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ボーダレスが生む人間の繋がりたい本質

毎週木曜だけは、「ABEMA PRIME NEWS」を見ている。ここまでくると、もう惰性みたいなものにも近い。もちろん、きっかけはEXITだ。彼らが巻き起こしていくいろんなことが、【芸人】という枠を超えて、なんかもう、みんなごちゃまぜで、盛り上がる祭りみたいな楽しさを感じているから、彼らを追いかけている(もういっときほどではないけど)。

彼らに関しては、新しいことに挑戦する、挑戦することによって得られるお金もしくはお金に相当するものがそこで生まれ利益になると、あの吉本興業が見越して自由にさせているのだから、だいぶ可能性の詰まってる人たちだってことは、もう今更言っても、そうですね、レベルなのでもう私の手は離れていった感がすごいので、あんまりこの話はしない。


私は、アベプラの後半の特集の方が好きだ。前半は、地上波でもやっている1面、2面で扱われる記事がほとんどなので、情報として必要性を感じない。そもそも「アベプラを見る」のは、EXITの習性、考え方、話し方、そういうものを研究する場所として捉えていたので(取材対象者としてそういうのは知っておきたいので)、ニュースの情報はどうでもいい部類だ(普通に地上波のニュースもネットニュースも聞いたり読んだりしてるし)。

政治やお金、災害や感染症、苦しいことを苦しくないように、苦しいならどう苦しくないようにすることができるか、を考えているのが兼近大樹こと、かねちーであって、いろんなこと考えてるんだぜっていうのがわかるけど、個人的には「むーー」っていうかねちーの表情を見ていたくはないので、重苦しい話はやめてほしい。(諸々思うことがあって、箱推しからかねちー推しに移行時期のため、りんたろー。氏のことはそっとしておく)


だから、10時以降の第2特集のほうが私は好きだ。

今日の「チームラボ」の話はとても面白かった。興味深かったと言えるだろう。

そもそも、代表取締役の猪子寿之氏が、すばらしい! 作品の説明やコンセプトの話をさせられていたが、聞けば聞くほど、訳がわからなくなる。でも、そこで、チームラボのコンセプトとしてあげていた「ボーダレス」ということが、より明確になっていくのを感じた。

区切らなければ自分を認識できない

宇宙と地球は一体なのに“地球”という言葉で切り取るとそこに境界が生まれる

生命体だけが「なんちゃら理論」から逸脱している

上にも下にもいかない不思議な白い物体が浮遊し、自己修復もできる

パブリックなものを個人的なものに使用したとしてもアートになっていれば他者には気にならない

家にいても誰かと繋がっているんだという思いで描いた花がTVに咲くようにした


覚えてる範囲の言葉だけど、私がこれらを聞いていて思ったのは、「連続性」だった。境界線を作らないという表現よりも、「連続性」を大切にしているという感じ(本人にあったわけじゃないし、見た感じああいう人の頭の中身は一生共有はできない。だからこそ天才なのだから)。

作品がカラスに導かれて繋がれていくっていうのをやっているのが、一番わかりやすくて、「連続性」。物事のすべては、続いてる。その続いてる線上でいろんな人が交わったり交わらなかったり、寄り添ったり、離れたり。人生そのもののような気がした。

断絶で途切れること、終わりを迎えること、新たにそこから始めること、そういうことも「区切る」ことにはできると思う。

これは何がいいとか、何がわるいとかの話ではないので、多分正解とかは出ない。

ただ、枠組みの中で表現できることを表現する、という芸術から、もう周り全てが芸術で、なんならあなたもそのひとりですよ、っていう芸術。そういう意味での連続性。繋がり。維持。そこに“愛”というか、情熱というか、そういうものを感じさせてくれる会社だったんだな、と知ることができた。


私は生で作品を見てはいないけど、行ってみたら、その意味が、もっとより深くわかるのかもしれない。

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