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【自己紹介】わたしのことぎゅっとしました

noteめぐりをしていて、自己紹介をされている方が多かったのでわたしもマネさせて頂こうと思います。

都内で会社員をしながら、作家をしています。
はじめまして。前回の記事を読んでくださった方ありがとうございます。
改めまして、秋月美穂(あきづきみほ)といいます。

会社のほうは人材関連の業種なので、毎年この時季は繁忙期です。。

作家はいわゆる≪放送作家≫
といえば作家業のほぼ全体を網羅できるので名乗らせて頂いていますが、
主に舞台演劇の脚本,演出、お笑いライブの企画,構成、作詞などをやらせて頂いています。

国語辞典としけったお菓子が好きです。
集合体とカリフラワーが怖いです。

ラジオとクイズが好きです。
走ることと早起きが苦手です。

文字が好きです。
お菓子のパッケージにある原材料一覧とか生産国とか、電光掲示板などで流れる今の自分に決して必要でないお知らせなども、ぜんぶ読んでいるような気がします。

東京の下町で生まれて下町で育ったため話せる方言などはナイのですが、いわゆる「江戸弁」が生活に溶け込んでいたように思います。
落語の口調になんとなく親近感を覚えます。


以下、経歴をちょろちょろ


中学受験をして、中・高と女子校に6年間通いました。

良く言えば「古き良き伝統あるお嬢様学校」
良くなく言うと「古臭い」学校でした。

例えば、
【髪型は①短髪 ②(襟についたら)2つ結び ③(肩についたら)三つ編み】
という校則がありました。3種類のみだったのです。つまりロングヘアの生徒は全員三つ編みでした。

校則自体は中学も高校も同一なのですが、高校では先生方も甘くみてくださったので最初の夏休みにさっそく髪を染めてピアスを空けました。
中学は演劇部、高校は筝曲部(生田流)でした。

大学は日本文学科で、卒業論文は『源氏物語』でした。
うちの大学は3年次で演習を2つとらなければいけなくて、わたしは古典文学と、近現代詩歌を受講していました。
萩原朔太郎を扱っていましたが、中原中也が好きです。他にも川端や、宮沢賢治なども勉強していました。

昼間にやりたいことがあったので、大学は二部(夜間)に通っていました。
プロの声優になりたくて、舞台演劇やアイドル活動などをしていました。
今は声優も顔出しが普通となり、アイドルにもとても近い距離にありますが、当時は「声優を目指しているのにどうしてこんなことしてるの?」とよく言われました。
なんでもいいから自分を知ってもらいたくて。数えきれないくらいのオーディションに落ちました。

10年ほど活動して、声優にはなれたし、やることもできたのですが、生き残ることは無理だなと感じてしまい、諦めてしまいました。
声優から離れる時、不思議と未練や後悔はありませんでしたが、ずっと抱きしめていた宝物を手放すようなさみしさがありました。
演者の経験をしたことは、現在の作家活動でも役立たせたいと思っています。


作家として自分だけの経験という点では、上記の演者経験と、ちょっと大きな病気をしたことがあります。
「小脳海綿状血管腫」という脳の病気でした。脳出血から始まり、右半身が失調、歩くことも立つこともできなくなりました。
治療とリハビリをし社会復帰したものの、1年後に再発。最終的には小脳の手術をしました。

これについては後遺症があるものの無事に完治・普通に生活しており、当時のことをちょっとずつ書いていきたいと思っています。

20代でこの病気をした人、あまり居ないと思うのです。主に高齢の方の病気なのもあって、特に若齢で発症した人は、情報がなくて。
わたしの経験が、ちょっとでも役に立てばなと思っています。

あと、経験者の気持ち。
病気がわかったときとか、身体が動かない絶望感、病院内での視線、リハビリのしんどさなどなど。経験している自分だから言えることを、説得力を持って発信できたらと思います。
特にリハビリは、メンタル面をどう持たせるかが乗り越えるポイントだと思うので。わたし夜中にひとりでこっそり何回大泣きしたか覚えてない。

当時の思いを、隠さずに書けたらと思います。
わたしの経験が、誰かの希望となりますように。


長くなっちゃった。
読んでくださりありがとうございます。

作家としての目下の目標は、
今年も演劇公演をうつことと、クイズとラジオと、執筆のお仕事をすることです。

こんなわたしですが、よろしくお願いいたします。

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