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同質性と異質性のバランスが,コミュニケーションの心地良さにつながる.

「この人と話していると心地が良い」と感じる際の共通点は何かと考えていました.共感・傾聴など会話のテクニックは抜きにして,なんとなく共通するのではないかと感じているのが,自分—相手という関係における「同質性と異質性のバランス」です.具体的に言えば,「共感がベースにあり,相手との小さな相違がアクセントになる」コミュニケーションが心地良いのではないか,と感じています.

多くの場合,心地良い会話には共感が重要であると考えられますが,どうもそれだけでは刺激的な会話にならない気がしています.会話を通じて何か新しい発見がもたらされるのが心地良い状態とすれば,その状態を作るのはベースにある共感(=同質性)を崩さない程度のちょっぴりとした相違(=異質性)ではないでしょうか.

例えば,外国人など文化的に異質な他者と会話することは新しい刺激をもたらしてくれますが,異質性が増しベースに共感を作れないと不快感が増します.ベースに共感を作るとは,ラポールが形成された状態とも言えます.一方で,身内や気の置けない友人と会話する瞬間は同質性がベースにあり居心地が良いものの,新しい情報が得られなければどこか退屈です.

これはnoteについても言えるでしょう.スキ行為のベースにあるのは共感です.何となく思ってはいたが言語化しきれなかったもの,あるいは世の中に発信するほどは煮詰めていなかった考えについて,他の誰かの物語により色付けされた文章を読んで,スキを押したくなります.ベースにある考え方は同じ(=同質)だが,意外性やオリジナリティという異質性がアクセントとして含まれている.完全な同質であれば,それは「あたりまえ」を焼き直しただけのありきたりな文章になってしまいます.

この「同質性と異質性のバランスによる心地良さ」は,コミュニケーションだけではなく,食べ物や音楽などの嗜好にも適用できると思います.同質性・異質性という抽象的な言葉を選んだのは,心地良さを一般化するためです.

例えば,ヘヴィメタルをよく聞いたことがない人が,「ヘヴィメタルはみな同じに聞こえる」という拒否反応を示す例を考えます.ヘヴィメタルをよく聞いたことがない人は,ヘヴィメタルの特徴である「歪みのきいたサウンド」「攻撃的なボーカル」といった性質に慣れておらず,これらを異質なものとしてみなします.異質性が強すぎて心地良くない.しかし,ヘヴィメタルに慣れると,これらの特徴を自分に内在化することにより,そうした特徴を自分に同質なものとして心地良く取り入れることができるのです.さらに,ヘヴィメタルの特徴を内在化した人たちは,「ヘヴィメタルという同質性の中の異質性」に敏感になることができます.一口にヘヴィメタルといっても色んなサウンドがある,みな同じというわけではない,ということが耳で分かってくるわけです.同質性とは,自分がこれまでに内在化したことのある性質の集合ということができます.

多様性社会における義憤などもこれに通ずるものがあるでしょう.完全な多様性社会は異質性が強すぎて,居心地の悪いものです.多様性があるのに居心地が良い,と感じたならば,その集団・コミュニティは何らかの形で同質性を共有しているはずです.例えば,エリートのダイバーシティというのは,「エリートである」という同質性を共有した中でのダイバーシティであるから居心地が良い.そうした集団の構成員は,空間上にまばらに散らばっているのではなく,実は特定の断面上(=隠れた同質性)に存在しています.

さて,最後になぜ共感が心地良いのかについて考えてみます.進化心理学による起源論的説明など様々な説明の角度はありますが,哲学者である小川仁志氏の考察を参考にすると,「本質的に異質な存在である他者と,ある同質性を共有してシンクロする」感覚が快感なのではと思います.このポイントは,「異質であるはずの存在がシンクロして同質となる」ところであって,それが興奮を沸き起こすのでしょう.これは,恋人の肉体を欲するとか,パートナーと子供を作りたいといったエロティシズムにも通じるところがあります.例えば異質な存在である外国人とスポーツやお酒を通じて一瞬でもシンクロした経験が,なぜか心地良いと感じたことのある人はいるでしょう.あれは,異質性の強さに由来する,シンクロする難易度の高さこそが高揚感に繋がっているのではないでしょうか.

というわけで,人生の楽しみを増やしたいと思うとき,あえて相互理解の難易度が高そうな異質な他者と対峙し,シンクロする瞬間を作ることにチャレンジするという変わったことに挑戦するのも,案外悪くはないのかもしれません.





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