病と悪霊
『日本大百科全書(ニッポニカ)』の「病気」の解説に面白いことが書かれていた。少し長いが抜粋してみる。
「病気とは実体というより文化や社会による決め事」というのは、精神疾患について言われることだけれど、なぁ~んだ、医学の根本もそれなのかと思った。圧力をかけるなりして、法律やガイドラインを決めちゃえばいい話だから、悪意をもって好きにしようと思えば好きにできるということ。
例えば、血圧の正常値はこの数値の間で、外れていたら異常だということだ。数値を変えれば、病人はいくらでも”創出”できる。病人には薬が処方される。製薬会社と医者が儲かるということだ。別に、不調がなくても、健康診断でひっかかったという話になれば、今の「無症状○染」という意味不明な言葉とも通じる。今の茶番のベースはあちこちにあったという話の一つだ。
話が逸れたが、「日常的な責任が全面的あるいは部分的に免除されたり、道徳的な責任も追及されず」「病む本人の意志とは無関係である」ということについて。
言い換えれば、毎日、本人の意志で好きなものを好きなように食べ続けてきて”病気”になっても、「責任を追及されず」、「日常的な責任が免除され」、「病む本人の意志とは無関係である」とされる。この仕組みによって、”寛解”はしても”治癒”しない現行医療が行われ、税金が湯水のように使われている。
こういう仕組みが分かると、私は絶対に”病気”になりたくないし、まして、この「悪しき仕組み」に加担したくない。
「病気になりたくない」については、私なりに工夫して努力していく。
問題は「悪しき仕組みに加担したくない」だ。できるだけ、罪は重ねたくない。知っていて加担するほど、重い罪はないと思うから。悪事に加担したくないのに、周囲は”病気の人”だらけだ。そこにかかわっていくのが、定められた私の残りの人生の課題らしい。
私からすれば、かなり難易度の高い課題だ。お手本は誰に求めればいいのかということになる。身近に該当者がいないとなれば、有名人。イエスだとかお釈迦様という、ぶっ飛んだ人たちになる。
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私は特に既存の宗教組織には属していない。ただ、不思議体験がイエスだったことから、イエスが病気の人にどのように接したのかということに、興味をもった。
宗教が広がる一つの要因として、「病人を癒やす」というものがある。イエスが多くの病人を癒やしたことが、『新約聖書』に書かれている。そのことについて説明されたもので興味深かったのが、以下のものだ。
「メディア」や「社会の空気」のようなものが、現代の悪霊だと思う。私には特別な力があるわけではないから、悪霊退散は無理だということだ。実際に無理だったし。これについては、私の能力を越えているということだ。
となると、私にできることがあるとすれば「病の人」に対してだ。
引用した文によれば、「病気の原因は”人の罪”」である。
イエスは「”悔い改めよ”。天の国は近づいた」といって、宣教を開始したとされている。ということは、”悔い改めていない”ことが”人の罪”だと考えられる。
”病気の人”が”自分”にばかり目が向いているといういうのは、私も気づいたことだ。
「神」という言葉に抵抗があるのならば、「お天道様」でもいいと思う。
私には罪の赦しを”与える”ことなどできないけれど、その道筋に向うよう援助をする”努力”ならできるのではないかと思った。
ただ・・・、現代の”病気の人”には悪霊も憑いている場合がほとんどだから、悪霊が構築した「悪しき仕組み」に関わらざるを得ない。悪霊は私の力ではどうにもならないことなのに。
この矛盾に飛び込むことが苦しいと思っていた。
でも、それこそ、不思議体験で言われたことばがここで生きてくるってことだ。書いているうちに、そう思い至った。一言、二言の短い言葉だったのにね。この騒動で、色々と私が思い悩むことをご存知だったのかと・・・
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