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「ルポ 塾歴社会」で受験業界を学ぶ。

前回エントリー「「なぜ中学受験するのか?」を読んだ」で中学受験の基礎中の基礎を学んだので、続けて同じおおたとしまさ氏の「ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体」(幻冬舎新書)を読みました。

ちょっと古い本なのでしょうが(2016年刊行)、中学受験と高校受験の最高峰の世界感を感じることができました。感想は「すごいね、この世界」という感じ。

以下、私が学んだこと。

東大理3を目指す受験会の最優秀層を筆頭に、中学受験ではサピックスが主流。で、有名校合格直後から東大理3を目指して、鉄緑会に通学。東京は13校の指定校制。関西は指定校制なし。

小学校を卒業したばかりの12才が、有名中学合格直後に6年後の東大受験を目指して鉄緑会に通うってのが驚きです。ウチの子ときたら。。。

また、著者は「回り道」の重要性を説きます。

…鉄緑戦士は、総じて謙虚。早くから勉強がものすごくできる人の中に埋没してしまうことで、自己評価が過少になってしまう悪影響はるのかもしれない。こうした思考の癖は若い頃は誰もが持つものであり、「受験の王道」を歩いたからといってそれが強化されたわけではないと思う。一方で、一般に年齢を経るごとにこれらの癖が目立たなくなってくるのは、「回り道」を経験して、その過程で思いもよらない素晴らしい風景や人物に出会い、最短距離を行くことだけが人生ではないと実感できるようになるからである。
 名門校とは目には見えない強烈な教育力を持つ学校のことである。そのような学校で身に付けたハビドゥス(特定の集団に特有の行動、知覚、判断の様式を生み出す諸要因の集合)は、「回り道」をしたときにこそその効果を発揮し、彼らの折れそうになる心を助ける
 名門校の教育力は、本当の意味で自分の人生を歩みだしたときにこそ発動する。卒業して20年、30年経ったとしてもそのときが来るのをじっと待っている。まるで植物の種子が発芽のときを待つように

はじめて読んだ著者の「なぜ中学受験するのか?」(光文社新書)でも説かれていた主張であり、ただただ共感。

「合格」という目的に向かってできるだけ効率的にアプローチしたいニーズに応えて存在する塾が、「回り道」を回避しようとするのは当然だ。避難される筋合いはない。
 しかし、そのような塾が過度に社会に対する影響力を持っているのだとしたら、それは塾のせいではなく、世の中全体が「回り道」を良しとしない効率至上主義に染まってしまっているせいではないか。今私たちの社会に、「回り道」「無駄」「不純物」「遊び」など円環的作用をもたらすものの価値を認める知性、教養、文化が欠けている証拠と言えるのではないだろうか
  

今そこにあったり、将来あるかもしれない苦労を「回り道」と考えるのではなく、「そんな回り道にくじけない」チカラを身に付けるための受験であるのならば、是非とも我が子に挑戦させたいと思いますね。


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