#494 適切な努力の上に成り立つご縁だと思う(就活・婚活)
2023.12.15.
基本的に、◯活というものは辛いと言われることが多い。
就活・婚活・妊活・保活・終活…人によってはものすごく楽しいという場合も稀にあるのかもしれないけれど。
これまでの私の就活を振り返ってみようと思う。
◆大学4年春の就活
教育学部にいたのに、周りはほとんどみんなそうするのに、教採を受けるのをやめた。
ずっと学校に通っていて、就職してもまた学校…となると、世界が狭くなりそうだと思ったのが一つ。正直、まだ教壇に立つ自信がなかったというのがもう一つだった。
これに驚いたのは両親である。教育学部に通うために、学費も一人暮らしの費用も出してきた娘が、教員にはならず就活をすると言う。
なんと親不孝な娘なのだろうか。
周りに就活をする友人がいなかったこともあり、私の就活はかなり手探りで、だいぶ出遅れていたと思う。
なぜ教育学部にいながら教員にならず就活をするのかすらうまく言語化できていないのに、とりあえず名前を知っている有名企業にエントリーした。マスコミ、食品メーカーが多かっただろうか。
そして、どの会社もエントリーシートや1次面接で落とされていた。今思えば当たり前である。
でも、人生でこんなにNOを突きつけられた経験は初めてだった。そしてそこには、フィードバックもアドバイスもない。何がいけなかったの?自分に価値は無いの?というか、私って何がしたいの?何に向いているの?
4年の春、私は一つの内定ももらうことなく、就活を一度やめることにした。
そして基本的に3年生で引退するはずのバレー部に舞い戻った。
◆大学4年秋の就活
とりあえず、夏は舞い戻って部活に打ち込んでみた。大学から初心者でバレーを始めた私は、経験者ばかりの周りよりまだ伸びしろがあったのかもしれない。
秋まで部活を続けたのは、同期6人中私を含めて2人。一緒にあかちんがいてくれたから、多分後輩たちの中でもバレーを続けられたのだと思う。感謝。
秋リーグは、もう引退した同期たちも応援に来てくれて、なんとかまともにスパイクも打てる確率が上がってきて、ピーク時よりは体重も落ちて動きやすくなり、コンディションが良かった。最後の試合は、新人戦を除いて、初めてスタメンだったように記憶している。(違ったかな?というか、4年生で最後の試合だからスタメンだったのか?)
とにかく、就活の逃げで戻ってきたという側面もある部活だったが、最後は納得のいくプレーができたのはとても良かった。
その間に、秋採用について調べた。春よりも規模は大きくないが、企業によっては年間通して採用をしていたり、春と秋の2段階でしていたりするところがあるようだ。
なぜ教員にならないのかは、何度も聞かれ考えているうちに、上に書いたように明確に理由を言えるようになってきた。
業界で一番惹かれたのは広告だった。とにかく、調べれば調べるほど事例が面白い。クライアントの商品やサービスを知ってもらい買ってもらうために、アイデアで勝負している。そうして出来上がったCMやポスターやイベントは、私も知っているものだったり、知らないけれど感心してしまうものばかりで、こんな面白い仕事をする場所に自分もいたいなあと憧れていたのだ。
広告批評、読んでいた。ラーメンズと水野学さん、ミスチルと森本千絵さん、この辺りの、自分の好きなものと広告が繋がっている感覚も、広告業界に惹かれる要素のひとつだった。
間口は広くない秋採用。春に選んだミーハー全開の会社から、受ける業界も広げ会社規模も小さいところまで広げて、どうか拾ってくれ!と思う会社を厳選して受けた。
そして、「広告が好きなんです!」で押し通した結果…奇跡的に中堅の広告会社に拾ってもらえた。
後に人事の方に聞いたところ、私は「まっさら採用」だったという。こいつ、広告のこと全然分かってないなー。まあ、やる気はありそうだし、入って一から学んでもらおう…という意味だそうだ。
感謝、感謝!
