特急「ひたち」に乗って、15年越しの夢が叶いました【前編】
先日の出雲旅行の時、帰りは羽田空港まで飛行機に乗り、そのあとは上野から新幹線で仙台に乗る予定にしていました。
…していたのですが、
上野駅で山手線を降りて、新幹線の改札口に向かって歩いている時に、ある電光掲示板の文字が目に入ってしまったのです。
「ひたち19号 16:00 仙台行き」
それはずっと憧れだった、特急列車でした。
この時、時間は15時55分くらい。
迷っている暇はありませんでした。
今、乗らなければ絶対に後悔する。
私はあわててホームへ続くエスカレーターを上り、ホームに指定席券売機を見つけ、震える手で何とかチケットを買いました。
程なく列車がホームに入ってきて、私は急いで自分の座席がある車両を探して乗りました。
まさに「列車に飛び乗る」といった状況でした。
そして、ネットで予約していた新幹線の指定席は、あわててキャンセルしました。
モバイルSuicaで改札を通れるように設定しており、紙の切符ではなかったため、キャンセルや変更もネットで簡単にできて助かりました…
特急「ひたち」と、新幹線の違い
「ひたち」は、東京と仙台を常磐線経由で結ぶ特急列車です。
ルートは簡単に書くと、こんな感じ。
ひたすら沿岸部を進みます。
ていうか、以前は上野発着しかなかったはずだけど、今は品川からのもあるんですね。
そして「ひたち」の上野〜仙台間の所要時間は、約4時間半です。
みんな知ってると思いますが、新幹線だったら上野から仙台まで、速いやつなら1時間40分。
遅いやつでも、1時間56分とかです。
仮にも私はこの時、出雲に旅行に行った帰りなのです。
どう考えても、1時間40分で仙台に着く新幹線に乗ったほうがいいはずです。
だけど、4時間半の特急を選んでしまいました。
ずっとずっと、夢だったから。
自宅で息子の面倒を見ながら留守番をしてくれている夫には、LINEで謝り倒しました。
すると「鉄オタ的にエモいやつなのね」みたいな感じで理解を示してくれました。
そう、非常にエモいやつなのですよ!!!
(エモいの使い方合ってる???)
乗りたかった、でも乗れなかった過去
いったんここで、過去の話をしましょう。
「スーパーひたち」を横目に新幹線に乗った大学時代
前の記事にも書きましたが、関東の大学に進学した私は、一度帰省の際に仙台まで「スーパーひたち(※当時の名称)」に乗ってみたいと思っていました。
新幹線と違う路線で、違う街並みを見ながら旅気分で地元に帰ってみたい、と。
しかし、どうしても踏み切れませんでした。
大学生の私にとって、年に数回の帰省は非常に楽しみなもので、早く実家の愛犬に会いたいとか、田んぼと山だらけの地元の景色を見たいと思ってしまい、とにかく早く着きたかったのです。
しかも、実家に帰るためには仙台駅から、さらに新幹線か高速バスに乗らないといけませんでした。
高速バスは安いけど、電車に4時間半乗ったあとに乗るのはキツイ。
新幹線は速いけど、約3,000円かかる。
これ、今の私だったら「3,000円出して新幹線に乗ろうよ」と思えるのですが、当時の私は
「特急列車でめっちゃ節約できたのに、最後の数駅で新幹線に乗るなんてお金がもったいない」と思っていました。
当時の私は、お金と時間の使い方が非常に下手だったのです。
だから、上野駅でスーパーひたちが発車待ちをしているのを横目で見て、迷いつつもやっぱり新幹線改札口に向かう…なんてことも何度かありました。
(※この頃はたしか、上野駅のスーパーひたちの発着ホームが新幹線改札口のすぐ近くだった)
震災発生、もう乗れない…
私は2009年に、大学を卒業しました。
その2年後、東日本大震災が起こります。
沿岸部を走る常磐線の線路は津波で甚大な被害を受け、さらに原発事故の影響で通れないエリアもできてしまいました。
「スーパーひたち」は当然、仙台までの運行はできなくなりました。
そして2015年、「スーパーひたち」は上野〜いわき間のみの運行になってしまいます。
私はこれを知った時、大学時代に乗らなかったことを死ぬほど後悔しました。
あんなに乗れるチャンスがあったのに、もう二度と乗れなくなってしまった。
しかし、実は震災の前から、常磐線は2012年に仙台〜いわき間と、いわき〜上野間で分けて営業することが決まっていたそうなのです。
震災があってもなくても、仙台発着の「スーパーひたち」は消滅する運命だったのです。
私はそのことも知りませんでした。(うつで療養中だったから)
「ひたち」が復活!?でも、タイミングが合わない
2020年3月、常磐線が全線復旧し、かつての「スーパーひたち」も「ひたち」として東京〜仙台間で運行再開されることがわかりました。
まさか再び、こんな日が来るなんて!
