エクソシスト3の場面より説明 老刑事が、悪魔的な殺人事件の現場で、「部分的に焼かれている聖書」を見つける。刑事は「聖書の焼かれている部分」に着目し、その部分を家にある聖書で読み直す。 刑事 「イエスは悪霊 の取りついた男の名を聞かれた。その者は答えて言った。レギオン ・・・大勢 だから・・・」 刑事 「・・・大勢・・・・・」 このように、刑事は、「大勢」という言葉を呟くのですけれど、これが意味するところは、「悪魔の代行者がこの世にはたくさんいる」 という意味でもあるはずで、つまり、「この世は、悪魔の手先のような存在で満ちている」と。 ・・・・・ やや陰謀論的にいえば、「現代社会は、私たち人間の《脳が破壊されていくように》デザインされた」 ・・・・・ そこから悪魔的存在による悪魔的指令が「本人にも気づかない状態で」入りこむ。 ・・・・・ 実際に声が聞こえるとか、姿が見えるとかでなくとも、その人たちの中には、悪魔的行動に移行しやすくなる人 がいたり、あるいは、本来人間が持っている良心を消し去り、良心に基づかない行動をすることに何のためらいもない人を作り続ける。 ・・・・・ そして、コントロールの根本は、「人間の恐怖心を利用する」 はずです。 ・・・・・ 聖書においては、レギオンというような言葉で現されますけれど、この悪魔の軍団は、「弱い心の人間たち」 で、命令されずとも、自ら「悪い方法論に従う 」ことになっていき、そして、その人間社会は滅亡 していきます。 ・・・・・ 今のコロナ社会の世界中の激しい規制をおこなっているのは、全部人間ですし、他人を非難したり自粛警察と化すのも人間です。 善悪の判断を停止させることで、誰でもレギオンになり得ます。 そして、そのレギオン化した人間と共に「恐怖」を利用する。
人類の多くが「レギオン」になりつつある : 悪魔的存在というようなものがあるとした場合、 その存在が人間をコントロールする現実的な方法は 投稿日:2020年9月22日 In Deepさんの記事は、時々拝読している。何の記事からだったか、この記事にたどりついた。この記事は腸内細菌の話や周波数の話も重要なポイントなのだけれど、それは横に置く。お菌教に入信?するほど腸内細菌の話は好きだし、周波数についても興味があるけれど、私がそれよりも反応したのは、「レギオン化した人間」 というテーマだ。
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レギオン というのは、
古代ローマでの軍団の呼称 。そこから新約聖書 に記述されている悪霊の名前 。あるいは新約聖書の悪霊をモチーフとする創作上の悪霊や怪物。
ピクシブ百科事典 『新約聖書』で語られる話は次の通り。
ガラリヤ湖のほとりにあるゲラサ人の居住地にイエス=キリストと弟子の一向が立ち寄った際に、彼らの前に墓場から悪霊に憑かれた男がとび出してくる。(中略)イエスは悪霊と対峙し、男の体から出ていくよう要求する。悪霊はイエスが神の子であることに気づいて平伏し、この地から自分を追い出さないようイエスに嘆願する。そこに豚飼いの飼う二千頭の豚がいたため、悪霊はそれに憑依させてくれるようイエスに要求し承諾を得る。悪霊は豚に憑き、湖へゆく。 悪霊は豚の群れに取り憑いて暴走させ、断崖から突き落として死なせていずこかへと消えていった。豚の騒ぎを聞きつけた村人たちは悪霊に憑かれていた男が正気になっていることに驚く。しかし村の財産である豚を失った原因であるイエスを芳しく思わず、村から発つことを村人はイエスに要求する。旅立ちの際、悪霊に憑かれていた男がイエスに旅への同行を願い出る。しかしイエスはこれを拒否し、代わりに自分の出来事をこの地方の人々に広めてくれと頼み、その男の働きによってイエスと神の奇跡はその地方に広まっていったという。
ピクシブ百科事典 また、『聖書』で「レギオン」が書かれている箇所は、
マルコ5:9 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜい なのですから」と答えた。 ルカ8:30 イエスは彼に「なんという名前か」とお尋ねになると、「レギオンと言います」と答えた。彼の中にたくさんの悪霊 がはいり込んでいたからである。
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なるべく、○ロナ脳の人とは絡まないようにしているけれど、先日、絡まざるを得なかった。そのとき、その人がイヤだというより、その取り憑いているもの に嫌悪を感じ、自己流のお祓い をした。
そんなことがつい最近あったばかりだから、この話に惹かれた。
その悪霊が一つではなく”たくさん” ということは、In Deepさんの記事で言うように、今の社会でも納得できる話だ。
「エクソシスト」などホラー系のものは見ないのだけれど、悪霊は一つではなく”たくさん”いるという話だけでも充分ぞっとする。さらに「レギオン」 のもともとの意味が「”古代ローマ” の軍隊」という点で、聖書預言にも通じているようで、さらにぞっとした。
私自身は悪霊に取り憑かれないように頑張ろうと思う。どうにもならなければ、死を選ぶのみ。また、穢れたなと思えば、自己流だけれど、多少は祓えそうだ。
問題は、取り憑かれている人とどうつきあうかだ。他人様に取り憑いた悪霊祓いなど、もちろん私にはできない。
聖書においては、レギオンというような言葉で現されますけれど、この悪魔の軍団は、「弱い心の人間たち」 で、命令されずとも、自ら「悪い方法論に従う 」ことになっていき、そして、その人間社会は滅亡 していきます。
類の多くが「レギオン」になりつつある : 悪魔的存在というようなものがあるとした場合、その存在が人間をコントロールする現実的な方法は こういう人たちから逃げるというのも一つの方法だと思う。でも、未来に対して、今を生きる者の責任として、滅亡を食い止める努力はしなければいけない 。
やっぱりね、ひっくり返しやすいところ、つまり軽症のところから 手をつけるべきだろう。私と近しいかどうか だとか、情 よりも。「ひとでなし!」って罵られてもね。あ、もう、罵られているわ(笑)
タイトル画像:悪霊退散 | らくがき日記 (tuna.be)