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私には幼少期の記憶がありません

私には幼少期の記憶がほとんどありません。
親はおそらく普通に愛そうと努力してくれていたのだと思います。
でも、その親も親からまともに愛情を受けていなかったとしたら、
愛情をどう表現したらいいかわからず、
自分をコントロールするすべを持たなかったのだとしたら。

子供にとって親は神みたいなものです。
親がいないと生きていけない。
けれど、用意されている環境にどうしても馴染めなくて。
馴染めないこともよくわかってなくて。
すべてを箱にしまって蓋をするしか
幼少期の私にはすべがなかった。

だから、記憶がほとんどありません。
いつしか、魂が浮遊するクセができてしまいました。
けれど、それで、自分の環境を恨んだりすることは
一切ありませんでした。

もともとそういう感情に疎いのかもしれません。

父親から顔面を何度もグーで殴られ、
鼻の骨を折って、ショックで呼吸困難に陥って
救急車で運ばれたこともありました。
大人になって、銀行員として、窓口勤務しているときにです。
さすがにそれは、お客様にも、同僚にも顔向けできず、
恥ずかしい思いをしました。

けれど、父親を恨むことも、憎むこともありませんでした。
むしろ、それすらなかったことにしようとしていました。
そうやって、なにがあっても平気な顔をして。
なんなら、はたから見たら、すごく愛されて幸せな娘を演じて。

結婚したとき、相手の両親や親族から、
「ご両親に大切に育てられたんですね」と。

私にとって生まれ育った家庭は安らぎとはほど遠い環境だった。
今はわかる。常にサバイバルでつねに、傷つけられて、
感情を押し殺して、大人になるしかなかった。
冷静な判断ができるはずもなかった。

よく生きてきたと思う。

長らく大人になっても、この幼少期の環境は
すべての判断のベースにどっかり居座って
私をぐらぐらと揺さぶり続けていたのだと
最近はよくわかる。

なぜ、夫を選んだのか。
なぜ、パートナーを選んだのか。
なぜ、今この生き方を選んだのか。

すべては欠けている何かを埋める作業の連続だったのだと。

でも、もうそれもすべてやめる。

そんなことはもう必要ないのだ。
欠けているものを他で埋め合わせる必要などさらさらないのだ。
私はいま自由を味わっている。

この先何が起こっても、
それはただ受け止めていけばいいだけ。
この世を生ききる覚悟があれば、何も怖くない。

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