内定が出たのは12月。両親は私がニートになると思ったいたそうだ。実際、私もそうなると覚悟していた。
◆異業種への転職活動
まっさら採用で伸びていけ!という枠だったにも関わらず、3年と3か月で広告会社を辞めた。
後にこの退職理由についても転職のために言語化することになるのだが、辞めた当時の自分にはとにかく「営業が向いてない!」と「休みたい!」という気持ちしかなかったように思う。職場の人たちのことはとても好きだったが、自分にはビジネスセンスが乏しいと思ったし、向いていないことを続けるには忙しすぎた。
仕事をしながら転職活動をする余裕もなかったので、次を決めず辞めた。同期たちはは心配していた。
休みたいと思っていたので、辞めた当初は「自由だーーー!会いたい人に会いにいくぞ!」という気持ちでいっぱい。それが、1週間経つと、不安に変わってくる。自分は、社会のレールから外れてしまったのではないか、と。
半年遊んでいたら、貯金が100万円減った。初めは「これまでが忙しすぎたんだから、まずはゆっくり休みなさい」とか言っていた母も、「働く気あるの?いつから働くの?」なんて聞いてきた。ダメ人間だ。
結構休んだし、お金も稼がないとだし、よし、働こう!
その時の選択肢は、教員かブライダル業界か、であった。
教員は小さい頃からなりたかったもの。社会人経験も少し積んだし、大学卒業時の自分よりはレベルアップしている気がする。
ブライダルは、やりたいことを考えている間に出てきた選択肢。広告の仕事は、自分の仕事の成果や広告の効果が感じ取りにくかったので、分かりやすく「目の前のひとのために」と働ける仕事っていいなと思っていた。
ブライダルで働いてから教員、という道はありそうだけど、教員からブライダル、は難しそうだよなあ…と思い、ブライダルに絞って転職活動をすることに。
しかし!中途採用で求められるものは経験…すなわち、即戦力である。ハローワークの求人でも転職サイトでも、未経験からのブライダル業界への参戦はかなり厳しそうだった。
そこで、ハローワークや転職サイトからの転職を諦めた。ネットで、こんなところで式を挙げたいなと思うような会場を検索。やっていることは式場探し中のカップルと同じだ。気になったのはレストランウェディングやゲストハウスウェディング。で、見つけたらそのHPから求人情報を調べる。HPに求人情報が全く出ていない場合も、とりあえず電話してみる。
これが、「ここで働かせてください!戦法」である。
突撃アポ電をした式場に行き、アルバイトからでいいのならと、水曜日面接したのにその週の土曜日から来てと言われた。
アルバイトをしながら、ブライダルの仕事について学んでいく。と同時に、そこで社員になれるような働きぶりを目指したし、正社員で雇ってくれそうな他のブライダル会社の面接も受けた。
運よく、一つの会社から内定をもらうことができた。そこは、関西の店舗への募集だったが、
「みゃーさん、関西とはどんな繋がりが?」と聞かれ、「特にないです。どちらかといえば都内がいいです。」と答えたところ、都内の店舗への配属になっていた。
いろいろやってみるもんだし、言ってみるもんである。大学時代の就活では考えられないようなルートで、入社が決まった。
◆ちなみに、教員になる時は…
就活としては上記の3パターンの経験があるが、4回目は教員だったので、こちらは転職活動というよりは試験対策と言った方がよいだろうか。
◆就活を通して考えたこと
特に1回目の就活で惨敗して、落ち込んでいる自分に伝えたい。
・落ちたとしても、自分がだめな人間というわけじゃないよ。
・会社側と自分のタイミングにもよるよ。
・縁があったときって、意外にとんとん拍子で話が進んだりするものだよ。
この辺り、婚活界隈でもよーく言われることだ。
そうなんだけど!
「ダメだったのは縁がなかっただけ」みたいなことが言えるのは、適切な努力をした人だけだと思う!(当たり前?)
ろくに努力もせず、自分や相手を知ることもせず、自分の魅力を分析して伝えようともせず、
「今回ダメだったのは、縁がなかったってこと」とか言ってたらいかん。
冷静な対策と、熱い情熱だ。
これは、誰かへのアドバイスとかではなく、自分への叱咤激励。
適切な努力をして、前に進んでいこう。
長文、お読みいただきありがとうございましたっ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?