だと気づく。」

そうですね!と共感しました。私もインプロを取り入れているので、この「中心がなく」という感覚はわかるなあと思いました。いつのまにかできていて「私たち」すごい!と思える瞬間がありますよね!
私には「「自分」とは運命ではなくスキルだと気づく」という言葉があらゆるエッセンスが凝縮していて理解できなかったので、どういうことなのかお話してもらいました。要約してお伝えすれば、「自分」というものを「変えられないもの・すでに決められたもの」=「運命」と思ってしまうのではなく、それは変えられるのだ、ということに気づくこと、ということでしょうか。

すると、チャットの方でそれに応答する返答がありました。演劇部のインストラクターをしている方からです。

「才能とか能力ではなく、練習次第」

いいですね。演劇部で指導している中で、生徒たちが変化していく姿をたくさんみているのでしょうね!そしてそれはどれだけ挑戦したか、ということでしょうか。

次は高校の国語の先生をしている方から。

「自分は国語の教員ということもあって、言語・非言語をひっくるめて、創り手と受け手の関係を同時に体験できること、相互の存在を感じながら表現をしたり受け取ったりできることを重視しています。」

お話の中で「書く」表現のこともお話しておりましたが、何かを「書く」時にその読者を想定することと、演劇を作る(ご自身の実践の中では「創作」をすることが多いそうです)時にその「受け手(観客)」を感じることには大きな違いがありそうです。演劇の場合は表現とその反応がダイレクトで直感的に理解できるところが良いのかもしれません。そこの部分、私も共感しました。

NYで演劇教育のTAをしていらっしゃる実践家の方から大切にしていることを書いていただきました。

「自分の想像力を信じてリスクを負うことを恐れない力」
「人前で自信を持って自分の考えを世界に発信する力」
「チームの一員となって協力し貢献する力」

何をやっている、ということではないけれども、こうした「リスクを恐れない」ことや「自信を持って自分の考えを発信すること」を意識してやっていらっしゃるとのことでした。私の感想としては、何をしたらこれができるようになるか、ということではなく、どんな内容の授業であっても、ファシリテーター側がそうした「恐れ」を抱かないように安全な空間をいかにつくるか、ということが大事になるなと思い、お伝えさせていただきました。

そのころ、チャットの方では、どんどん参加者同士のつながりや交流がたくさん生まれていて、私が追いつかないほどでした(笑)。継続参加の高校での実践家の方から、次のようなご意見をいただきました。

「セルフコントロールは俳優の重要な仕事のひとつでもあるから、自分の状態がわかるようになってねと促すことがある。対外的な自分と本当の自分のズレに悩んだり苦しんだりするものだから、それは違っていて当たり前なんだとおしえたりその両方を意識できるようにしたり何かするたびに「どう思うのか」訊ねて自分の気持ちを観察できるようにガイドしている。「気持ちの観察」は役を演じる時だけではなくてゲームの中でとかその前後とかそういう時も含めて。」

これは役を演じたり、ゲームをしたりするなかで自分のことを知っていくこと、自分の気持ちを知ること、それに意識的になることができる、あるいはそれができるように促すことということでしょうか。これは最初の先生の発言にあった「人生という本番のための練習だと気づく」ということと繋がるような気がします。そして演劇という身体をまるごと使った実践的なことだからこそ、こうした気づきが生まれるのかもしれません。

次に高校生向けの性教育講演会に演劇を取り入れたという大学の先生からのご意見です。性教育というある意味センシティブな実践ということで高校生本人たちに演劇をやってもらうということではなく「教員や大学生、高校生の保健委員に登場してもらう「演劇をみせる」という手法」を使っているということでした。それは「性教育は性質上、その場で練習させづらいという側面」があり「その場面をよりリアルに想像してもらうため」にそうしているとのこと。しかしこの発言の途中で「逃げてるのかも・・・」と思いを吐露してくださいました。

「ここまで書いて、逃げてるのかも・・・と思いました。勇気を出して、参加者にその場で演じてもらえるような工夫をしたらいいのかも。いずれにせよ、性について自己決定してもらうために、その練習としての演劇、ですかね。」

