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光秀の殺害予告文、匂わせがすぎます。

天正十年5月28日、愛宕山連歌会が開かれました。
明智光秀がかの有名な、本能寺の変での信長への謀反をにおわせた歌を詠んだあの会です。

「ときは今 あめが下知る 五月かな」

当時光秀は秀吉の援軍のために中国へ向かう途中に寄った京都の愛宕山(愛宕神社は軍神として武家に信仰されていました)
で、連歌会を開き、そこでこの句を詠んだといわれています。

「とき」→「土岐氏=光秀の出身」
「あめ」→「天=天下」
「下知る」→「命令」

「土岐」氏出身の明智光秀が「天下」に向かって命令をくだす=「自分が天下をとる」ということ。
つまりは信長に代わって天下人となる「謀反の予告」、そしてそれがこの5月である、ということであると。


明智光秀が本能寺の変を予告していた――なんてミステリーでおもしろいですよね。


そして本能寺の変は6月ですけどね。

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