…とは思ったものの、そのニュースを知った時、私はちょうど妊娠がわかったばかりでした。
行けないじゃん…
(※過去に2度流産をしているので、妊娠中どんなに調子が良くても遠出は絶対にしないつもりだった)
しかもこの頃、世の中は新型ウィルスで大混乱が始まったばかりでした。
自分もひたちも、色々大丈夫なのかな…と思いつつ、私はニュース記事を閉じました。
その後、子どもは無事産まれましたが、私は育児で身動きの取れない日々が始まりました。
私も夫も残念なことに、子どもを連れてアグレッシブに旅行に行くタイプではありません。
だから「ひたち」にも、どう頑張っても乗れそうにありませんでした。
私は、「若いうちに色々やっておけというのは本当なんだな」と痛いほど実感しました。
憧れの特急列車で初めて見るもの、思い出すこと
話を現在に戻しましょう。
地元に向かっているはずなのに、知らない所に行くという不思議な感覚
今…私は…
あれほどまでに憧れた特急列車に乗っている!!!
落ち着くなんて、不可能です。
ソワソワしながら、私は必死で窓の外を見ました。
気持ち悪いと思われるかもしれませんが、私は新幹線で上野〜大宮くらいまでの景色を結構覚えています。
(※東京〜上野間はほぼ地下)
ちなみに私は基本、E席にしか座りません。
2人掛けのほうの窓際ね。
で、窓から見える建物をよーく見てると、駅ビルや公共施設の壁に「赤羽」などと地名が書いてあって、だいたいの位置がわかるんです。
そして大きな川(調べたら荒川でした)を渡ると埼玉に入って、あらゆる建物に「戸田」と書かれ始めて…という流れなんですけど、
「ひたち」は足立区に突入しました。
足立区!!
たぶん行ったことない。
…と思ったら、北千住も足立区でした。行ったことありました。
次に見えた地名は、柏。
個人的に、柏って常磐線のイメージがめちゃくちゃ強いです。
常磐線に乗っているんだなぁ、という実感が少し湧きました。
そしてその後、突然現れた「取手」!!
完全に未踏のエリアに入ってきた、と思いました。
列車は、次の停車駅である水戸を目指して進んでいます。
私は水戸も…というか、茨城・福島の常磐線沿いは全くといって行ったことがありません。
だから「ひたち」に乗ってみたかったのです。
いつもと違うルートで地元に帰るなんて、こんなおもしろいことはありません。
確実に仙台に向かっているはずなのに、知らないところをどんどん進んで行くって、ものすごく不思議な感覚でした。
思い出される、特急列車に乗った記憶
茨城に入ると、ところどころに田園地帯が見えてきます。
特急列車の適度なスピードもあいまって、のんびりした感じがとても心地いいです。
(飛行機に乗ったあとだから、余計そう感じたのかも)
そこそこ速いけど新幹線ほど速くない、そんな「ひたち」の微妙なスピードを感じながら、そういえば特急列車に乗ったのってものすごく久しぶりだと気付きました。
昔は東北新幹線が盛岡までしかなかったので、青森にある母の実家に行く時は、盛岡から青森まで「はつかり」という特急に乗っていました。
それが2002年に八戸まで東北新幹線が伸び、青森に行くために特急に乗るのは八戸〜青森間だけになりました。
今では新幹線だけで青森どころか函館まで行けるようになり、北に行くにも南に行くにも特急に乗る必要はなくなったのです。
数年前、新幹線で青森に行った時はその速さにびっくりしました。
以前は4時間くらいかかっていたのが、仙台から停車駅の少ないやつに乗れば2時間くらいなんですよ。
もう、この感動を何と表現したらいいか…
しかし小学生の頃、青森に行くのに長旅だからと事前にお菓子をたくさん買い、家から漫画本も数冊持ち、母と弟と盛岡発の特急に乗り込んだあのワクワク感も悪くなかったな、と思いました。
そんなことを考えながら外の景色を見ていると、列車は水戸に着きました。
あっさり散った淡い期待…2月はまだ暗い
水戸に着いたとき、時間は17時を過ぎていました。
このあたりまではまだ明るかった、というかきれいな夕焼け空だったのですが、水戸を出発したあたりから本格的に日が落ち始めてきました。
2月になり、だいぶ日が長くなってきたと思ってはいましたが、それは「12月〜1月と比べて」であって、時期としてはまだまだ日が短いほうです。
あっという間に、辺りは真っ暗になってしまいました。
「あわよくば、海を見られるかも」という私のわずかな期待は打ち砕かれました。
それでも、初めての路線に乗っている、これから初めての駅をたくさん通れる、ということで私はまだワクワクしていました。
後編に続きます。
明日投稿する後編で、仙台には無事たどり着けるんですが、
一筋縄で行くわけないだろ〜〜!!という、ちょっとした試練が私に訪れます。
↓ぜひ後編もお読みください(^O^)/
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