私自身も博論で扱ったテーマであったので、興味深くお話を伺いました。高校生ぐらいになると自分の性についての揺れ(悩み)があると思います。そういう時期でもあるので、とてもセンシティブな部分です。劇を見ることによって想像力を喚起され、自分の性についての自己決定につながることもあると思います。しかし「役を演じること」によってそれが明確に(自己決定に)なることもある、というのが私の博論の結論でした。

しかし私自身もこのことはまだまだ研究が足りないところだなと思っているので、今後みなさんとともに考えていきたいと思いました。

今日初参加の小学校の先生から、次のようなご発言がありました。

「「人と人との接面を豊かにする」子どもたちを育てるために、主にニーランズから派生したコア・アクティビティを用いて授業を設計することが多いです。」

どういうことだろう、と思いお話してもらいました。コロナで失われた3年というのがあり、子どもたちの「人と人との接面」が危機に瀕しているそう。マスクで過ごした3年は大きな影響を与えているようです。大事なことですね。ここで演劇は大きな役割を果たしそうです。
コア・アクティビティとは、渡部淳先生が牽引してこられた「獲得型教育研究会」が設定した、日本の教科の授業で使いやすいアクティビティとして選定されたものですね。ホット・シーティングやティーチャーインロール、思考の軌跡など私もよく使っています。こうしたアクティビティがコロナ渦を経た教室で活かされているというのはとても嬉しいことですね。

このあたりで、なんと、時間が来てしまいました。チャットではどんどんみなさんの意見が書かれています。全然足りなかったですね!しかしここでイベントは終了とさせていただきました。

今日の感想は、「内容」つまり「何をやるか」ということは、やはり教師側が大事にしていることと切り離せず、そしてみなさんその思いは熱く、ゆえに議論は尽きないのだということです。そしてそれぞれのお話を聞く中で、お互いに共感できたのがとても嬉しかったです。(今日はチャットの中での「反応(いいね!)」のやり取りがとても多かった!)

以下は、時間内に取り上げられなかったご意見たちです。直後に私から一言感想を書いています。

「私も教員養成で、「共同の練習」としてインプロゲームをやらせています。人と関わる練習のためです。」
→インプロはまさに一緒につくっていくことができますよね!その練習ですね!

「演劇の場合、しぐさ、目線も含めてみることができるので、本当はどうしたかったのか、何を言いたかったのかが見えてきます。」
→言葉だけではない表現ができること、それによって伝えられること、受け取ること、が同時にできますよね。

「授業一つ一つの目的はあっても、究極的には、「自分」や「人生」の捉え方につながっていく気がします。」
→たしかに、演劇は「自分」と「人生」につながっていますね!

「どういう気持ちになったか、の共有ができるのがいい!」
→同じ場所にみんながいるからそれができるんですよね!

「自己観察のツール、なるほどです!」
→これは実践家の方のセルフコントロールのお話へのリプライですね!

「今日は「内容」中心ということですが、「目的」と「内容」を区別して話すの、難しいですね。」
→そうなんですそうなんです。つながっていますからね!

「目的に応じて内容が選択されるので、当然といえば当然なんですけど…」
→そうです!

「内容を分類するのに、どういう観点があるのか。「即興」か「戯曲あり」か、「見せる(公演として打つ)」か「見せ合う」か、演劇の技術を教えるか教えないか・・・など?」
→私の資料の分類は、それぞれの出自と形態の違いによって分けています。

「*参加者と自分自身が、「自分について」「お互いについて」「世界について」感じている事に少しでも影響を与えること。
*参加者が自分は何を言いたいのかを「自分自身で育てるきっかけ」をつくる事。
*その場にいる全員が発見に繋がる経験をする事。
* お互いに学び、違いを尊重し合う事。
*存在する事。意識する事。」
→感じること、発見すること、意識すること、ということが大事だと理解しました!

「「内容」だと一番話せるネタになるんですね笑」
→はい、そうみたいです!

「noteを楽しみにしてます!」
→はい!絶賛まとめ中です(今)

以上です。ありがとうございました!

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