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#448 通知表の成績が悪いから塾に入れようか

2023.10.10.
表題は、ここ1週間で私が家族から聞いたワードである。

姉「姪1ちゃんの通知表がパッとしないんだけど…塾とか行かせたほうがいいのかな。」

義兄「通知表の担任コメントが、本当に当たり障りない感じの、これをやりました…とかだけで、全然様子が伝わらない」

姪1「通知表見せたら、お母さんとお父さんが塾に入れようかって言ってるんだけど!」


通知表を受け取った後の家での会話って、こんな感じなんだ…と、興味津々の私。どんな通知表もらったらこういう受け取り方になるのか、まず物を見せてくれ!と言ったら、翌日本当に持ってきてくれた。

どんな通知表なのか、「説明せい!」

◆3段階評価。国算社理はほとんどがBで、体育や図工はほぼA。
◆所見は全体・外国語活動・道徳の欄がある。外国語と道徳はやったことが簡単に書いてある。全体所見は国語と社会と図工について書いてあり、どんな活動をどんな風にやったかが書いてあった。
◆生活の記録はなかった。


★成績の見方について

教員でない立場で通知表を見ると、なんとまあ解読が難しいのだろうと思わされる。

自分が子供の頃もらった通知表はこんな項目だったはず↓(これはネット上にあった画像)

各教科で学ぶものの知識や技能が書かれていて、それができているかが評価されている。受け取る側にとっては何ができているのかがイメージしやすい気がする。

が、今の通知表の項目はこんな感じ↓(これは、対馬市立乙宮小学校というところのHPに載っていたもの。指導要領が変わったタイミングで学校ブログで説明がされていた。

全教科「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学ぶ態度」の3項目ずつ。これまでのように、技能面で何ができていたかだけではなく、どんな風に考えていたかとか、伝えていたかとか、粘り強くやり遂げたかとか、興味をもって臨んでいたかとか…そういう切り口で評価している。

昔の方の画像に入っている算数の「分数の計算をする」「三角形・四角形の面積を求める」「割合の意味を理解する」「円の性質を知り、面積を求める」という項目は、今の方の画像では全部算数の「知識・技能」だ。

1学期全部の単元についての「知識・技能」がまとめて1項目で評価されているので、算数が比較的得意だったとしてもどこかにめちゃくちゃできていない単元があったりするとAが取れないなんてこともある。

ちなみに、市販のワークテストは、この評価項目ごとに問題が分かれている。問題をよく見ると上の方に「知識・技能」とか「思考・判断・表現」とか項目が書かれている。
算数だと、表面が知識技能で、裏面が思考判断表現というパターンが多い。左右で分かれているものもある。


そして、Bは「できる」。その学年で学ぶ内容が概ねできているということ。
Aはこちらの期待する以上にできているということ。

なので、B取れていればいいのではと思う…けれど、成績付ける側の目線からすると、Bの範囲って結構広い。点数で言えば6割以上〜9割未満くらい。なので、6割に近いBと9割に近いBってだいぶ「できる」具合が違うのだ。


とか、こういうことをどこまで保護者が理解しているのかイマイチ分かっていないが、こういう見方を保護者会とかでもっと詳しく説明した方がいいのかも、と思った。自分たちのときの通知表とは違うよと。


★所見で思う

姪1ちゃんの担任は初任の先生。義兄は会社で新人育成担当のようなことをしているらしいので、話を聞くといつも目線が「娘の担任」というよりは「会社の新人」みたいだ。笑

やったことしか書いてない…と言っていたが、読んでみると担任が指導する教科から2つ、専科から1つについて、どの単元ではどんな様子で学習したか(ワークシートに書いていたことなどだと思われる)が書かれていた。

当たり障りなく。
そう、安心・安全な所見だったのだ。

なので、初任の先生はきちんと仕事をされていると思う。

でもそうか…それを集めて読んでみると…「やったことの羅列で、その子らしさが伝わらない」ってなるのか。義兄の言うこともちょっと分かる。

安心・安全な所見でそう言われちゃうと、急にこれまで自分が書いてきた所見もそうだったのか?と心配になってきた。これまで書いた所見文例(not 個人情報ver.)を見てみる。

あーーー、
めちゃくちゃ褒めてるわ!

そうだ。通知表はその学期の頑張りを伝える、褒める機会だ。
「この単元では、こんな様子で学習して、こんなことができました。」+「こういうところが素晴らしかったです。」とか「こんな風に活躍していました。」とか「友達からもすごいねと言われていました。」とか。

安心・安全な所見+頑張りを褒める姿勢!!!

きっとそれが大事よね。


★姪1 に伝えたいこと

これらを踏まえて、姪1には今日こんなことを伝えてみた。
私「通知表、できるっていうのは、できるだから、塾に行かないとまずいなんてことはないと思うよ。何より、行かされる塾ほど意味のないものはないと思う。姪1ちゃんはもう4年生だから…何かをさせられる時間は卒業しよう。自分の人生だから、やることは自分で決めよう。塾に行った方がいいと自分が思ったら、自分で行きたいって言えばいいよ。」

諭し系叔母とは、私のことである。笑

姪1「じゃあ学校行きたくないから行かないって自分で思ったら行かなくていいの?」
私「いや、やらないといけないことってあるじゃん。どうせやるんだから、それももうやらされてやるのはやめようってこと。どうせやるんだから、自分からやるの。お風呂入りたくないな〜って言っててもどうせ入らないといけないんだから、入りなさい!って言われて入るんじゃなくてもう自分で入っちゃうんだよ。」
姪1「あー、なるほど。」
今の例えでなるほどになるのすごいな。

伝わったのかは分からなかったけれど、今日のお風呂は自分で時間決めて入ってた。笑。素直か。


あの通知表を見て、頑張ってほしいところを強いて言うとするならば、「主体的に学ぶ態度」かなあ…。

宿題とか座学系の勉強をしろと言われると、驚くくらい悪態をつく姪1。
「ああああ、嫌だ〜!やりたくなーい。」
隠しきれない負のオーラ。誰に似たんだ。

小学生のうちに…「自分で楽しくする力」とか「楽しさを見出す力」を身につけておかないと、例え成長して多少の嫌なことは文句言わずにやれるようになったとしても、しんどい。
人生、楽しいことばかりを誰かが用意してくれるわけないからねえ…。

どうしたら姪1ちゃんが学ぶ楽しさを感じられるんだろうね。叔母に具体策なし。叔母は天性の楽しむ力を持っておるのだから…。



#教員エッセイというか
#叔母エッセイ
#通知表を解読せよ

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