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メモ魔のわたしのノートから、字が消えたとき

先日、声優養成所で一緒だったコと話したとき「みほっていつもノートたくさん書いてたよね」と言われて、あぁ確かにひたすらメモってたなぁと思い出した。
レッスンの内容や先生の言葉の他に、各自のダメ出しも全員分書いていたし、同時に自分が感じたこと、疑問に思ったこととかも都度残していました。

養成所には4年間通っていて、その分ノートは何冊か埋まったし、台本類も書きこんでめっちゃ汚い。舞台演劇の台本は途中で手放すけれど、ナレーションや朗読など最後まで手放さなくてよい台本は度々書き込むので、非常に汚れていました。台本の汚さと自分の熱意が比例していた気がする。

メモるやつほど下手、みたいな説ありますが、きっと書いただけで知った気になってしまうことに対しての言葉なのだろうと思う。板書しただけで勉強した気になるみたいな。
何故そんなに書いていたかというと、理由は単純で「残さないと忘れるから」です。
感じたことや自分の意見とか、そのときは強く思うけれどすぐ忘れることが多いので、書き残したことに救われることは多かったです。

なので高校生の頃から日常的にノート(手帳)を持ち歩いていて、何かと書いていました。いわゆる「メモ魔」だったのだと思います。

んで。
5年前に脳内出血をしたわたし。

わたしが出血した「小脳」は、四肢の運動能力を司る箇所。左右ある小脳のうち、出血が認められたのは右でした。表れる症状として、頭痛や目眩、吐き気の他に、右の手足が不安定になります。
酷い時は麻痺してしまい完全に動かなくなりますが、わたしは早く見つかったので、動かなくなる麻痺まではいかず、コントロールができなくなる「失調」という状態で止めることができました。ただこれは出血が止まっても後遺症として残ることになります。
失調というのは、例えばばんざいをする→次の瞬間には右腕のみ下に落ちます。
歯磨きをする→歯ブラシが突然グイッと奥にいったり手から落ちてしまいます。
受話器を掴んで耳にあてる→すとんと下に落ちます。
ペットボトルの蓋を開けたい→そもそも蓋を握ろうとすると指が固定されず握れない。油まみれの指で掴む感覚に似てるかも。
お箸を使って食事をしたい→お箸の正しい位置に指をポジショニングできない。最初はスプーンやフォークを握りしめて食事をしていました。
右腕と右足が突然ガクガクしたり。また、身体の左右どちらも均等に機能していないと出来ないこと…例えば歩くこと、立つこと、座ることなどができませんでした。え?座ることも?と言われるのですが、右半身が機能していないので、座ろうとすると左側に倒れてしまうのです。

脳出血は、血が噴出して広がったぶんの脳みそが汚染された=破壊された、ということなので、治るという概念が存在しません。
右半身が使えないという状況は非常に困りました。右利きだし、友達には「みかん食べたいのに皮剥けない」と言いましたが、そもそも車椅子にも1人で乗れないのです。もう常に誰かにいてもらえないと、何も行動できない。こうやってへらへら書いているし当時もへらへらしていましたが、それはそれは絶望でした。
身体は元気なのになぁ。どこも怪我してないのになぁと、病院のお風呂で鏡に映ったハダカの自分を見つめて思ったり。

でもリハビリを重ね、重ね重ね、徐々に出来るようになりました。あれ、治らないんじゃないの?と思うのですが、リハビリは「治す」というより「思い出す」のほうが近い気がします。めっちゃ久しぶりに自転車に乗っても身体が覚えてて走れたりしませんか?そんなかんじで身体が感覚を覚えているから不可能ではないのです。例え司令塔がぶっこわれて指令を出せなくても。

なので身体が忘れないうちに、何度も何度もやってしっかり思い出して、今度は脳の使用していなかった部分に、覚えてもらうのです(なのでリハビリは早く始めることが大事)。そして今後はそこに動いてもらって、以後そこから指令を出してもらうかんじ。
文字にするとわけわかんないけれど、リハビリは「復元」でした。時間はかかったけど、出来なくなったことが少しずつ再び出来るようになっていくのは、なかなか面白い感覚でした。

