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穢れ

私の周囲が○ロナ脳だらけなのは、本人または配偶者、両方が公務員だからだと思う。そんな○ロナ脳の人たちを集めて、食事会をするのは気が重かった。食事会は、政府による今の大キャンペーンが行われる前の去年から計画していた。都合のよいことに、身内の一人が欠席するとなり、他の人も欠席となり、会は流れた。内心喜んだのは言うまでもない。私は悪くないからね~。参加予定者の中で○ロナに関係なく参加しようとしてくださったのは、ご本人も配偶者も非公務員の人だけ。

と、そこまでは良かったけれど、最初に欠席すると言った人が、またぶち壊した。じゃあ、ということで、実家に直接挨拶に行くことになった。「食事をいっしょにしないのは、それはいい」と評価し、「マスクしたまま会話してもいいか?」、それから、私がいっしょに来るのかというのも聞いてきた。非接種の私とは接触したくなかったのだろう。行く予定にしてなかったけれどね。

そんなに○ロナが気になるのなら、来なければいいのに。来るなとは言わなかったけれど、特に来て欲しいと頼んでいたわけでもない。忙しい中、遠方から来るのに、まるでばい菌扱いだし、「仕事上しかたない」とは言うけれど、失礼すぎないか?

おまけに、実家の両親を3回目の接種に連れて行ったとのこと。慢性疾患のデパートの二人が、体調不良になれば病院に行き、あの検査を受けて陽性になったら、こちらも濃○接触者にされてしまう。打った人のほうが、陽性反応が出やすいことを知らないのだろうか。さらに、検査キットが不足していて、医者が認定できることになった。病院に行かれたらややこしいことこの上ない。

夫が「仕事だから」という言葉を言い訳にして、妻が「きーっ!」となっていたのは昔の話で、今は女性からよく聞く気がする。「仕事がナンボのもの?」と”専業主婦”の私は思うのだけれど、”専業主婦”をバカにしている彼女たちの耳に届くことはない。そこに「○ロナ」が加わった。「○ロナ」と言えば、何でも許される。「この紋所が目に入らぬか!」ということだ。

「ばかばかしくて、つきあいきれない!」と思った。

そのうちふつふつ湧いてきたのは・・・
「怒り」でもなかったし、「悲しみ」でもなかった。

「穢れ」だ。


私は自分が清いとは思わない。テレビ、新聞の情報は気分が悪くなるから、接しないようにしている。こちら側にいる人が「こんなニュースが流れていた」というネットによって知るくらいで、直接受け取らないようにしている。また、食べ方については、砂糖や食品添加物はできるだけ避ける。と言っても、この社会の食べ物は毒だらけだから、1日1食にしている。その程度のものだ。

そんな私が「穢れ」を感じてしまうのも変な話だとは思う。と同時に、悪しきものはその本人ではなく、取り憑いた「穢れ」だということだ。

○ロナ脳との直接対決だから、今回はけっこう強烈だったのかもしれない。直接会ったわけでもなく、電話のやりとりだけだったが、○ェディングとイメージがかぶる。「穢れ」が身体中にまとわりついている。

じゃあ、「穢れ」をどうやって落とせばいいのだろう。

私はその手のおまじないを知らないし、もし知ることができたとしても、信じてやってみようとは思わない。

一つ思ったのは、「穢れ」と反対のことをすればいいということだ。飽食ではなく断食、人工的な環境ではなく「自然」、機械仕掛けではなく己の肉体を動かすことではないのか?

たまたま、節分の恵方巻を食べる画像を見て、あまりにも下品で、食欲が失せてしまったから、48時間断食をやったところだった。塩などのミネラルを摂っていなくて(忘れていた)、出汁を飲んだらそのまま食事に雪崩れ込んでしまい、48時間となった(笑)

『自然』の中で、機械仕掛けではなく己の肉体を動かす」については、先日、山辺の道を1日中歩き、三輪山にも登拝したことを思い出した。そういうことがやりたいと思った。実際にあのときと同じくらい歩き、低い山だけれど登ってみた。スッキリしたから、「穢れ」は落ちたのかもしれない。とは言え、ちょっと怖いこともあったから、素人は気をつけなければいけないと猛反省した。

「穢れ」に振り回されないことと、振り回されたときの対処法をいくつか考えておかなければならないと思った。第三次世界大戦が起こり、ますます大変な時代になるようだ。こういうときこそ、ブレないのが大事。



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