兎にも角にも現在は無事に、不自由なく日常を送れています。(このリハビリ内容についても今後書いていきたいな)
ですが現在も苦手な動作は複数あり、例えば「ケトルを持ち上げてお湯を注ぐ」「グラスを持ち上げて乾杯をする」「ハサミを持って紙を切る」などは、手がとてもグラグラします。何かを持った(掴んだ)状態を保ちつつ別の動作を加える、といったことが苦手なのだと思う。
以前舞台に立ったとき、籠からりんごを取り出して差し出す場面にて「手がとても震えてた。緊張してたんだね」とお客様に言われたこともありました。脳みそが原因で右手が暴れてたのです、とは言えず。

とはいえそういう時は左手でやればいいし、問題なく日常を送れているので、苦手なことはありつつもほぼ元どおり無事に暮らせている。
が、これだけは右手でしかできない!苦手だけど元のようにできるようになりたい!と思っていることが。
それが「書くこと」です。字や、メイク(化粧)。めちゃくちゃ苦手で…。指でペンを持った状態で、繊細な動作を必要とするからなのだと思う。1画ずつ、ゆっくり、ゆっくりなら書けるのですが、綺麗に書けるのは最初の1文字2文字くらいで、後はゆっくりでも手がものすごく疲れてしまい、汚い字になってしまうのです。秋月美穂の秋は綺麗に書けても、穂の字はガタガタになってしまいます。なんなら書いている途中でペンはわたしの手を離れ、どこかに飛んでいきます。

感覚としては、寒くて手が悴んでるときや、めっちゃ揺れるバスの中で頑張って字を書いているかんじに近いかも。あれがずっと続きます。
自分の書く字が汚いというのはとても抵抗があるので、本当に本当に嫌で、せめて元の字に戻りたくて、今でも書字のリハビリは続けています。

それでも「メモ魔」のわたし。メイクは薄くても生きていけますが、字は書かないと生きていけないのです。
放送作家の養成所では、毎回パソコンを持ち込んでいました。タイピングには「持つ(掴む)」という動作がないので、少しリハビリをするとすぐ出来るようになり、書字よりスムーズに記録ができました。スマホも同様です。(マウスを扱うときだけ慎重になります)
オフィスでも会議はパソコンの書記に立候補したり。リハビリのためには自分の手で書いたほうが良いのだけれど、仕事中や授業中などゆっくり書けないときはパソコンに頼ることにしました。

本当は、手書きをしたい。
なので書きたくて、ふと思いついたことや、感じたことを残したくて手帳を持ち歩いています。ですが書くスピードが遅すぎて、書き終わる前にあれ?なんだったっけ?と忘れてしまう。
これは非常にストレスです。汚い字がイヤで消して書き直したりするとまた時間がかかって、ストレス倍増。なんなら消しゴムもわたしの手を離れ、どこかに飛んでいきます。

結局対策として、ノートの代わりのツールとしてiPhoneのメモ帳機能を多用しています。文字のみでよいときはこちらで事足りるので非常に助かる。
ただ、例えば書いた文章の近くに字の大きさを変えて追記したい、とか、文字以外のことを書きたい(線を引いたり囲ったり)みたいな時どうしようって悩んでいます。ペンとノートみたいに自由に書きたいと思ってしまう。

電子ノートみたいなガジェットがいいのか、力をいれず書ける万年筆がよいのか、はたまた左利きになることを視野に入れるのか、色々試しています。なんとかして書きたい。ペンを持ちたいです。

もちろんリハビリも続ける。そして自分に合ったツールを探す。書きたいのです。ぜんぜん書き込みがない、新品同様の手帳が、前みたく文字でびっしり埋まりますように。


・・・また長くなってしまった。3200文字overです(反省)。

読んでくれて、ありがとうございます。

いつも本当にありがとう。これからもどうか見てください(*´◒`*)ノ